第25話 ジョーとベスが来た日
閉店前、最後の客が帰ると、猫しか通れない小さな出入口からジョーが顔を出した。
美帆が通路の真ん中にいることに気づくと、ジョーは出てこない。美帆が壁際へ寄り、視線を外すと、ようやく床へ降りた。少し遅れてベスも続く。
二匹は同じ道を通り、窓辺の棚へ上がった。
ジョーは棚の上から、美帆を見下ろしていた。
美帆が一歩近づくと、キジ柄の体が奥へ下がる。隣にいたベスも、ジョーの後ろへ移動した。
「ずっと店にいるのに、まだ怖いんでしょうか」
「人がいる場所で暮らせることと、触られることを受け入れるのは別です」
紬は、二匹がオハナへ来た日の記録を取り出した。
まだ店が地球にあったころの話だ。
記録には、住宅の裏手を写した写真が挟まれていた。植木鉢と古い物置、その陰からこちらを見ている四組の目。
「ここからは、私が見た昔の話よ」
紬の指が、写真の中の母猫を示した。
高齢の人が、自宅の近くへ来る母猫と子猫へ食事を与えていた。母猫はメグ。子猫は三匹。生後三か月のころ。ジョー、ベス、そして末っ子のエイミー。
その人が施設へ入ることになり、毎日の食事を続けられなくなった。
「餌をあげる人がいなくなったら、猫たちはどうなるんですか」
「別の人が世話を引き継げればよいですが、今回は難しかったんです」
食事を与えていた人しか、正確な頭数を知らなかった。近所の人は「二匹くらい」「黒っぽい猫もいた」と話すだけだった。
紬たちは何日か現場を観察した。食事へ来る時刻、隠れ場所、母猫と子猫の動き。四匹全員がいることを確かめる。
日中には一匹も見えない日があった。それでも、置いた食事だけは朝までになくなる。足跡の向きや、近所の人が見た時刻を記録し、夕方から物置の陰で待った。
メグは最初に姿を見せても、すぐ食事へ近づかなかった。周囲を一周し、子猫たちが隠れている方を何度も振り返った。その後ろからジョー、ベス、エイミーが順に現れる。
四匹を一度に見られたことで、ようやく「たぶん四匹」ではなく、守るべき四匹の名前と姿がそろった。
「一匹ずつ捕まえなかったんですか?」
「先に一匹を捕まえると、残りが警戒して近づかなくなることがあります」
用意したのは、家族全員が入れる大型の罠だった。中へ食事を置き、四匹がそろって入るまで扉を落とさない。
最初の日、メグだけが入口まで来て戻った。
二日目、ジョーとベスが中へ入ったが、エイミーが離れていたため作動させなかった。
食事を夢中で食べる二匹を見ながら待つのは、紬にも苦しかったという。今なら扉を閉められる。けれど閉めれば、外に残ったエイミーとメグは罠を警戒するかもしれない。
その日は捕まえたい気持ちを抑え、四匹が去るまで見送った。
三日目。メグが周囲を確かめ、三匹の子猫が後に続いた。
四匹すべてが中へ入る。
罠の扉が閉じた。
金属音に驚き、猫たちは中で逃げ場を探した。紬たちはすぐ布をかけ、刺激を減らした。
布の内側から、爪が金網へ当たる音がした。写真の前に座る美帆には、その音まで聞こえたような気がした。
「一緒につかまってよかったですね」
「そうね。取り逃がすと二度とこなくなる可能性もあります。怖い思いをさせずに保護できれば一番です。でも、外へ残せば、食事も安全な寝場所もなくなる状況でした」
捕獲は、猫を罰するためではない。安全な場所へ移し、治療と食事へつなぐための手段だった。
店へ到着しても、四匹は互いから離れなかった。メグが奥へ入れば子猫も奥へ行き、メグが人へ威嚇すれば子猫たちも身を固くした。
紬は籠を開けても、出るようには促さなかった。水と食事、四匹が入れる隠れ箱を近くへ置き、人が部屋を出てから自分たちで移動するのを待った。
翌朝、食事はなくなっていた。誰がどれだけ食べたかは分からない。それが、四匹を一匹ずつ観察する新しい仕事の始まりだった。
「だから、ジョーとベスは今も一緒にいるんですね」
「一緒に保護された記憶が、今の行動へどこまで影響しているかは猫に聞けません。ただ、二匹が互いの近くを選ぶことは尊重しています」
現在のジョーが棚から降りた。美帆を避けるように大きく回り、猫専用スペースへ向かう。
ベスも同じ道を通った。
触れさせてはくれない。それでも二匹は、食事の時間と安全な通り道を知っている。
大型の罠が閉じた日は、二匹の自由を奪った日ではない。
食事を失うはずだった四匹の暮らしを、次の日へつないだ日だった。
窓の外で夕刻を知らせる鐘が鳴った。
現在のジョーとベスは、同時に耳を動かした。ベスが先に棚から降り、ジョーがその後を追う。
美帆は手を伸ばさなかった。
「ジョー。ベス。ごはん、置いておきますね」
二匹は振り返らない。それでも、逃げ込むのではなく、自分たちの速さで猫専用スペースへ歩いていった。
大型の罠へ入った日の恐怖を、二匹が今も覚えているかは分からない。
分かるのは、今夜も二匹が同じ道を選び、安全な場所で食事を待っていることだった。




