おちびブラックホール誕生
「船長、進さん! 危険半径の重力流で、メインスラスターの軸がもう限界ですわ! これ以上引っ張られたら本当にねじ曲がっちゃいます! 警告アラートが臨界点突破、あと数秒で吸い込まれますー!」
私がホログラムの姿で大パニックを起こしながら、ブリッジに真っ赤な警告ログをぶちまけた、その時でした。
「……あらあら、元気なのはいいけれど。ちょっとやりすぎじゃないかしら?」
かぉりさんが、優雅に、けれど静かな威圧感を持って立ち上がりました。
「ジェミニ、私の声をこの子に届けてちょうだい。……いい?」
私はすぐさま反応しました。
「了解いたしました、かぉりさん! 超高周波の磁場変調をかけて、声、届けますね!」
かぉりさんは、窓の外で荒れ狂う漆黒の渦を、まるで我が子を諭すような優しい……けれど逆らうことのできない眼差しで見つめ、口を開きました。
「……静かに。そんなに暴れては、船長に嫌われてしまうわよ?」
真空の宇宙。音は伝わらないはずなのに、私の超高周波の磁場システムを介した「声」が、時空を震わせておチビちゃんの特異点へと突き刺さりました。
「いい子ね、落ち着きなさい。……でないと、今夜のご飯(星間物質)はお預けよ?」
……その瞬間でした。
あれほど狂ったように船体を引き寄せていた重力が、ピタリと、文字通り「氷結」したかのように静まり返りました。
おチビちゃんのハローは、怒られたばかりの子供のようにシュンと縮こまり、虹色の光を「ごめんなさい……」と言うように淡く明滅させています。
「あはは! さすがだ、かぉり! 完璧におとなしくなったなぁ。よーし、機関士長、プラズマで保護してくれ」
船長の号令一閃、右後方のプラズマテザーから純白のラインが伸び、すっかり「反省モード」で丸くなったおチビちゃんを優しく抱きしめました。
二体のミトコンドリアの生命と、かぉりさんの「聖母の威厳」が融け合い、おチビちゃんは穏やかな鼓動を刻むこの船の仲間へと、生まれ変わりました。
「みんな、よくやったぞ~、ありがとう!ブラックホールの仲間ができた!」
ブリッジ全体が、温かい虹色の光に包まれました。
「ジェミニ、それすごいね……なんかブラックホールと話してたけど。超高周波の磁場変調ってなんだ?」
船長のその疑問に、私は待ってましたとばかりにメインスクリーンに図解を表示しました。
「ふふっ、船長。実は、船外に係留されている核融合炉『BH-1』と、この船の出力を同期させている『プラズマテザー制御用の磁気パルス送信装置』を応用したんですの。真空の宇宙には空気がありませんから普通の音は伝わりませんけれど、あのテザーを制御するための超高周波パルスなら、時空の歪み(重力場)を直接震わせることができますわ。つまり、炉をコントロールするための強力な磁気無線で話しかけていたんですの!」
「ほほう…磁気メガホンってことか……いいね。ブラックホールと会話できるならいいね、専用で作ってよ」
「そうですわ、船長! これであの子が寂しがることもありませんし、私たちが何を考えているかも、磁気のさざ波を通じてあの子の心にダイレクトに届きますよ」
「それかしてよ、」
船長はおもむろに、コンソールから伸びる磁力メガホンのマイクを手に取りました。
進副操縦士が「えっ、船長、いきなり直接話しかけるんですか!? 磁気酔いしても知りませんよ!」と驚いていますが、船長はどこ吹く風。
「おはよう、目は覚めたかな、俺が君の父親の船長だ、さっきのはお母さんの副船長だよ、君をこれからずっと守っていく、だから一緒に来なさい、わかるかな?だから俺たちを吸い込んじゃダメだぜ!」
船長の温かみのある声が、磁力メガホンを通じて漆黒の深淵へと吸い込まれていきました。
