第45話 市場の匂いが変わる日
買い出しのため市場へ出た美帆は、通りに漂う匂いが、少し前と違うことに気づいた。
「紬さん、市場の匂い、変わってきていませんか」
「本当ですね。瓜の匂いが薄くなって、代わりに根菜の匂いが強くなっています」
言われてみると、露店に並ぶ品物も、輪飾りの季節に見た瓜や豆とは違っていた。土のついた根菜や、丸々とした芋が、籠いっぱいに積まれている。
「あの瓜、もう並んでないんですね」
「瓜の時期は終わりました。今出ているのは、これから寒くなる時期に向けた野菜です」
顔なじみの八百屋が、通りかかった二人に気づいて声をかけてきた。
「今日はいい大根が入ってるよ」
「瓜の季節は、もう終わりですか」
「とっくにな。今はもう、腹に溜まるものの季節だ」
八百屋は笑いながら、大根の葉を軽く叩いて見せた。太くしっかりとした根に、瑞々しい葉がついている。
「季節ごとに、扱う品物が全然違うんですね」
「そうさ。同じ場所に立っていても、並べるものは毎月変わる。それが市場の面白いところだ」
「覚えるの、大変じゃないですか」
「大変というより、楽しみだな。次に何が並ぶか、こっちも毎年少し忘れた頃にやってくる」
二人は大根と、ついでに見つけた根菜をいくつか買い求めた。袋の重さが、瓜を買っていた頃より確実に増している。
「持ち帰るのも、少し大変になりますね」
「その分、日持ちもします。今の時期の野菜は、保存が利くものが多いんです」
市場の奥では、乾燥した豆やきのこを扱う店も増えていた。夏の間は見かけなかった品揃えに、美帆は物珍しさを感じながら足を止めた。
「これも、この時期だけのお店ですか」
「はい。乾物は、寒くなる時期に向けて需要が増えます。今のうちに仕入れておく家庭も多いんです」
店主らしき老人が、乾燥きのこの束を手に取り、匂いを嗅ぐよう勧めてきた。
「嗅いでみな。天日干しにすると、生とはまるで違う匂いになる」
言われた通り鼻を近づけると、確かに濃く、香ばしい匂いがした。
「本当だ、全然違う匂いです」
「乾かすことで、旨みが凝縮するのさ。この時期の楽しみの一つだよ」
店に戻ると、ガルネオが早速買ってきた大根を手に取り、匂いを確かめていた。
「今年の大根は上出来だな」
「匂いだけで分かるんですか」
「長年やってりゃな。土の匂いが濃いほど、味も詰まってる」
昼の賄いには、早速大根を使った汁物が並んだ。瓜を使った料理とはまるで違う、しっかりとした味わいだった。
「大根のお汁、日本の冬を思い出しますね」
「ええ。こちらでも、寒くなると根菜の季節です。市場が変われば、食卓も変わります」
夕方、片付けをしながら、美帆はふと、輪飾りを飾った日に嗅いだ瓜の匂いを思い出した。あのときはまだ夏の名残があったが、今はもう、すっかり違う匂いに包まれている。
「今度、瓜の匂いを嗅げるのは、来年の秋なんですね」
「はい。それまでは、今の季節の匂いを楽しんでください」
紬の言葉に頷きながら、美帆は買ってきた大根を棚に並べた。市場の匂いが変わるたび、この世界の季節が、また一歩進んでいくのを感じる。次にどんな匂いに出会えるのか、少しだけ楽しみになった。
「来月には、また違う匂いになるんでしょうか」
「はい。市場は、この店の記録帳よりもずっと正直に、季節を映し出してくれます」
美帆はその言葉を心に留めながら、大根の葉についた土を、丁寧に払い落とした。




