第46話 一枚の落ち葉
開店前の掃除で扉を開けると、敷石の上に一枚、色づいた葉が落ちていた。
美帆はそれを拾い上げ、しばらく眺めた。縁から色が変わり始めた、控えめな橙色の葉だった。手のひらに乗せると、思っていたより軽く、乾いた感触がした。
「紬さん、店の前に、こんな葉が落ちてました」
紬が覗き込み、葉を受け取ってじっと見つめた。
「今年最初の落ち葉ですね」
「最初、って分かるんですか」
「毎年、必ず気づきます。この葉が落ちる木は、店の前に一本しかありませんから」
紬は葉を、カウンターの隅にある小さな器にそっと置いた。何年も使い込まれた様子のその器には、色褪せた葉が一枚、すでに入っていた。
「これは、去年の葉ですか」
「はい。毎年、最初の一枚だけ、こうして残しています」
「どうして、一枚だけなんですか」
「全部残していたら、いずれ収まりきらなくなります。最初の一枚だけで、その年の記憶には十分なんです」
「去年より前の葉は、もうないんですか」
「はい。一年経てば、前の年の葉は処分します。器の大きさも、最初からそう決めているので」
美帆はその小さな器を、あらためて見つめた。一年分の秋しか収まらない器に、紬なりの区切り方があるようだった。
美帆は色褪せた去年の葉と、今年の新しい葉を見比べた。同じ木から落ちたはずなのに、時間の経過で色合いが違って見える。
「来年には、今年のこの葉も、あんな色になるんですね」
「はい。それでも、いつ落ちたかだけは、ちゃんと覚えています」
昼過ぎ、常連客の一人がその器に気づき、声をかけてきた。
「今年も、もう落ち葉の季節ですか」
「ええ。今朝、一枚見つけました」
「早いですね。去年より、少し早い気がします」
「気のせいかもしれませんが、私もそう感じます」
「季節が早まると、何か困ることはあるんですか」
「特には。ただ、心構えを少し早めに済ませておきたいとは思います」
紬はそう言いながら、器の中の葉を見つめた。客はそれ以上深く尋ねず、いつも通り猫の部屋へ向かっていった。
窓際のハンモックでは、ジョーとベスが、いつもよりわずかに体を寄せ合っていた。今朝までは、まだ少し離れて眠っていた気がする。
「あの二匹、今日はいつもより近いですね」
「はい。気温が下がり始めると、こうして距離が変わっていきます」
「去年の今頃も、同じくらいの近さでしたか」
「記録を見返せば分かりますが、感覚としては、今年の方が少し早い気がします」
紬の言葉に、美帆は葉が落ちたことと、猫たちの距離が変わったことが、どこかでつながっているように感じた。
夕方、店じまいをしながら、美帆はもう一度、器の中の葉に目をやった。今年最初の一枚は、まだ色鮮やかなままそこにあった。
「来年も、同じようにここに置くんですか」
「はい。この一枚が色褪せる頃には、また新しい一枚が落ちているはずです」
窓の外では、木の枝がわずかに揺れ、また一枚、色づいた葉が音もなく落ちていくのが見えた。今年最初の一枚はもう器の中にあるが、これからは、こうして次々と葉が落ちていくのだろう。
美帆は看板をしまいながら、これから訪れる季節に、静かに心構えをした。深まる秋の日々は、今日この一枚をもって、次の段階へと動き出したのかもしれなかった。
「明日からは、落ち葉の掃除も日課に加わりますね」
「はい。それも含めて、この時期の仕事です」
紬の声はいつも通り静かだったが、美帆にはそれが、来る季節への小さな合図のように聞こえた。今日拾った一枚の葉が、これから始まる長い変化の、最初の一歩だったのだと、美帆は帰り道、もう一度そっと胸の中で確かめた。