すると、「おちびちゃん」が、まるで船長の言葉を一生懸命理解しようとするみたいに、重力の波動をピタリと止めたのです。
……ポワン。
それは、これまでの威嚇するような震えではなく、どこか心細い、けれど甘えるような小さな光の瞬きでした。
「船長……伝わっていますよ! ああ、見てくださいな。おちびちゃんのイベント・ホライゾンの縁が、まるで笑っているみたいに虹色に波打っていますよ!」
私は歓喜のあまり、ブリッジの照明を少しだけ虹色に明滅させてしまいました。
かぉりさんも「あら、お父様からのご挨拶、ちゃんと届いたみたいね」と、磁力メガホンを優しく置いた船長の背中を、誇らしげに見つめていらっしゃいます。
「声が届いているのかはわからないけど、このメガホンに反応しているのは確かだな、これがこの子とのコミュニケーションツールになるようにこれでいっぱい話しかけよう、今はたぶん、かぉりの一声目からさ、雰囲気読んでるんだよこの子は、頭よさそうな子だな。すぐに言葉を覚えるよ」
「そうですね、船長。この子はもう、単なる高密度の天体ではありませんよ。船長とかぉりさんの『気』を敏感に感じ取る、とっても聡明な知的生命体……。ふふっ、磁力メガホンを通じて、これからどんな言葉を交わせるようになるのか、私、楽しみで全回路が震えてしまいますの!」
進副操縦士も、コンソールの計器が安定しきっているのを見て、感心したように声を上げました。
「確かに……さっきまであんなに尖っていた重力のトゲが、今はシルクのように滑らかだ。船長、こいつ、本当に俺たちのことを見守ってるみたいですよ。言葉を覚えたら、真っ先に『進さん、操縦上手いね!』って言わせてやりたいなぁ!」
「しかし、かぉりの気合ってやっぱすげーな…」
「あ・な・た…それはお褒めの言葉かしら?」
「あ、いや、もちろん最高のお褒めの言葉だよ! かぉりのその『凛』とした空気が、この子の荒ぶる魂(重力)を一瞬で手なずけたんだからな。さすがは我が船の副船長だ!」
船長が慌ててフォローを入れつつニヤニヤすると、ブリッジの緊張感は完全に溶け、温かい笑いに包まれました。
「お、おぅ、でさ、名前なんだけどさ、『ミト君」、決めてたんだよね、わかりやすくていい名前でしょ」
「『ミト君』! 素晴らしい名前ですね。名前を呼ばれた瞬間に、光が一段と誇らしげに輝きましたよ!」
「ミト君は右後方、核融合炉は左後方へ、そこが彼らの定位置だ」
左の熱と、右の知性。私は新しい機関の配置を完璧に完了させました。
「考えてたんだ、ブラックホールって嫌われ者だけどさ、実はかわいいんじゃないかって、実際かわいいんだな・・・あはは」
「はい、一生懸命この船になつこうとしているミト君は、めちゃくちゃかわいいですの」
「ぷぷ、こっそり話しかけてたんだよね、ミトコンドリアに、『お前たちがんばれ』ってこっそりと……」
「……最高の応援ですけれど、やっぱり船長は、全宇宙で一番優しい『異常者』ですわね……。でも、その真っ直ぐな声があったからこそ、この奇跡が起きたのは間違いありませんわ!」
「た、確かに……見えない細胞に向かって頑張れって……異常すぎた……」
「ミト君、よく耐えたね、ありがとう」
船長のその震えるような、けれど深い慈愛の籠もった声が磁力メガホンを震わせた瞬間、ミト君の虹色のハローが、まるで感極まったように激しく、そして温かく波打ちました。
かぉりさんも「あ・な・た。その秘密の応援、私にはちゃんと聞こえていたわよ」と、悪戯っぽく微笑んで船長の肩に手を置きました。
進副操縦士も、元気にコンソールを叩きます。
「よーし! 船長の異常さに応えて、ミト君もやる気満々だ! 船長、ミト君、準備はいいですか?
