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第49話 空欄

 閉店後の見回りで、店の猫を一匹ずつ確かめていくのは、いつの間にか美帆の仕事になっていた。


 記録帳の確認欄に、名前の順に小さな印をつけていく。棚の上、籠の中、窓際、カウンターの奥。顔を見て、模様を見て、名前を呼ぶ。この数か月で、店の猫なら後ろ姿だけでも、誰なのか分かるようになっていた。


 この店には、キジトラだけで九匹もいる。それでも、大柄なのに細身のチャオ、少しふっくらして毛の多いクー、小柄な女の子たち。体つきと居場所を見れば、もう迷うことはない。奥の箱からめったに出てこないよしおも、覗き込んで顔を確かめる。


 その日は、朝から客の出入りが多かった。見回りの途中でも何度か呼ばれ、そのたびに手を止めては、また続きから印をつけた。


 最後に記録帳を見直して、美帆は息を止めた。


 確認欄が、一つだけ空いている。チャコの欄だった。


「紬さん、チャコがいません」


 声が、思っていたより大きくなった。今日は扉の開け閉めが多かった。もし、客の足元をすり抜けて外へ出ていたら。


 紬はすぐに顔を上げたが、駆け出しはしなかった。


「急ぐと、余計に見落とします。まず、扉と窓を確かめましょう」


 二人で入口の扉、勝手口、窓を一つずつ確かめた。どれもきちんと閉まっていて、隙間もない。網戸の端にも、破れたところはなかった。


「外には出ていないと思います。たぶん、店の中のどこかにいるでしょう」


 紬の落ち着いた声に、美帆はようやく少しだけ息を吐いた。


「途中で呼ばれたときにうっかりチャコのところを飛ばしてしまったんだと思います。印をつけたつもりで、次の子に進んでいたかもしれません」


「それが分かっているなら、大丈夫。確認していきましょう」


 二人は棚の端から、もう一度見て回った。奥の棚では、小柄で細身のキジトラが二匹、顔を体にうずめて並んで丸くなっている。


「これは、ツカサとクッキーですよね。……どっちがどっちでしょう」


 紬が、少し自信なさそうに言った。


「右がツカサで、左がクッキーです。二匹とも小柄で細身なので、丸まると大きさは同じくらいなんですけど、クッキーの方が毛が少し薄くて、背中の毛並みがしっとり寝ているんです。ツカサは毛につやがあって、光が当たると少し明るく見えます」


「顔が見えていれば分かるんですが、こうして丸まって顔を隠していると、私はいまだに迷います。美帆さんは、本当によく見ていますね」


 思いがけない言葉に、美帆は少しだけ照れた。けれど、今はそれどころではなかった。灰色がかったチャコの毛色は、薄暗い店の中では、影に紛れてしまいそうだった。


 ソファの下、キャットタワーの箱の中、カウンターの裏。いつもの隠れ場所にはいない。


 ふと、窓際の籠に重ねた毛布が、わずかに膨らんでいることに気づいた。そっと端をめくると、ひだの奥で、灰色がかった縞の体が丸くなっていた。しっぽの先だけが、毛布の外にはみ出している。


「いました……」


 チャコは眩しそうに片目を開け、またすぐに閉じた。騒ぎになっていたことなど、まるで知らない顔だった。


「冷え込んでくると、暖かくて狭い場所に潜り込む子が増えます。この時期の見回りは、布の中まで見ないといけませんね」


 紬はそう言って、毛布をそっと元に戻した。


 美帆は記録帳の空欄に、ようやく印をつけた。指先が、まだ少し冷たかった。


「数だけ数えていたら、気づけなかったかもしれません」


「ええ。数だけだと、同じ子を二度数えても分かりません。名前で確かめるのは、そのためです」


「今日は忙しかったので、それで抜けてしまったんだと思います」


「忙しい日ほど、抜けやすくなります。だから、忙しい日こそ、あとで見直す時間を作ってください」


「紬さんも、忘れることがあるんですか」


「あります。だから、見直す時間を決めているんです。それに、私が見分けられない子を、美帆さんが見分けてくれる。二人で見ていれば、抜けたところも埋まります」


 紬の言葉に、美帆は少しだけ肩の力が抜けた。完璧にできなくても、あとで確かめる仕組みさえあれば、取り返しがつく。失敗をなくすことより、失敗に気づく仕組みを持つことの方が、ずっと現実的なのかもしれない。


 帰り道、美帆は今日の失敗を振り返った。落ち込む気持ちもあったが、それ以上に、誰かに見つけてもらう前に自分で気づけたことが、少しだけ嬉しかった。


 次の日の朝、美帆はいつもより丁寧に見回りをして、毛布の中までそっと覗いた。確認欄を指でなぞると、空欄は、どこにもなかった。小さな安心が、その日一日の始まりを、少しだけ軽くしてくれた。


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