第39話 木の実が落ちる音
裏庭で、ことりと小さな音がした。
美帆が振り返ると、木の根元に、殻のついた木の実が一つ転がっていた。
「紬さん、今、何か落ちる音がしませんでしたか」
「木の実が落ちる音です。この時期になると、よく聞こえるようになります」
紬は屈んで実を拾い上げ、掌に乗せて美帆に見せた。硬い殻に包まれた、こぶし大の実だった。
「これも、食べられるんですか」
「殻を割れば、中身は食べられます。ただ、猫は食べません。おもちゃにする子はいますが」
言われてみると、以前市場で買った玩具も、木の実の殻を使ったものだった。季節が巡れば、店の玩具も、庭の実りから作られていくのかもしれない。
「音がするのは、今の時期だけなんですか」
「はい。実が熟して、自然に落ちるようになるのが、ちょうど今頃です。風のない日でも、時々こうして落ちてきます」
二人が話している間にも、また少し離れた場所で、ことりと音がした。美帆はそちらを見たが、何が落ちたのかまでは分からなかった。
「見えなくても、音だけで分かるものなんですね」
「慣れてくると、音の大きさで、実の大きさもだいたい分かるようになります」
「紬さんは、いつからそんなに詳しいんですか」
「最初は、私も知りませんでした。何年も同じ庭で音を聞いているうちに、自然と覚えてしまったんです」
紬はそう言って、もう一つ落ちていた実を拾い上げた。さっきのものより、ひとまわり小さい。
「これは、音がもっと軽かったはずですよね」
「はい。よく分かりましたね」
美帆は少しだけ得意な気持ちになった。まだ紬のようには聞き分けられないが、今日一日で、確かに何かを覚えた気がした。
店に戻ると、窓辺にいたビィが、庭の方角に耳を向けていた。
「ビィも、あの音に気づいてるんですか」
「はい。物音に敏感な子です。だからこそ、いい場所を見つけるのも早いんです」
窓際のハンモックでも、ジョーの耳が同じ方向に動いていた。ベスはまだ眠ったままだったが、ジョーだけは、しばらく庭の方角を見つめ続けていた。
「あの子も、音を数えているんでしょうか」
「数えているかは分かりませんが、気にはなっているようですね」
昼過ぎ、美帆は庭の実をいくつか拾い集め、店の隅に小さく飾ってみた。硬い殻の並びを見て、紬が小さく笑った。
「季節の飾りつけですか」
「輪飾りほど立派ではありませんが、今しか拾えないものなので」
「悪くないと思います」
紬の短い返事に、美帆は少しだけ誇らしい気持ちになった。
夕方、家に帰る道でも、同じ音が何度か聞こえた。最初は気にも留めなかった音が、今日一日ではっきりと季節の合図として耳に残るようになっていた。
「ミュルネ、家の庭にも、木の実の落ちる木はありますか」
「ございます。裏の塀際に、古い木が一本」
夕食の後、二人で裏庭に出てみると、暗がりの中でも、時折ことりと音がした。姿は見えなくても、確かに何かが実り、落ちていく。その繰り返しの音だけが、静かな庭に響いていた。
「毎年、同じ時期に同じ音がするんですね」
「はい。木は毎年同じ場所で、同じように実をつけます。変わるのは、それを聞いている側の方かもしれません」
「私も、来年はもう少し聞き分けられるようになりますか」
「一年もあれば、十分だと思います。今日みたいに、気づくたびに耳を澄ませていれば」
ミュルネの声は、いつもよりわずかに弾んでいるように聞こえた。
美帆はその言葉を反芻しながら、もう一度耳を澄ませた。ことり、と遠くでまた音がする。姿の見えない実りの音は、この世界に来てから初めて聞く、静かで確かな季節の便りだった。
美帆はしばらくその場に立ち尽くし、次の音が聞こえるのを、静かに待ち続けた。




