第31話 電池切れ
体重計の記録石が急に光らなくなったのは、朝の見回りの途中だった。
「紬さん、これ、猫が乗っても反応しません」
紬が覗き込むと、記録石はたしかに沈黙したままだった。何度か猫を乗せ直しても、目盛りは灯らない。
「石の中の力が切れかけているんだと思います。たまにあることです」
「充電するみたいなものですか」
「近いです。日に当てておけば、たいてい戻ります」
紬は体重計を外し、窓際の日の当たる場所へそっと置いた。
「石によって、戻る時間が違うんですか」
「はい。古い石ほど時間がかかります。これはもう五年ここにあるので、今日いっぱいはかかるかもしれません」
「他の道具にも、同じ石が使われているんですか」
「体温を測る石や、扉の鈴に使っている石もそうです。どれも仕組みは同じですが、大きさや古さで戻り方が違います」
「じゃあ、いつか全部の石が一度に止まることも」
「ないとは言えません。だから、石だけに頼りきらないようにしています」
その日は仕方なく、奥にしまってあった古い天秤ばかりを引っ張り出すことになった。分銅を乗せ替えては釣り合う位置を探り、目盛りを読んで紙の記録表に書き写す。美帆は、いつもは石が一瞬で終わらせてくれる仕事の重さに気づいた。
「石がないと、こんなに手間がかかるんですね」
「石は、覚えることを手伝ってくれているだけです。見て、書く。本当はそれが基本なので」
昼を過ぎても、記録石はまだ薄暗いままだった。美帆は何度も窓際を覗きに行っては、変化のなさに肩を落とした。
「そんなに気にしなくても大丈夫です。石は急かされても早く戻りませんから」
「待つしかないんですね」
「待つことも、世話の一つです」
夕方になって、紬は美帆に石の様子を見てくるよう頼んだ。
「触っても平気なんですか」
「はい。冷たいままなら、まだ戻っていません。少し温かければ、そろそろです」
美帆は窓際まで行き、恐る恐る石に触れた。ほんのりと温かい。
「温かいです」
「では、試しに乗せてみてください」
美帆は近くにいた猫を一匹抱き上げ、体重計にそっと乗せた。一拍置いて、目盛りがかすかに光る。
「戻りました」
「よかったです。今日の分の記録は、あとで石の履歴と紙の記録、両方を見比べておきます」
「二重に手間をかけるんですか」
「石が正しく直っているか確かめるためです。片方だけを信じないようにしています」
美帆はその晩、家に帰ってから、記録石という道具について自分なりに整理してみた。魔法のような便利さがある一方で、扱いにはやはり人の目と手が要る。石が止まった一日で、そのことがよく分かった。
翌朝、体重計はいつも通りに光った。美帆はそれを見て、少しだけ誇らしい気持ちになった。自分が確かめて、直った石だった。
「昨日は石の代わりに、美帆さんがよく頑張りましたね」
「紬さんの言う通りにしただけです」
「言う通りにできることも、簡単ではありません」
美帆は小さく笑って、いつもの朝の仕事に戻った。棚の上では、今日も猫たちが思い思いの姿勢で朝の光を浴びている。石が光っていてもいなくても、猫たちの一日は変わらず続いていくのだと、美帆は思った。
昼過ぎ、紬が石の履歴と紙の記録を並べて見比べているのを、美帆は横から覗き込んだ。数字はきちんと一致していた。
「合っていましたか」
「はい。どちらも正しく働いていました」
紬はそう言うと、紙の記録の方を、いつもより丁寧にファイルへ挟んだ。石だけに頼らず、人の手で確かめた記録として、その一枚は少しだけ特別な扱いを受けているように見えた。
「この紙は、このまま保管しておくんですか」
「はい。石が正しいと分かった今も、です。手で確かめた記録は、それだけで残す価値があります」
美帆は自分の書いた数字が並ぶその紙を、少し誇らしい気持ちで見つめた。石の光には及ばなくても、そこには確かに、昨日一日分の観察が積み重なっていた。




