新しい家
閉店時間になると、猫たちは人間より先に店の流れを理解した。
セティが食器を片づけ始める。ガルネオが厨房の火を確認する。紬が店内を見回ると、それまで棚で眠っていた猫たちが少しずつ動きだした。
「閉店後に、この子たちはここで過ごすのですか?」
「ええ。この子たちはここで暮らしているわ。自宅にも猫がいるのよ」
壁には、写真と一緒に猫の紹介カードが並んでいた。
『看板猫・譲渡対象外』
そこには、黒い顔と煙のような灰色の長毛を持つビィ、キジトラのクッキー、そしてデンの名前があった。その隣には、リリーを中心とした八匹の家族としてが紹介されている。
「リリー、チャオ、チャコ、クー、ムー、よしお、白、りゅう。この八匹は一緒に保護された家族なんです」
「みんな、ここで暮らすんですか?」
「ええ。里親を募集している子もいますが、この子たちは看板猫として、これからもここで暮らします」
灰褐色のキジ柄をしたリリーは、少し離れた棚から家族を見渡していた。長老と聞いていたせいか、その姿には店内を見守っているような落ち着きがある。
カードの前で、美帆の足へ何かが触れた。
振り返ると、キジトラの雌猫が座っていた。右目は閉じているのではなく、眼球そのものがなかった。
「この子、目が……」
「テプです。右目はありません。でも、今痛いわけではありませんよ」
美帆が心配している間に、テプは前脚を美帆の膝へかけようとした。
「乗りたいみたいですね」
椅子へ座ると、テプは慣れた動きで膝へ乗った。
「見えにくくないんですか?」
「左目は見えていますし、店の中も覚えています。もちろん配置を急に変えないなどの配慮はしますが、テプにとってはこれが普段の暮らしです。昔は両目がみえない子もいたわ」
テプは美帆の心配を気にした様子もなく、膝の上で丸くなった。
「クッキーも、リリーも、テプも、初めての人の膝に乗るのが好きなんです」
「猫って、もっと警戒するものだと思ってました」
「警戒する子もいますよ。猫によって違います」
紬は、少し離れた棚の奥を指した。
暗い隙間から、二つの目だけがこちらを見ている。
「あの子は、まだ人の近くへ来ません。近づかないことが、今できるお世話です」
触ることだけが猫とのふれあいではない。
美帆は今日一日で、それを何度も教えられた気がした。
片づけが終わり、紬に案内されて店の裏口から外へ出る。短い渡り廊下の先に、二階建ての家があった。
「店とつながっているんですね」
「何かあったとき、すぐ行けるようにね」
玄関を開けると、小柄な女性が待っていた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、ミュルネ。今日からしばらく一緒に暮らす、美帆さんです」
「お部屋の支度は整っております」
「ありがとう。先にお部屋へ案内するわね」
ミュルネはこの家に宿る精霊で、住人の食事や洗濯、掃除を担っているという。
もう驚かない。
案内された二階の部屋には、ベッドと机、衣装棚があった。家具は少ないが、きれいに整えられている。
スマホの充電は……できそうにない……。
そして部屋の隅には、猫用トイレと爪とぎ、柔らかな毛布を入れた箱まで置かれていた。
「あの、このトイレや毛布は?」
「入ってまいりますので」
ミュルネが答えた直後、開いた扉の隙間から三毛猫が入ってきた。
「その子はピピです。三毛柄の女の子ですよ」
紬が名前を呼ぶと、ピピは返事をするように尾を立てた。そのまま部屋を一周し、美帆より先にベッドへ上がる。
「本当に入ってきた……」
さらに廊下にいる猫を紹介された。キジ柄の長い毛をまとったヘキと、茶白のきなこもちが座っていた。二匹の後ろから、三毛猫のキットカットも顔だけをのぞかせている。
きなこもちは美帆の足へ体を擦りつけ、ヘキは少し離れた場所から様子を見ている。
「同じ猫でも、全然違うんですね」
「美帆さんが近づくと、ヘキは離れるかもしれません。今日は見ているだけにしましょう」
「はい」
美帆が視線を外すと、ヘキは一歩だけ部屋へ入った。
「そろそろ夜ごはんの準備ができたから食堂へいきましょうか」
美帆、紬、セティ、セン、ミュルネ、デンがそろった。デン用の場所には、体の大きさに合わせた深い皿が置かれている。
美帆は料理を取り分けてもらいながら、席を見回した。
「皆さん、ここで一緒に暮らしているんですか?」
「調理をしてくれたガルネオさんはご自宅へ帰りますが、今ここにいるみんなは、この家で暮らしています」
紬が答えると、セティが姿勢を正した。
「改めてご説明いたします。私は人間ではなく、魔力を動力とする魔法生命体です」
「魔法生命体……」
言われてみれば、セティの動作はあまりにも正確だった。料理を取り分ける手にも迷いがなく、皿の位置まできれいにそろっている。
