お仕事
ねこオアシスオハナでの初仕事。
「まず、これをお願いします」
紬から渡されたのは、店内用の服と一枚の確認表だった。
手洗い。猫の飲み水。食器。トイレ。室温。換気。猫たちの様子。
「猫がたくさんいると、かわいがることより先に、変化へ気づくことが大切になります」
美帆は服を着替え、髪をまとめた。
セティに教わりながら、猫部屋へ入る前に石けんで手を洗う。指の間、爪の周り、手首まで。洗い終わると、セティが時計を確認していた。
「合格でしょうか」
「時間は十分です。ただし、長く洗えばよいわけではありません。洗い残しを作らないことが重要です」
猫部屋の床には、朝の光が差し込んでいた。
クッキーは窓辺の低い台に座り、リリーは家族の近くにいる。長毛のビィは高い棚から、美帆とセティを見下ろしていた。
「最初に、全員を探すんですか?」
「はい。ただし、隠れている子を引っ張り出しません。いつもの場所にいるか、呼吸が苦しそうでないか、歩き方が昨日と違わないかを見ます」
セティは一匹ずつ確認し、表へ印をつけていく。
美帆も名前を覚えようとしたが、似た柄の猫を見分けるのは難しかった。
リリー、チャオ、チャコ、クー、ムー、よしお、白、りゅう。
八匹の家族だけでも、すぐには覚えられない。
「多くて覚えられないです。首輪をつけたりしないのですか?」
「首輪はしませんね。写真つきの一覧を持ちましょう」
セティは小さなカードの束を渡した。
猫たちのお世話を終えて開店準備を手早く済ませた。
開店すると、最初に入ってきたのは親子連れだった。
現地の住民で、母親には短い角があり、女の子の耳は人間より少し尖っている。
「猫に触るの、初めて」
女の子は入室するなり、近くの猫へ手を伸ばした。
「待ってください」
美帆の声が思ったより強くなった。
女の子の手が止まり、母親も驚いた顔をする。
「あ、ごめんなさい。猫が怖がるので、まず座って待ってみませんか」
自分が昨日教わったとおり、低い椅子を勧める。
「来なかったら?」
「来ないこともあります。そのときは、見ているだけです」
女の子は不満そうだったが、母親の隣へ座った。
しばらくして、リリーが歩いてきた。
女の子の靴の匂いを嗅ぎ、椅子の周りを一周する。それから前脚を膝へ置いた。
「動かないでね」
美帆が小声で言う。
リリーはゆっくり膝へ乗り、丸くなった。
女の子は目を大きくしたまま、両手を宙へ浮かせている。昨日の自分と同じだった。
「撫でてもいい?」
「まず、頬の辺りを指一本で。尻尾を強く振ったり、耳を横へ倒したりしたら、手を止めましょう」
女の子がそっと触れると、リリーは目を細めた。
「来てくれた」
「待っていたからですね」
美帆までうれしくなる。
その直後、背後で低い音がした。
振り返ると、デンが入口を通ろうとして、両脇を扉の枠へぶつけていた。
「また太りましたか?」
セティが尋ねる。
「毛が膨らんでいるだけダ」
「昨日も同じことをおっしゃいました」
女の子はリリーを膝に乗せたまま、口を開けてデンを見た。
「大きい……」
「ワシはケット・シーのデンだ」
「触っていい?」
「礼儀正しく頼むならナ」
猫の方が返事をする店にも、いつか慣れるのだろうか。
昼過ぎ、美帆は水皿を確認していて、一つの器に毛が浮いているのを見つけた。捨てて洗い、新しい水へ替える。
「よく気づきましたね」
紬に言われ、美帆は少しだけ胸を張った。
けれど次の瞬間、空になった食器を見て、勝手にフードを足そうとして止められた。
「食事は決めた量を記録しています。自由に足すと、誰がどれだけ食べたか分からなくなるんです」
「すみません」
「失敗する前に確認できたから大丈夫。分からないときは、必ず聞いてください」
夕方、客が少なくなると、クッキーが美帆の膝へ乗った。
「仕事中なんだけど」
クッキーは動かない。
「看板猫による休憩命令ですね」
紬が笑い、温かいお茶を置いた。
猫カフェの仕事は、猫と遊び続けることではない。
見ること。待つこと。記録すること。清潔にすること。そして、分からないまま勝手に進めないこと。
美帆は確認表の最後に、自分の字で書き加えた。
『クッキー、夕方に膝へ乗る。喉を鳴らしていた』
「これは必要ですか?」
「必要ですよ」
紬はうなずいた。
「いつもどおりに甘えてくれた。それも大切な健康記録です」




