猫用のうつわ
休業日の朝、美帆は欠けた食器を布に包んだ。
「これも持っていくんですか?」
「同じ深さの器を探す目安になるでしょう」
紬と市場へ向かう道はもう何度も通った。パン屋の角を曲がり、共同井戸を過ぎ、花の吊り看板を目印に右へ進む。街になれた美帆は道を間違わず陶器通りまで歩けた。
店先には、赤、青、若草色の皿が並んでいる。鳥の羽を思わせる模様や、熱を保つ小さな術式が刻まれた器もある。
「猫用なら、これがかわいいです」
美帆が肉球模様の深い器を持ち上げると、紬は横から中をのぞいた。
「顔を入れたとき、縁がひげに触れやすそうですね」
「ひげが触れると駄目なんですか?」
「気にしない子もいますが、浅くて広い器を好む子もいます」
陶器店の主人は、小さな角を額に持つ女性だった。二人の話を聞き、首を傾げる。
「猫というのは、器まで選ぶのかい?」
「選ばない子もいます。でも、器を替えたら食べなくなる子もいます」
紬が答えると、主人は面白そうに棚から何枚も出した。
浅い皿。重くて動きにくい水入れ。台へ固定できる器。底へ魚の絵が描かれたもの。
紬は一枚ずつ、指で表面を確かめた。飾りの盛り上がりや細かな溝は、食べ物が残りやすい。釉薬のかかっていない素焼きは水を吸うため、毎日の飲み水には手入れが難しい。
「金属や木の器では駄目ですか?」
「必ず駄目ではありません。傷がつきにくいか、匂いや汚れが残らないか、猫が嫌がらないかで考えます」
陶器なら何でも安全というわけでもない。主人は、食器用として焼いた品と、飾り用で顔料の異なる品を分けて見せてくれた。
「これは、食べ物が冷めない術式付きだよ」
「洗うとき、溝に汚れが残りませんか?」
紬が縁の細工を指でなぞる。
便利な魔法でも、毎日清潔にできなければ猫用には向かない。綺麗な装飾は欠けやひびが付きやすい。それは口を傷つけることがある。軽すぎる器は食べるたび動いてしまう。
美帆はクッキーの顔を思い浮かべ、浅い青色の器を選んだ。緑色の目にも似合いそうだった。
「色は猫には関係ないんじゃないかい?」
「これは私の好みです」
そう答えると、主人が笑った。
よもぎとこごみには、同じ形で縁の印だけが違う二枚を選ぶ。見た目が似ていても、食事量を一匹ずつ確認できるようにするためだ。
「同じ皿なら、途中で入れ替わったら分からないんじゃないかい?」
「だから、食べている間は人が見ます」
よく似た二匹でも、美帆たちは顔で見分ける。器の印は人の記録を助けるもので、猫そのものを見る代わりではなかった。
高齢猫には、首を深く下げずに食べられる台も探した。ただし高さがあれば必ず楽とは限らない。足腰や食べる姿勢を見て調整できるよう、台と皿を別々に選ぶ。
「猫の器を一つ買うのに、こんなに考えるとは知らなかったよ」
主人は感心したように言い、欠けた器を引き取った。同じ土で試し皿を作るとき、縁の高さを少し変えてみるという。
帰り道、美帆は器の入った籠を両手で抱えた。角馬の荷車が近づくと壁際へ寄り、揺れが収まってから歩き出す。
店へ戻り、洗った器を並べた。
新しい器は、買ってすぐ使わない。欠けやざらつきがないか明るい場所で確かめ、よく洗い、十分にすすぐ。紬は布で拭いたあと、縁をもう一度指でなぞった。
「店で見たときは平らだと思ったのに、少し揺れます」
「台との相性ね。下へ滑り止めの布を敷きましょう」
食べるたび器が音を立てれば、それを怖がる猫もいる。ほんの少しの傾きでも、水がこぼれたり、食べにくくなったりする。
「クッキー、これはどう?」
美帆は青い器へ水を入れた。
クッキーは近づき、縁の匂いを嗅いだ。飲むかと思ったが、そのまま隣に置かれた古い白い器へ移る。
「せっかく選んだのに」
青い器へ顔を入れたのはテプだった。迷わず水を飲み、前脚についた一滴を振り落とす。
「テプが使ってくれました」
「誰のために選んでも、本人が決めるとは限りません」
よもぎとこごみの器は、二匹が途中で場所を入れ替わった。美帆は慌てず、どちらがどれだけ食べたかを見守った。
こごみがよもぎの皿へ顔を入れると、美帆は二匹の間へ別の空皿をそっと置き、動線を分けた。すぐに離すのではなく、互いに落ち着いて食べられる距離を作る。次からは、最初から器をもう少し離すことにした。
市場で猫に合う器を選ぶことはできる。
けれど、最後に使うかどうかを決めるのは猫だった。
閉店後、クッキーは青い器の前へ戻ってきた。美帆が期待して見ていると、器ではなく、その隣へ腰を下ろす。
クッキーが気に入る日は、まだ先らしい。
かわいさで選んだ一枚も、使う猫が変われば役割が変わる。明日は誰が水を飲むのか。それを確かめるところまでが、器選びだった。




