第24話 雨の日の自宅猫
市場へ行く予定だった朝、窓を打つ雨音で美帆は目を覚ました。
石畳が白く煙るほどの雨だった。紬は外を見て、買い出しを翌日へ延ばすと決めた。
「今日は何をするんですか?」
「この雨の中では出かけるのは大変なのでゆっくちと家で過ごしましょう」
何もしない休日のように聞こえたが、朝の給餌と掃除はいつもどおりだった。
薄い三毛のピピは、美帆が敷物を替えるそばから新しい方へ座った。キジの長毛をまとったヘキは、雨の見える窓辺から動かない。
「ヘキ、毛が少し固まっています」
脇の下に、小さな毛の絡まりがあった。
美帆が櫛を持つと、ヘキは耳を横へ向けた。
「全部取らなくてもいいのよ」
紬は、まず背中の触れられる場所を短く梳いた。脇へ移る前にヘキが尾を強く振ったため、その日はそこで終える。
「残っていても、やめるんですか?」
「嫌がっているのに続ければ、次は櫛を見ただけで逃げるかもしれないでしょう」
一度で終わらせることより、次も手入れできることが大切だった。
櫛を片づけたあと、美帆は絡まりの場所と大きさを記録した。明日も同じなら少しずつほどき、皮膚が赤い、触ると痛がる、毛玉が固く広がるようなら無理をせず相談する。
「家の猫でも記録するんですね」
「毎日一緒にいると、昨日との違いを覚えているつもりになりやすいものよ」
雨の日も晴れの日も続く小さな記録が、変化を見つける助けになる。
白い体で頭と尾にキジ柄を持つゆきのじは、窓の雨粒を前脚で追っていた。黒猫のコイルは、その後ろで短い尾を小刻みに動かしている。
「コイル、怒っていますか?」
「尾だけでは決められないわ。耳や体の力、声も見て」
耳は前を向き、体も固くない。次の瞬間、コイルは雨粒を追うゆきのじへ飛びつき、二匹で廊下を走っていった。
外へ出られないから退屈しているのでは、と美帆は羽根のついた玩具を持ち出した。床で小さく動かすと、ゆきのじはすぐ物陰へ身を低くする。コイルは椅子の陰から短い尾だけを見せた。
一方、ピピは見向きもしない。ヘキは高い場所から目で追うだけだった。
「全員を同時に遊ばせなくてもいいんですか?」
「遊び方も休み方も、それぞれだから」
美帆は二匹と短く遊び、息が上がる前に玩具を止めた。最後に捕まえさせ、誤って飲み込まないよう羽根を戸棚へしまう。出しっぱなしにしないことも遊びの一部だった。
昼過ぎには雨がさらに強くなった。
ミュルネが温かい飲み物を用意し、美帆は窓辺へ座った。ピピは膝へ乗らず、隣のクッションを選ぶ。ヘキは棚の上、ゆきのじは窓、コイルは椅子の下。
同じ部屋にいても、全員が人のそばへ集まるわけではない。
美帆が本を開くと、ピピが紙の上へ片方の前脚を置いた。撫でようとすると、前脚を引いて隣へ移る。
「邪魔はするけれど、触られたいわけではないんだ」
声をかけると、ピピはゆっくり瞬きをした。美帆も同じように目を細め、本を少し横へずらした。
「猫と過ごす日って、もっと遊んだり、ずっと撫でたりするものだと思っていました」
「同じ家で別々のことをしている時間の方が、ずっと長いかもしれないわね」
窓の外に、雨粒ほどの小さな光が集まった。この世界では雨を好む精霊だという。ゆきのじが目で追うと、光はガラスの向こうを上へ流れていった。
夕方、雨が弱くなる。
トイレをもう一度確認すると、使った形跡は普段どおりだった。雨音や気圧の変化で、隠れる時間や眠る場所が変わる猫もいる。食欲が落ちていないか、吐いた跡がないかも確かめる。
ヘキは朝と同じ棚にいたが、体の向きが変わっている。ゆきのじとコイルは走り疲れ、少し離れた敷物で眠っていた。
濡れた石畳に街灯石が映り、道が淡い銀色に見えた。
美帆は結局、一日どこにも出かけなかった。特別な事件も、新しい謎もなかった。
ヘキの毛を少しだけ梳き、ピピと同じ窓を眺め、ゆきのじとコイルが走る音を聞いた。
何も起きなかったのではない。
猫たちがそれぞれ好きな場所で過ごし、いつもの量を食べ、いつものように眠った。
それを見届ける一日も、猫との暮らしなのだと美帆は思った。




