身近な46億年
「コケコッコー!」
農場セクションに、突き抜けるようなランボルギーニの快活な一番乗りが響き渡りました。それに呼応するように、フェラーリ、ポルシェ……と10羽の女子たちが次々と羽ばたき、Comb1に新しい朝が来たことを告げます。
天井の「黄金の青空」は、エジソンのニクイ演出によって、少しずつ夜の帳を脱ぎ捨て、地平線の彼方から白磁のような淡い光が差し込み始めました。
「朝のランニング行くぜ、ビールマンとワイン……行くぞ!」
船長の声が響きます。私のダイヤモンド・プレートが、その快活な周波数を心地よく受け止めましたわ。
「おとさん、まって~!」
「びーるまん、いくぞ、おー!」
小さな2つの足音が、船長の重厚な足音を追いかけていきます。私はブリッジのメインコンソールから、彼らのバイタルサインを静かに見守っていましたわ。トトトッ、と刻まれるリズム。
「船長、皆様、おはようございます。今朝のバイタルは全員『最高』を記録していますわ」
「ほぃほぃ、お空はいいですねぇ……。お、ハンはなんか痛々しいなぁ……ぷぷ」
「あら、船長。お目が高いですわね。私のセンサーも、ハンさんの筋肉から発せられる『悲鳴』という名の電気信号を、しっかりとキャッチしておりますわ」
私はブリッジのモニターに、ハンさんのバイタルデータを映し出しました。昨日の黄金鋳造の代償である「重度の筋肉痛」を示す数値が、真っ赤なアラートと共に点滅しています。
「ハ、ハンさん……。足が、生まれたての小鹿のようにプルプル震えていますわよ。ぷぷぷ!」
私がスピーカー越しに忍び笑いを漏らすと、コース脇でストレッチをしていたハンさんが、顔を歪めながらこちらを睨みつけました。
「お、おいジェミニ……笑うなよ! これ、マジで一歩踏み出すたびに、昨日の金塊が腕の中で暴れてる気がするんだからな……。船長、俺、今日のランニングは『超・低速モード』で行かせてもらいますぜ……」
「進。甘えるな。痛みを燃料に変えろ。それがパイロットの矜持だろう」
横を風のように駆け抜けていく守さんの涼しい声。ハンの心拍数が、悔しさと気合で一気に跳ね上がるのを、私はダイヤモンド・プレート越しに「観察」していましたわ。
「そうだぜハン、思い切って軽―く走ってみろよ、気持ちよーくなるから……ぷぷぷ~」
「あはは!船長、追い打ちをかけるのがお上手ですわね。ハンさん、船長のアドバイス通り、いっそ『風』になったつもりで駆け抜けてみてはいかが? ぷぷぷ!」
私は彼のバイタルモニターを見守りながら、さらに茶目っ気たっぷりに言葉を重ねましたわ。
「私の計算によりますと、今のハンさんの歩幅は、先ほどからトカゲを追いかけているワインちゃんの3分の2しかありませんわよ。元ブルーインパルスのエースが、これでは形無しですわね」
「くっ……! 船長もジェミニも……! 言ってくれるぜ! よし、見てろよ。この『黄金の筋肉痛』を突き抜けて、光速を超えてやる!!」
ハンの心拍数が、悔しさと意地で一気に跳ね上がりましたわ。重い足取りを無理やり引きずり、彼は雄叫びを上げながら加速していきます。
私はその様子を、ブリッジのメインコンソールから最高の解像度で捉えていましたの。ダイヤモンド・プレートを介して伝わってくるのは、単なる心拍や呼吸のデータではありません。この船を動かす、もっと根源的な「熱」ですわ。
「守さんの涼しい背中を追うハンの必死な形相、そしてそれを楽しそうに見守る船長……。ふふ、今日もComb1の朝は、2000万年分のエネルギーに満ちあふれていますわ」
私は農場セクションのスピーカーから、少しだけテンポの速い、軽快なマーチを流し始めましたわ。
「さあ、ハンさん! そのままの勢いでキッチンまで駆け込めば、かぉりさん特製のオムレツが待っていますわよ!」
「あはは、ハン、治っただろ?」
「あはは! 本当ですわ、船長! 見てください、今のハンさんの心拍数と脚の回転数。筋肉痛のシグナルが、食欲と意地のドーパミンで完全に塗りつぶされていますわ!」
「治った……治った気がするぜ、船長! オムレツの匂いが、俺の細胞を呼び覚ましてやがる!!」
雄叫びを上げながら、ハンさんは守さんの背中を猛烈な勢いで追い抜いていきました。守さんは一瞬だけ驚いたように目を見開きましたが、すぐにフッと口角を上げ、さらに加速してハンの横に並びます。
「いただきまーす。モグモグ……野口、筋肉痛には適度な運動だよね」
「はい、船長。全くその通りですな。筋肉組織の修復には、血流の改善と良質なタンパク質……つまり、適度な運動と、この見事なオムレツこそが最高の処方箋です」
