第32話 秋の実りと輪飾り
通りの店先に、乾いた麦の穂を編んだ輪飾りが並び始めると、秋の実りを祝う季節が来たのだと分かる。
「今年もそろそろですね」
紬がそう呟いたのは、市場に買い出しへ出た朝のことだった。露店には、見慣れない形をした瓜や、赤く熟した豆の房が積まれている。空気にも、夏とは違う乾いた匂いが混ざっていた。
「この輪飾り、店にも飾るんですか」
「はい。毎年、店先に一つ吊るします。豊作と商売繁盛を祝うお守りです」
「可愛らしい飾りがいいですね」
「手作りをするお店も多いのですが、私は作るのが苦手なので購入しています」
「商売繁盛は本当に効くとは思っていません。ただ、この時期はどこの店先にもあるものなので、うちだけ何もないと、かえって目立ってしまいます」
紬らしい理由だと、美帆は思わず笑った。
市場を歩いていると、顔なじみの八百屋の主人が声をかけてきた。
「今年は瓜の出来がいいよ。猫たちのおやつにでもどうだい」
「猫は瓜を食べないと思いますが」
「そりゃそうか。皮の匂いだけでも嗅がせてやるといい。喜ぶ子もいるだろう」
紬は瓜を一つだけ買い、袋に入れた。
市場の奥では、乾燥させた葉束を売る老婆がいた。見覚えのある匂いがして近づくと、猫たちが好んで転げまわる草の一種だった。
「これは、いつもの草と違うんですか」
「同じ株ですが、今の時期に摘んだものは香りが強いんです。秋にしか出回りません」
紬は少しだけ買い求め、大事そうに布に包んだ。
「たくさん買わないんですね」
「強い分、与えすぎるとはしゃぎすぎてしまう子もいます。少しずつ、様子を見ながら渡します」
市場の帰り道、小さな露店に猫のおもちゃを扱う職人がいて、木の実の殻に紐を通しただけの素朴な玩具を並べていた。
「これも、秋にしか売らないんですか」
「木の実が採れる時期しか作れないので。売り切れたら、来年までお預けです」
紬はそのうちの一つを買い、袋に入れた。
買い物を終え、昼過ぎに店へ戻ると、紬は買ってきたものを一つずつ試していくことにした。
まず、葉束を細かくほぐし、小皿に少しずつ分けた。一匹に近づけ、反応を見てから次へ進む。
ある猫は皿に顔を突っ込んで転げまわり、ある猫はひと嗅ぎしただけで興味を失ったように離れていった。奥の棚にいた老猫は、遠くから匂いだけを楽しむように目を細めている。
ハンは匂いを確かめるように鼻を寄せたが、それ以上は近づかなかった。
「ハンは平気なんですね」
「強い匂いがあまり好きではないみたいです。毎年、量を減らして渡しています」
「同じ草でも、好みが分かれるんですね」
「好みだけでなく、量の感じ方も違います。喜んで転がる子が良いとは限りません」
次に、瓜の皮を切り分け、匂いを試しに嗅がせてみた。予想に反して、二匹ほどが熱心に鼻を寄せてきた。
「瓜、好きな子もいるんですね」
「瓜は食べてもあまり問題はありません。好き好んで食べはしませんが消化が悪いので与えるときは細かくするといいです。水分補給にもなります」
最後に、買ってきた玩具を転がしてみると、かさかさと乾いた音がして、何匹かがすぐに反応して駆け寄ってきた。
「音だけで、こんなに集まるんですね」
「季節の音というものが、この子たちにもあるのかもしれません」
夕方になると、紬は玄関先の柱に輪飾りを吊るした。麦の穂と、赤い実のついた小枝を編み込んだそれは、通りに並ぶどの店のものより、ほんの少し小ぶりだった。
「もっと大きい方が、目立っていいんじゃないですか」
「大きさより、毎年ここに飾ってきたことの方が大事です。同じ大きさで、同じ場所に飾ります」
「毎年同じ、というのは、いつから続いているんですか」
「私が来る前からです。誰が最初に始めたのかは、もう分かりません」
通りを歩く人が、輪飾りを見て軽く会釈していく。この時期だけの、ちょっとした挨拶のようなものらしかった。
夜になると、市場のあった広場に小さな灯りがいくつも灯された。収穫を祝う歌が遠くから聞こえてくる。美帆と紬は店じまいのあと、少しだけその灯りを眺めてから帰り道についた。
「毎年、見に行くんですか」
「近くまでは行きます。中までは入りませんが」
「入らないんですか、せっかくなのに」
「代わりに、店の輪飾りを見るだけで十分なんです。毎年同じものを飾っていれば、祭りに行かなくても、季節が巡ったことは分かりますから」
美帆は玄関先の輪飾りを振り返った。小ぶりなそれは、通りの明かりを受けて、麦の穂の色を淡く光らせていた。
来年も、同じ大きさの輪飾りが同じ場所に吊るされるのだろう。そう思うと、まだ知らないはずのこの世界の秋が、少しだけ身近に感じられた。
「来年もまた、一緒に市場へ行けたらいいですね」
「ええ。買うものは、きっとそう変わりません」
紬の返事は素っ気なかったが、その言葉に、美帆は小さく頷いた。
遠くの歌声を聞きながら、美帆はふと、元の世界にもよく似た祭りがあったことを思い出した。提灯の色も、歌の節回しも違うのに、収穫を喜ぶ気持ちだけは、どこか同じもののように感じられる。
「向こうにも、似たような祭りがあったんです」
「そうですか。今度、機会があれば聞かせてください」
紬はそれ以上深くは尋ねず、歩調を緩めることもなく歩き続けた。急かされない距離感が、今の美帆にはちょうどよかった。




