↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/53

第35話 日向

 朝の見回りで、美帆はいつもの棚に日が当たっていないことに気づいた。


「あれ、この棚、いつもは日が当たっているはずですよね」


「ええ。太陽の角度が、少しずつ変わってきているんです」


 紬は窓の外を指した。夏には真上近くにあった光の筋が、今はもう少し斜めから差し込んでいる。


「こんなにも違うんですね」


「その日向に合わせて猫たちも居場所を移動するのです」


 言われてみると、いつも棚の上で丸くなっていたクッキーが、今日は窓際の低い台に座っていた。代わりに、普段はあまり日向を好まないツカサが、棚の端で目を細めている。


「場所の取り合いになったりしないんですか」


「取り合いというより、譲り合いに近いです。日の動きに合わせて、みんな少しずつゆずりあい場所を変えていきます」


 美帆は棚から棚へと目を移した。先客がいる場所には無理に割り込まず、少し離れた場所で新しい日向を見つける猫もいれば、日向がなくなるまで粘る猫もいる。それぞれのやり方があるらしかった。


「無理に場所を奪う子は、いないんですか」


「たまにはいます。そのときは、譲った側が別の日向を探すだけです。争いというほどのことにはなりません」


 紬はそう言ってから、少し声を落とした。


「ただ、あの二匹だけは別です」


 視線の先には、窓際のカウンターがあった。通りを見下ろせる高さがあり、日当たりも良いため、猫たちの間でも特に人気の場所だった。たいていは早い者勝ちで決まり、後から来た猫は少し離れた場所で新しい日向を探す。それでも、ときには二匹が同時に端と端から近づくことがあった。


 今がまさにそうだった。片方の端からルー、もう片方からソラが、同じカウンターへ向かっていた。


 先に上がったのはルーだった。だがソラも歩みを止めず、そのままルーの正面に腰を下ろした。


 低い唸り声が上がった。ルーはその場に寝転んだまま、喉の奥から声を絞り出すように威嚇した。攻めているようでいて、耳は伏せ、体はできるだけ小さく丸めていた。負けを認めながら、それでも場所だけは譲らないという構えだった。


「ルーは、いつもこうなんですか」


「威張っているように見えて、実際はかなり弱腰なんです。でも、退くのも嫌みたいで」


 もともと体の大きいソラは、白と灰色の混じった体を斜めに構え、毛を逆立てて実際より一回り大きく見せていた。低く構えたルーを見下ろすように、じりじりと距離を詰めていった。


「あの二匹は、相性が良くないんですね」


「はい。他の子とはほとんど揉めないんですが、あの組み合わせだけは、たまにこうなります」


 紬はすぐには動かなかった。声の強さと体の向きを見ながら、このまま様子を見るべきか、間に入るべきかを静かに見極めているようだった。


「止めなくていいんですか」


「今はまだ、どちらも本気ではありません。本気になる前の、様子見の声です」


 しばらくして、ソラの唸り声がわずかに高くなった。紬はそこで初めて、二匹の間にそっと体を割り込ませた。手は出さず、ただ視界を遮るように立っただけだった。それだけで、ルーは体を起こし、ソラも毛を寝かせて後ろへ下がった。


「無理に引き離さないんですね」


「引き離すと、余計に意地になることがあります。間に入って、お互いが退く理由を作ってあげるだけで十分なんです」


 ルーは離れた棚へ移り、何事もなかったように毛づくろいを始めた。ソラは残ったカウンターの上で、ゆっくりと体を伸ばして日向に収まった。


 美帆は記録帳に、今日はカウンターでルーとソラが場所を取り合ったことを書き添えた。


「こういうことも、記録するんですか」


「はい。相性は、日向の位置と同じくらい、毎年少しずつ変わっていきますから」


 昼が近づくにつれ、光の筋はさらに移動した。朝は誰もいなかった床の一角に、いつの間にかビィが陣取っている。


「ビィ、そこにいるの珍しいですね」


「あの子は、日向にいる時間が短い代わりに、一番いい場所を選ぶのが上手なんです」


 美帆は記録帳を開き、今日の日向の位置と、そこにいた猫の名前を書き留めた。


「こんな細かいことまで、記録するんですか」


「日向の位置は、季節の記録にもなります。去年の同じ時期のページと見比べると、日の傾きがどれくらい進んだかが分かります」


 紬はそう言って、古い記録帳のページをめくった。一年前の同じ時期にも、同じような書き込みがあった。


「去年も、同じ場所が日向だったんですね」


「はい。ほとんど変わりません。変わるのは、そこにいる猫の方です」


 午後になると、日向は店の奥まで届くようになっていた。ハンはいつもの棚から動かず、光が自分のところまで来るのをただ待っているようだった。


「ハンは、自分から動かないんですね」


「待つことも、日向の取り方の一つです。動く子もいれば、待つ子もいます」


 窓際のハンモックにも、光の筋が届く時間があった。ジョーとベスは、その時間になると決まって場所を少しだけずらし、光の当たる側に体を寄せる。


「あの二匹も、ちゃんと日向を選んでるんですね」


「はい。警戒心の強さと、日向を選ぶ賢さは、別のもののようです」


 夕方が近づき、光の筋がゆっくりと壁の方へ移っていく。最後まで日向にいたビィが、名残惜しそうに体を伸ばしてから、いつもの物陰へ戻っていった。


 美帆は今日一日の日向の動きを、もう一度記録帳で確かめた。同じ光が、朝から夕方まで、店の中をゆっくりと巡っていく。その動きに合わせて、猫たちの居場所も少しずつ移り変わっていた。


「明日は、また少し角度が変わるんでしょうか」


「はい。毎日、ほんの少しずつです。積み重なると、いつの間にか季節が変わっています」


 窓の外はもう夕暮れの色に染まっていた。美帆は記録帳を閉じながら、今日見た光の動きを、来年の同じ時期にも思い出せるだろうかと考えた。


「来年の私は、今日のことを覚えているでしょうか」


「覚えていなくても、記録帳が覚えています。それで十分だと思います」


 紬の言葉に、美帆は小さく頷いた。自分の記憶が薄れても、棚に並ぶ古い記録帳のページが、今日という日をちゃんと留めておいてくれる。そう思うと、少しだけ心が軽くなった。


 美帆は最後にもう一度、日が沈んでいく窓の方を振り返った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。