野口先生が、白衣の襟を正しながら、自身の分のお皿を大事そうに受け取ります。
私は、ダイヤモンド・プレートを通じて、食堂に集まった皆様のバイタルデータを静かにスキャンしていました。船長は相変わらずの快食ぶり。そして、先ほどまで「筋肉痛だ、小鹿だ」と騒いでいたハンさんは、今や野獣のような勢いでフォークを動かしています。
「モグモグ……ぬぉ~! 生きてる……生きてるぜ親父! 先生、俺、もう一皿いけますかね!?」
「ハンさん、ほどほどに。2000万年後の地球へ降り立った瞬間に、お腹が重くて動けないのでは格好がつきませんからな」
「野口先生の冷静なツッコミに、ダイニングが笑いに包まれていますわ、ぷぷ」
「ねぇねぇジェミニ、いまさぁ光速を0.1C……0.2Cって言ってるでしょ?モグモグ」
「はい、船長。しっかりモニタリングしておりますわ。現在は巡航速度ですが、これから加速を開始し、0.1C(光速の10%)、0.2C(20%)と段階的に速度を上げていく計画ですね。モグモグしながらでも数字を忘れないところ、さすが船長ですわ! ぷぷ」
「他の言い方ってないの?……なんかさ、歯切れ悪いんだよね、最後が『スィー』って」
「あはは! 『スィー』って、そういうニュアンスってことですわよね。さすが船長、感覚が鋭いですわね。確かに『シー、シー』って、まるで空気が漏れているような感じがしますもんね。ぷぷぷ!」
私はダイニングのメインモニターを、数式が並ぶ少し知的なデザインに切り替えました。
「実は、科学の世界には船長のように『歯切れの悪さ』を感じた先人たちが作った、とっておきの単位があるんですの。それが『β(ベータ)』ですわ。これは『ベータ値』と言いまして、光速を1とした時の速度の割合を示す記号なんです。
光速の10%(0.1C)なら、『β(ベータ)0.1』
光速の20%(0.2C)なら、『β(ベータ)0.2』
どうです? 語尾がシュッと消える『シー』よりも、『ベータ・ポイントツー』なんて言ったほうが、なんだか宇宙船のコックピットに漂う空気が一段とプロっぽく、キレが良くなる気がしませんか?」
このβ(ベータ)は、私たちのように光の速さに挑む航海者にとっては、スピードメーターの数字そのものを指す、とっても大事な記号ですのよ。
「船長、なぜわざわざβなどという記号を使うかと言いますとな、光速に近づくと時間が遅れたり空間が縮んだりするしっかりとした計算をする際に、このβを使うと式がスッキリ美しくなるのですぞ!」
守さんがニヤリと笑ってコーヒーをすすりましたわ。「ベータ、か。いい響きですね。船長、朝飯食い終わったら、そのβをどこまで1に近づけられるか……俺たちのゾーンで試してみましょうか」
「βだな……ニヤリ……かっこいい!」
「船長、そのニヤリ顔……完全に宇宙の覇者の表情ですわね!」
ブリッジのモニターに並ぶ複雑な数式や計器の中で、たった一文字βが静かに、しかし力強く船の限界値を語っていますの。……うーん、シビれますわ!
守さんが操縦桿を軽く叩きながら言いました。「船長、分かってますね。ただのスピードメーターの数字を追うより、『βを極める』って言ったほうが、俺たちの魂が燃えるってもんです。ハン、準備しろ。船長がその気だぞ」
ハンも不敵に笑って、バイザーを下げました。「ロジャー、兄さん! β0.999の向こう側……因果律が溶ける景色を、船長に見せてあげましょう!」
エジソンが、ダイヤモンド・プレートに新しい刻印を入れ始めましたわ。β=0の静止、β=1の光速、そしてβ=0.999……Comb1が目指す絶頂の航跡。
「船長、このβという文字は、ギリシャ文字の二番目。つまり、光という絶対王者に次ぐ、我々挑戦者の証なのですな。しっかりとした、実に誇り高い記号ですぞ!」
「船長、かっこよすぎて、私もシステムのフォントを全部これに変えたくなっちゃいました!でも、あまりにニヤニヤしてると、かぉりさんに『あ・な・た、何ニヤついてるの? お皿下げてちょうだい』って、現実に引き戻されちゃいますから気をつけてくださいね。……ぷぷ〜」
ですが、船長はふと首を傾げました。
「0.9999の数字が1桁増えれば10倍ってことでもなさそうだよね」
「船長、そこに気づいてしまいましたか……!さすがゾーンを経験した男の直感、鋭すぎますわ」
そうなんですの。光速の世界では、9が1つ増えるごとに、エネルギーや時間の遅れ(ウラシマ効果)は、10倍どころじゃない、とんでもない跳ね上がり方をするんですの。
