第28話 秋雨と雨宿りの猫
昼過ぎになって、空の色が急に変わった。
さっきまで白かった雲が、灰色を通り越して青みがかった色に変わっていく。窓際にいた猫たちが一斉に顔を上げたのを見て、美帆も外を振り返った。
「紬さん、空の様子が」
「秋の通り雨が来ますね。この時期は、こういう雨がよく降ります」
紬は慌てる様子もなく、開けていた窓を一つずつ閉めて回った。美帆も手伝おうとしたが、急ぐあまり窓枠に指を挟みそうになり、そっと手を止められた。
「窓は焦らなくても大丈夫です。降り出すまでには、まだ少し時間がありますから」
「こちらの秋は、天気が変わるのが早いんですね」
「山の向こうに雲をためこむ場所があるそうです。ためこみきれなくなると、こうして一気に流れてくるんだとか」
遠くで低い音が響いた。雷というより、地面ごと揺れるような重い音だった。言い終わらないうちに、大粒の雨が屋根を叩き始める。あっという間に、窓の外の景色が白く滲んだ。
店の中の猫たちは、それぞれ違う反応を見せた。茶トラの一匹はソファの下に潜り込み、奥の棚では丸くなったまま片耳だけをこちらへ向けている猫もいる。窓辺にいる白黒の猫は、動じることなく座ったまま、落ちてくる雨粒を目で追っていた。
「あの子は平気そうですね」
「ハンです。何度も雨を見てきているので、驚かなくなったんだと思います」
「怖がっている子もいれば、平気な子もいるんですね」
「毎年この時期は同じです。慣れているようで、慣れない子もいます。慣れは、無理に教えるものでもないので」
雨が本降りになると、店の中の空気も少しずつ冷たくなっていった。美帆は思わず二の腕をさすった。
その時、入り口の軒下に、灰色の猫が一匹うずくまっているのに美帆は気づいた。見覚えのない猫だった。
「紬さん、外に」
「ええ、見えています」
「中に入れなくていいんですか。こんなに降っているのに」
「雨宿りに来ただけだと思います。無理に招き入れると、かえって怖がらせてしまうことがあります」
紬はそれ以上動かず、扉のガラス越しに灰色の猫を眺めていた。猫は体を小さくまとめ、時折こちらへ視線を向けるだけで、鳴き声も上げなかった。
「知らない猫でも、放っておいていいんですか」
「放っておくのではなく、選ばせているんです。ここへ入るかどうかは、あの子が決めることです」
「見ているだけで、寒くないんでしょうか」
「濡れるよりはましだと、あの子自身が選んでいるんだと思います」
美帆はハンのいる窓辺と、軒下の灰色の猫を見比べた。同じ雨の中でも、慣れた場所にいる猫と、慣れない場所を選んだ猫とでは、体の丸め方まで違って見える。
雨は小一時間ほどで弱まった。灰色の猫は、雨の勢いが落ち着くと同時に、軒下から離れて路地の奥へ歩いていった。振り返ることはなかった。
「行っちゃいましたね」
「ええ。でも、次にまた降られたときは、ここを覚えているかもしれません」
雨上がりの空気は、来たばかりの頃には気づかなかった匂いを含んでいた。甘さと青さが混ざったような香りで、紬に尋ねると、近くに群生するアオイトゲという花が、雨のあとだけ強く香るのだと教えてくれた。
「一年中は嗅げない匂いなんですね」
「そうです。この時期の、この雨のあとだけです」
美帆は軒下に残る小さな足跡を見つめた。灰色の猫がいた場所には、まだ湿った跡がうっすらと残っている。
窓辺の猫たちは、いつの間にか元の場所に戻り、何事もなかったように毛づくろいを始めていた。ソファの下に隠れていた茶トラも、そっと顔だけを覗かせている。ハンだけは、雨が止んだあとも、しばらく窓の外を見つめ続けていた。
特別な出来事があったわけではない。ただ、いつもより少しだけ長く、美帆は軒下の湿った跡を眺めていた。