「以前の私は、街外れの廃棄場で動けなくなっていました。そこを紬さんに発見していただき、壊れていた魔力の核を治していただいたのです」
「治したと言っても、応急処置をしただけです。その後は治療師さんや技師さんにも助けてもらいました」
「それでも、最初に私を拾い上げてくださったのは紬さんです」
セティはそう言って、紬へ静かに頭を下げた。
「回復してから、セティがここで働きたいと言ってくれたんです。住む場所もなかったので、うちの一部屋を使ってもらっています」
「食事を必要としない日もありますが、皆様と食卓を囲むことは好ましいと感じています」
「食べなくても平気なんですか?」
「魔力があれば活動できます。ただ、味や食感を楽しむ機能はあります」
セティはスープを一口飲み、ほんの少し目元を緩めた。
「本日のスープも、大変好ましいです」
次に美帆がセンを見ると、犬の耳がわずかに動いた。
「センも、この世界では珍しい種族なんですよ」
紬の言葉に、センが小さく唸る。
「ツムギ、自分で言える」
「そうね。ごめんなさい」
センは美帆へ向き直った。
「オレはフェンリルだ。今は、この姿で店の仕事をしてる」
「フェンリルって……大きな狼の?」
「だいたい合ってる。本当の姿だと店に入れナイ、客も猫も驚くからナ」
センは別の国から来たという。故郷が大きな災害に遭い、長い間ひとりで各地をさまよっていた。デンとはその頃からの知り合いで、再会したことをきっかけに、この店へ来たらしい。
「最初はしばらく休むだけのつもりだったんだけどね」
紬が笑う。
「ツムギが、いてもイイと言った。猫たちも、ここにいてイイと言った。だからいる」
「猫たちが?」
「言葉で言ったわけではナイ。逃げずに、隣で寝た」
センは少しだけ胸を張った。
「今はホールの手伝いと、外へ猫を保護しに行くときの護衛をしてもらっています」
「力仕事もできる。走るのも速い」
「あと、閉店後に余った料理を見つけるのも速いですね」
セティが付け加えると、センの耳が横へ倒れた。
「それは言わなくてイイ」
美帆は思わず笑った。
セティもセンも、紬に助けられたからここにいる。ただ保護されたままではなく、それぞれが自分で役割を選び、この家で暮らしているのだ。
美帆は食べ終わると、すぐに皿を持って立ち上がった。
「洗います」
「今日はいいですよ」
「でも、泊めてもらうのに何もしないのは」
「美帆さん」
紬に名前を呼ばれ、美帆は動きを止めた。
「ここにいるために、今すぐ役に立とうとしなくても大丈夫です」
「……でも」
「今日は休むことが仕事です」
そんなことを言われたのは初めてだった。
美帆が皿を置くと、向かいにいたセンが口を開いた。
「ツムギは、困っているやつを放っておけナイ」
「セン」
「でも、美帆が迷惑だと言ってるんじゃナイ」
センは視線を逸らした。
「ワシも、ここに置いてもらったからナ」
「センさんも?」
「センでイイ」
それだけ言い、センは食事へ戻った。
歓迎されているのかは分からない。それでも、最初より表情が柔らかく見えた。
部屋へ戻る前に、セティが紐のついた猫じゃらしを手渡してくれた。
「ピピが遊びたがるかもしれません。ただし、遊び終わったら引き出しへしまってください」
「出したままでは駄目なんですか?」
「紐が体へ絡んだり、噛み切って飲み込んだりする可能性があります。人が見ているときだけ使う方が安全です」
「分かりました」
部屋では、ピピが枕の上を占領していた。
猫じゃらしを振ると、きなこもちが真っ先に飛びつく。ピピも遅れて参加し、二匹が空中でぶつかりそうになった。
ヘキは椅子の下から見ているだけだった。
しばらく遊び、美帆は言われたとおり猫じゃらしを引き出しへしまった。
布団へ入ると、ピピは枕元、きなこもちは足元で丸くなった。ヘキは椅子の下にいる。
静かになると、考えないようにしていたことが戻ってきた。
高校。親戚。荷物。地球。
自分がいなくなったことに、気づく人はいるのだろうか。
ここへ残って、本当にいいのだろうか。
目の奥が熱くなった。
そのとき、ピピが喉を鳴らした。
手を伸ばすと、逃げずに額を押しつけてくる。
美帆はその温かさに触れながら、いつの間にか眠っていた。
翌朝。
胸の重さで目を覚ます。
ピピだけではない。きなこもちが腹の上に乗り、足元には短い尻尾をした黒猫まで増えている。昨夜、紬から聞いた名前を思い出す。たしか、コイルだ。
「重い……でも、動けない……」
扉が開き、デンの大きな顔がのぞいた。
「起きたカ。今日は王サマに会いに行くゾ」
「王様?」
「ソイツも地球から来た人間ダ」
紬より先にこの世界へ来た日本人。
しかも、美帆たちと同じ地球の日付から来て、この世界ではすでに三十年を過ごしているという。