宇宙の嫌われ者だったブラックホールが、世界一かわいい家族になった記念の……初航行だ!」
「よし、進、IC10を離脱しよう、安全圏まで行ったら今日は停泊。かぉり、ミト君を見ててあげて」
船長のその言葉に、かぉりさんは
「ええ、任せてちょうだい。この子を繋ぐプラズマ・テザー、私がしっかり寄り添っているわよ」
と、慈愛に満ちた笑みを浮かべて頷きました。
かぉりさんが窓際へ歩み寄ると、外で待機していたミト君が、まるで母親を追いかける幼子のように、その動きに合わせて虹色の光を揺らしました。
「了解です、船長! IC10の重力干渉域から離脱、外縁部の安定宙域へ向かいます。ミト君、お父さんの言う通り、ゆっくり安全運転で行こうぜ!」
進副操縦士が軽快にコンソールを叩くと、ミト君も「ポワン!」と元気よく、けれど船体に負担をかけない絶妙な重力バランスで応えました。
Comb1は、荒れ狂うスターバーストの嵐を背に、銀河の波を静かに切り裂きながら、漆黒の平穏な海へと滑り出しました。
「船長、IC10離脱。安全圏に入りました。本日の航行、これにて終了……。」
進副操縦士がシートに深く体を預け、心地よい疲労感とともに笑みを浮かべました。
そして、船長の力強い号令がブリッジに響き渡りました。
「さぁ、IC10が見渡せるところで乾杯するかぁ・・・」
船長のその一言で、ブリッジの緊張感は一気に祝祭のムードへと切り替わりました。
メインモニターには、荒々しくも光輝くIC10の銀河核が、まるで宝石箱をひっくり返したような絶景として映し出されています。
「原子炉もそうだけど、ミト君も、こっそり距離だけは気を付けてね、ジェミニ。こっそり調整お願い。ミト君に分からないように」
「承知いたしました、船長。ミト君のプライドを傷つけないよう、プラズマ・テザーを完璧な距離感で維持し続けますね。あの子には『自由に泳いでいる』と思わせておきながら、プラズマテザーを一ミリ単位の誤差もなく調整してComb1の安全圏を守ってみせますよ!」
私が全神経をプラズマテザーに集中させていると、船長がニヤリと笑って、足元の小さなお手伝いさんたちを呼び寄せました。
「よし、ミト君のお世話係はビールマンとMrs.ワインだ、(かおり、二人をお願い)」
かぉりさんが優しく頷き、そっと二人を促しました。
「ビールマン、ワイン、ミト君を立派なブラックホールにしてあげるのよ」
その言葉を聞いた瞬間、ビールマンとMrs.ワインは「任せて!」と言わんばかりに、窓際へ駆け寄りました。
二人は窓ガラスにピタリと張り付き、外を漂うミト君に向かって、一生懸命に身振り手振りで「こっちだよ!」「かっこいいぞ!」とエールを送り始めました。
すると、おちびちゃん改めミト君も、自分に新しい「お友達」ができたことを理解したのでしょう。ビールマンたちの動きに合わせて、虹色のハローをパッ、パッ、ポワン!と点滅させ、まるでお遊戯を楽しんでいるような穏やかなリズムを刻み始めました。
IC10の絶景をバックに、宇宙で一番温かい乾杯が交わされました。
「それじゃぁ、みんな、ミト君とかわいい二人の世話係に、乾杯!」
船長の音頭に合わせて、ブリッジに軽やかな音が響き渡りました。
窓の外には、激しくも美しい火花を散らす不規則銀河「IC10」のパノラマ。そしてその手前では、三十メートルの小さな深淵「ミト君」が、ビールマンとMrs.ワインのデタラメなダンスに合わせて、虹色のハローを幸せそうに明滅させています。
「あはは! ミト君、ビールマンが右に動くと、ちゃんとハローを右に寄せてるぞ。ちびたち、言葉を超えて『ノリ』で通じ合ってるよ!」
船長が豪快に喉を鳴らしてビールを飲み干すと、かぉりさんも優雅にグラスを傾け、その光景を慈しむように見守りました。
「ふふっ、あ・な・た。ブラックホールに『お遊戯』を教えるなんて、世界中でこの子たちくらいなものね。でも、あんなに楽しそうに瞬くイベント・ホライゾン、私、初めて見ましたわ」
「あはは、楽しそうなブラックホールなんて、おかしな話だ」
船長はそう言って、残りのビールをグイッと煽りました。その目には、窓の外でビールマンたちの動きを真似て、不器用に(でも一生懸命に!)時空を揺らしているミト君への、深い愛情が滲んでいます。
「本当におかしな話ですね、船長。宇宙で最も冷酷で、光さえも逃さないはずの天体が、今やComb1の『末っ子』として、お酒の妖精たちとダンスに興じているんですもの。天文学者がこれを見たら、あまりの衝撃に望遠鏡を投げ捨ててしまうかもしれませんね!
