休日
猫カフェがお休みの日は、朝は少し長く眠れる。
そう思っていた美帆は、胸の上にかかる重みで目を覚ました。
薄い三毛柄のピピが、美帆を見下ろしている。枕元にはキジの長毛をまとったヘキ。廊下では茶白のトトが、閉じた扉へ向かって鳴いていた。
「まだ早いよ……」
布団を引き上げても、ピピは降りない。
扉の外から紬の声がした。
「お店は休みでも、猫たちの朝ごはんは休みにならないわよ」
時計を見ると、普段の給餌時刻だった。
顔を洗った美帆は、自宅猫の食器を並べた。全員が決められた皿へ向かうわけではない。別の猫の食事を狙う子を見守り、薬が必要な猫は食べたことを確かめる。
店へ移動すると、クッキーが受付の椅子で待っていた。
「クッキーさん。今日はお客さまは来ないんですよ」
少しこちらを見たがそのまま寝てしまった。
「クッキーには関係ないみたいね」
給餌、水の交換、トイレ掃除、体調確認。看板を出さず、客席を整えなくても、猫の世話はいつもどおりだった。
食器を片づけたあと、美帆は一匹ずつ朝の様子を記録した。クッキーは完食。リリーも食欲あり。右目のないテプは、左側から近づいて声をかけてから口元を確かめる。高い棚にいるビィは、長い灰色の毛の間へ食べこぼしがついていないかを見る。
「休みの日も、記録するんですね」
「営業日だけ元気ならよい、というわけではないでしょう?」
客がいない日は、普段見えにくい行動を確認できる日でもあった。
その代わり、店内には普段と違う静けさがあった。人がいないと、猫専用スペースから福たちが早めに出てくる。ハルも福の後ろからカフェエリアをのぞいた。
昼前に作業が終わると、紬が外套を手渡した。
「街を見に行きましょうか」
美帆は、店と家の周囲以外をほとんど歩いたことがなかった。
表へ出ると、石畳を掃く箒の音がした。向かいの店には、文字ではなく大きな靴を描いた吊り看板が揺れている。その隣は薬草、さらに先にはパンの絵。
「字が読めなくても、何のお店か分かるんですね」
「いろいろな種族や土地の人が来る街だから、絵の看板が多いの」
大通りを、短い角を持つ大きな獣が歩いてきた。背中は馬より幅があり、花籠を積んだ荷車をゆっくり引いている。
「あれが角馬ですか?」
「ええ。力が強くて、おとなしい子が多いのよ」
車輪が石畳の継ぎ目を越えるたび、花籠が小さく揺れた。
市場広場には、野菜、布、陶器、薬草の店が並んでいた。耳の長い人が香辛料を量り、鱗のある腕をした職人が鍋を磨いている。遠くの高台には、白い城の塔が午後の光を受けていた。
広場の端では、共同馬車の御者が行き先を書いた色札を掲げていた。文字を読めない美帆にも、城門行きは白、職人街行きは赤と分かる。角馬は出発を待ちながら、敷かれた干し草をのんびり食べていた。
「竜が空を飛ぶ乗り物もあるのかと思っていました」
「北の山には翼竜がいるそうだけれど、この街の日常の足は角馬と徒歩ね」
「猫を運ぶ時も徒歩か馬車なんですね」
「移動は短く、静かで、安全な方がいいもの」
異世界らしい珍しさより、暮らす動物に無理がないことを紬は先に考えていた。
美帆が想像していた異世界は、魔法と冒険のファンタジーな世界だった。
けれど実際の街には、パンを焦がして店主に叱られる見習いがいて、荷車の前を横切って止められる子どもがいて、井戸端で今日の夕食を相談する人たちがいた。
「普通に暮らしているんですね」
「美帆さんも、もうここで暮らしているでしょう?」
紬に言われ、美帆は足を止めた。
異世界という実感はあまりない。普通に生活をしているだけ。それはとても居心地がよく自然な生活だった。
市場で買ったのは、猫の敷物に使う布と、欠けた食器を替えるための陶器だった。帰りは二人で荷物を分けて持つ。
途中の焼き菓子屋で、美帆は自分たちの分を二つ買った。店主は包みを渡しながら、「今日は猫の店は休みかい」と尋ねる。
「はい。でも、猫たちはいつもどおりです」
「そりゃそうだ。うちの窯だって、店を閉めても冷えるまで見ていなきゃならない」
仕事は違っても、休業日まで何もかも止まるわけではないらしい。
夕方になると、職人が大通りの街灯石へ細い杖を触れて回った。石は一つずつ、月明かりに似た淡い光を灯す。
オハナの前まで戻ると、窓の向こうに大きな影があった。
「遅いゾ。ワシは腹が減った」
デンが前脚を窓枠へかけている。
「お昼もちゃんと食べましたよね」
「モチロンだ」
店の看板は出ていない。客席にも誰もいない。
買ってきた布を広げると、クッキーが最初に乗った。まだ大きさも測っていないのに、前脚をたたんで動かない。デンは陶器の包みを嗅ぎ、食べ物ではないと分かると興味を失った。
「敷物を作るのは、クッキーが降りてからですね」
「明日になるかもしれないわね」
休みだからこそ急がない仕事もある。美帆は焼き菓子を半分に割り、紬と遅いお茶を飲んだ。
それでも扉を開ければ、猫たちの声と食器の音が美帆を迎えた。
店は休みだった。
けれど猫たちの一日は、いつもどおりに始まり、いつもどおりに暮れていった。




