第22話 よもぎとこごみの健康手帳
朝の光が、猫部屋の高い棚を端から順に照らしていた。
白い体を二つ並べて座っているのは、よもぎとこごみだ。美帆には、薄茶色の耳も青い目も、同じように見える。
「こっちが、よもぎ。こちらが、こごみです」
紬が迷わず名前を呼ぶと、二匹はほとんど同時に顔を上げた。
よもぎとこごみは、白い体にポイント模様を持つ雄猫だ。同じ日に生まれた兄弟で、並んで座ると初めて見る人にはよく似て見える。
「紬さんは、すぐに分かるんですね」
「顔を見れば分かるわ」
美帆は二匹の顔を交互に見た。
耳の色、目の周りの模様、鼻筋に入る白の幅。よく見れば表情も違う。写真の一部分だけで決めるより、正面から顔全体を見る方が紬には分かりやすかった。
「この二匹だけでなく、似た柄の子たちも顔で見分けるんですか?」
「ええ。毎日見ていると、目の形や頬の丸さ、耳の向きまで違って見えるの。柄は手掛かりの一つだけよ」
今日は二匹の健康確認の日だった。
この世界で作り直した体重計には、小さな記録石が埋め込まれている。猫が乗ると目盛りが淡く光り、前回との差も表示された。ただし、乗っている猫が誰なのかまでは教えてくれない。
「名前も表示されると便利ですよね」
「流石にそこまでは分からないわ。目印になるなにかがあるとわかるようになるかもしれないけれども」
体重、食欲、排泄、被毛、口元、歩き方。似ている兄弟でも、記録は一匹ずつ分ける。どちらかが食べなかったとき、「二匹のうち一匹」としか分からなければ、小さな体調変化を見逃してしまう。
美帆はよもぎの健康手帳を開いた。
「お母さんは、つばきなんですね」
「そう。もう一匹、フキという妹猫もいたの。フキは新しい家族のもとへ譲渡されたわ」
よもぎ、こごみ、フキ。
三匹はつばきから生まれた。父猫はシャカだ。
「シャカは、もう一組の子猫たちのお父さんでもあるんですか?」
「ええ。同じ月に、サラも三匹を産んだの」
サラの子は、タラ、つくし、わらび。
けれどタラは、生まれて数日後に亡くなった。つくしとわらびは育ち、のちにそれぞれ新しい家族のもとへ譲渡された。
同じ月に二匹の母猫から、合わせて六匹の子猫が生まれた。同じ父猫を持つ、二組のきょうだいだった。
生まれたのが4月だったので春の山菜から名付けたらしい。
手帳には、生きて店に残った猫だけでなく、譲渡された猫や亡くなった猫の名前も記されている。
「タラの記録も残すんですね」
「短い命でもここにいたのは事実だから」
紬は静かに答えた。
健康確認を始めると、よもぎは体重計の上からすぐ降りようとした。こごみは箱へ入ったまま動かない。
「行動も違いますね」
「でも、それだけで見分けるのは危ないわ。今日はいつもと違う行動をすることもあるから」
紬は二匹を急がせず、一匹ずつ顔を確かめてから記録した。
よもぎは前回とほぼ同じ体重。こごみも大きな変化はない。耳、目、鼻、口元を見て、体に触れ、嫌がる前に手を離す。
食事の確認では、皿を少し離して置いた。
よもぎが先に食べ始め、こごみは周囲を見てから口をつけた。途中で場所を入れ替わろうとしたため、美帆がそっと皿の位置を戻す。
「二匹とも食べた、では足りないんですね」
「そう。一匹ずつ、どのくらい食べたかが大切よ」
名前を取り違えれば、食欲の低下も、体重の変化も、必要な薬も別の猫の記録になってしまう。
だから紬は、似た猫を模様だけで分類しなかった。顔を見て名前を呼び、その日の体調まで一匹ずつ確かめる。
確認が終わると、よもぎとこごみは同じ棚へ上がった。体を寄せて座る姿は、やはり初めて見る人にはよく似ている。
「お客さまには、どう説明しますか?」
「分からないときは、感でよばず決めずスタッフへ聞いてください、と伝えるわ。それから、何度も顔を見てもらうの」
美帆は二匹の前にしゃがんだ。
「よもぎ」
右側の猫が瞬きをした。
「こごみ」
左側の猫が耳をこちらへ向けた。
一度で完璧に覚える必要はない。間違えたら、もう一度顔を見る。
つばきの子として生まれたよもぎとこごみ。新しい家へ行ったフキ。サラの子として生まれたタラ、つくし、わらび。そして二組の父親であるシャカ。
一匹ずつの名前と顔を覚えることは、その猫が生きてきたつながりを覚えることでもあった。
夕方になると、窓辺へ差す光が青みを帯びた。
二匹は同じ棚にいたが、よもぎは通りを進む角馬の荷車を目で追い、こごみは前脚へ顔を伏せている。
「よもぎ」
荷車を見ていた顔がこちらを向く。
「こごみ」
伏せていた片耳だけが美帆へ動いた。
朝にはよく似た二匹にしか見えなかった。それでも今は、同じ光の中に、それぞれ違う一日を過ごした二匹がいるように思えた。