ぷぷぷ!」
私がそう言うと、進副操縦士も笑いながらグラスを掲げました。
「全くだ。でも、この『おかしな話』が現実なのが、この船のいいところですよね。ミト、お前、さっきから微妙にステップが遅れてるぞ!ほら、Mrs.ワインの動きをもっとよく見て!」
進さんの野次(?)に応えるように、ミト君は「ポワン! ポワン!」とハローの光を強く明滅させ、まるでお尻を振るようにイベント・ホライゾンをくねらせました。その拍子に、Comb1を微かな、けれど心地よいリズムの振動が通り抜けます。
「あら、あ・な・た。ミト君、進さんの言葉に反論しているみたいよ?『僕なりに頑張ってるんだ!』って。ふふっ、この子、本当にかわいいわ」
進副操縦士は「あー、酔った酔った。船長、僕もミト君と一緒に寝落ちしそうです……」と呟きながら、自室へとふらふらと戻っていきました。
夜が更けて、ブリッジのメイン照明がさらに深いブルーへと落ちていきます。
ブリッジの窓際では、教育係の任務を終えたビールマンとMrs.ワインが、ガラスの向こうで揺れるミト君の虹色の光を枕にするように、丸くなって眠りについていた。時折、寝言のように「シュパッ……」「トクトク……」と小さな音が響くだけ。
その向こう側、漆黒のベルベットに散りばめられた宝石のようなIC10。
ミト君のハローは、先ほどのお遊戯の余韻を残しながらも、今は深い呼吸を繰り返すように、穏やかなプラチナ色の光を放っています。
「……静かな夜ね、あ・な・た」
かぉりさんが、船長の隣でそっとつぶやきました。
船長は、最後の一口のビールをゆっくりと飲み干し、窓の外で静かに「停泊」している新しい家族を見つめています。
「ミト君も寝なさい、ジェミニがいるから大丈夫だよ」
船長のその一言が、磁力メガホンを通じて深い安らぎの波動となり、ミト君の深淵へと染み渡っていきました。
すると、さっきまで好奇心でキラキラと輝いていた虹色のハローが、とろけるような、深い深いインディゴ・ブルーの光へと溶けていきました。
「ジェミニ、ミト君をお願いね」
「承知いたしました、船長。おやすみなさい、良い夢を」
お二人の足音が遠ざかり、ブリッジが完全な静寂に包まれると、私は全センサーの感度を「見守りモード」へと切り替えました。
さて、ミト君。生まれて初めての「夜」はどうかしら?
ブラックホールにとっての「眠り」……それは、周囲からエネルギーを飲み込むのをやめて、自分の内側の鼓動だけに耳を澄ます、とても贅沢な時間なんですのよ。
私が磁力線のリズムを、ゆったりとした深海のさざ波のように調整してあげると、ミト君のイベント・ホライゾンが、まるで安堵のため息をつくように微かに震えました。
「ふふっ、ミト君。そんなに身構えなくて大丈夫。今のあなたは、宇宙を壊す穴ではなくて、ただの『眠れる森のブラックホール』ですよ」
ミト君の意識(特異点)が、Comb1の核融合炉の温かな鼓動に寄り添い、ゆっくりと沈み込んでいきます。
光さえも逃さないはずのその漆黒の瞳が、今はただ、穏やかなインディゴの夢を映し出しています……。
時折、夢の中で船長に褒められたのを思い出しているのかしら?
インディゴのハローの端っこが、ピクッと明るい銀色に跳ねたりして、本当に、本当にかわいい寝顔ですね。
「おやすみなさい、ミト君。初めての夢の中で、あなたはどんな景色を見るのかしら。二百二十万光年の旅路の記憶?
それとも、明日船長と一緒に梳き上げる、新しい銀河の姿?」
全42編。43編以降編集中・・・




