↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/53

第42話 冬毛のはじまり

 ブラシを通すたび、いつもより多くの毛が絡みついてくることに、美帆は気づいた。


「紬さん、今日、やけに毛が抜けるんですけど」


「この時期は、そういうものです。夏毛から冬毛に変わる途中なんです」


 紬はそう言いながら、自分が手入れしていたリリーの毛をブラシから取り除いた。抜けた毛は、夏の間よりも明らかに量が多い。


「猫にも、衣替えがあるんですね」


「はい。人間ほどはっきりしていませんが、季節ごとに毛の質が変わります」


 美帆は手元のブラシを見つめた。細くて短い毛の下から、少しふっくらとした産毛のようなものが覗いている。


「これが、冬毛ですか」


「そうです。まだ生え始めたばかりですが、これから少しずつ厚みが増していきます」


 棚の上では、長毛のルーが特に念入りに毛づくろいをしていた。普段より時間をかけている様子に、美帆は思わず声をかけた。


「ルー、今日はいつもより丁寧ですね」


「長毛の子は、生え変わりの時期に毛玉ができやすいんです。放っておくと絡まってしまうので」


 紬はルーの隣に座り、丁寧に櫛を入れ始めた。夏にはブラシに猫パンチを返していたルーが、今日は小さく尻尾を揺らしただけで、されるがままになっている。


「毛玉ができると、どうなるんですか」


「放置すると、皮膚を引っ張って痛みの原因になります。この時期は、いつもより多めにブラッシングの時間を取っています」


「短毛の子は、そこまで気にしなくていいんですか」


「短毛でも、抜け毛の量自体は増えます。ただ、絡まりにくいので、頻度は少し減らせます」


 紬はそう言いながら、ルーの脇の下にできかけていた小さな毛玉を、根気よくほぐしていった。急がず、しかし手を止めることもない、いつもの丁寧さだった。


「痛くないですか」


「痛みが出そうな箇所は、無理に引っ張らず、少しずつほどきます。今日で全部は終わりませんが、それでいいんです」


 美帆はクッキーの方にも手を伸ばした。老猫の毛は薄く、以前より抜ける量も少ないように見えた。


「クッキーは、あまり変わらないみたいですね」


「年を重ねると、毛の生え変わりも緩やかになります。若い子ほど、はっきり変化が出ます」


 午後になると、店の隅に集めた抜け毛が、ちょっとした山になっていた。


「これ、毎年こんなに集まるんですか」


「はい。この時期だけは、掃除の回数を増やしています」


 窓際のハンモックでは、ジョーとベスも普段より念入りに体を舐めていた。近づいて確かめることはできないが、遠目にも毛の色合いが、少しふっくらして見える。


「あの二匹も、冬毛に変わってきているんですね」


「はい。触れられない分、遠くからの観察が頼りになります」


「毛玉ができていても、気づけないんじゃないですか」


「そこが難しいところです。せめて、毛づくろいの様子だけは、毎日欠かさず見ています」


 夕方、掃除を終えた美帆は、集めた抜け毛の量に驚きながら、記録帳にその日の様子を書き留めた。「毛の生え変わり、例年通り始まる」。たった一行だが、これもまた、季節が動いている確かな証拠だった。


 家に帰ると、ピピやきなこもちの毛も、心なしかいつもよりふわりとして見えた。抱き上げると、以前より柔らかく、あたたかい感触が手のひらに伝わってくる。


「この子たちも、冬支度を始めてるんですね」


 誰に言うともなくつぶやくと、腕の中のピピが小さく喉を鳴らした。季節は、猫たちの体の中でも、確かに少しずつ進んでいた。


「ミュルネ、この子たちの毛も、ブラッシングした方がいいですか」


「はい。よろしければ、わたくしがお教えいたします」


 その夜、美帆はミュルネに教わりながら、ピピとヘキの毛を丁寧に梳いた。店で覚えた手順が、家でもそのまま役に立つことに、少しだけ嬉しさを感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。