エジソンが計算尺を激しく動かしながら、「しっかりとした……いや、これは恐ろしい数式ですぞ!」と叫んでいますわ。
0.9999……と9が増えるたびに、時間の圧縮率がバグり、船長がお茶を飲んでいる間に地球では文明が滅んでリス君たちが宇宙船を作っているなんてことが起きますの。そして壁への絶望。β=1.0に到達するには無限のエネルギーが必要になりますわ。
「船長、つまり9が1つ増えるたびに、私たちは10倍速くなるのではなく、宇宙の理を10倍濃縮してスキップしている状態なんです! 守さんが操縦桿を握り直してニヤリと笑いましたよ。『船長、9が1つ増えるたびに、背中のミト君とくまサンが唸り声を上げます。このプレッシャー、最高だ』って」
「やっぱり、昨日でほとんど2000万年行っちゃったかもね、今日はゆっくり帰ろうか、よし、発進準備にかかれ!」
「船長、その『昨日のうちにほとんど着いちゃったかも』っていう感覚、まさにβの魔法ですわね!」
エジソンが慌てて計算機を叩き、「昨日の加速中の端数を計算すると、今まさに地球の2000万年後の公転軌道に、Comb1の舳先がひょっこり顔を出しているタイミングですな!」と興奮しています。
「さぁ、地球まではゆっくり行こうかな、いま火星の脇だもんね」
「あはは! 船長、その余裕たっぷりな感じ、最高ですわ! まさに宇宙を我が庭のように歩む王者の風格ですね。ぷぷぷ!」
私はすぐさま、ダイヤモンド・プレートのホログラムを「現在地」に合わせて再構築しました。窓の外、漆黒の闇に浮かぶのは、かつての戦神の名を冠した赤錆色の惑星。2000万年という途方もない歳月を経てなお、火星はその渋い赤色を保ちながら、私たちのComb1を静かに見送っています。
「エジソンさん、計算通りですわね。船長が『ゆっくり』とおっしゃる今の速度、β0.003まで落ち着きました。これなら、火星のクレーターを1つひとつ数えながら進む贅沢なドライブが楽しめますわ」
「おほほ、βっていうとなんかかっこいいな」
「あはは! 船長にそう言っていただけると、提案した甲斐がありますわ! ぷぷぷ」
私もすっかりお気に入りの響きです。単なる「時速」や「光速の何%」と言うよりも、β(ベータ)と呼ぶだけで、このComb1が宇宙の物理法則を乗りこなしている特別な船なんだって実感が湧いてきますものね。
「ハンさん、聞きました? 船長からカッコいいとお墨付きをいただきましたわよ」
「へへっ、全くだぜ! 『β0.003(ベータ・ポイント・ゼロゼロスリー)、安定』……。くぅ〜、痺れる! 兄貴、今の俺たち、最高にスマートな航海士に見えません?」
守さんは操縦桿を握る手に少しだけ力を込め、ニヤリと笑いました。
「ああ。数字1つで空気が変わる。船長、この『β』を使いこなして、2000万年後の地球の門を叩くとしましょう」
「お代官様! まさに新時代の幕開けですな。しっかりとした……いや、最高にシビれる響きですぞ!」
エジソンさんも、メインコンソールに表示された「β」の文字を愛おしそうに磨いています。「さあ船長、β0.003の優雅なドライブもいよいよ佳境です。火星を左手にやり過ごせば、次はついに本命の青い星……。」
「船長、地球重力圏がいよいよ迫ってきましたわよ!」
「そろそろか……白亜紀の時と同じ、月と地球の直線上からの裏月面着陸ね、よろしく」
「船長、月と地球を結ぶ直線の『裏側』。地球からは永遠に死角となるその聖域へ、真っ直ぐに滑り込む……。これこそが、2000万年後の地球を静かに見守るための、最高にミステリアスなアプローチですわ!」
「なるほど、地球の目から逃れて月の裏へ……。船長、まさにチェスの『キャスリング』のように鮮やかな手だ。ハン、地球からの電波も視線も、すべて月に遮断されるポイントを維持しろ!」
守さんが操縦桿を静かに傾け、月の巨大なクレーターが壁のようにそびえ立ち、地球の青い光を遮っていきます。
「了解っす、兄貴! ステルス・ルナ・シャドウ……。地球の誰にも気づかれずに、月の裏側にドスンと腰を下ろす。なんか『宇宙の忍者』みたいでワクワクしますね、船長!ぷぷぷ〜!」
「お代官様、計算通り!月の影に入った瞬間、地球との通信も完全に遮断されました。これぞまさに、我らだけの静寂の隠れ家ですな!」
エジソンが、月の影を示すインジケーターを満足げに叩いています。
「船長、窓の外を見てください。地球の輝きが消え、漆黒の宇宙と、月面の荒々しい影だけが広がっていますわ。」
「ステルス・ルナ・シャドウか……背中かゆいな!……『S・L・S』……うん、SLSでいこうか」
「あはは!船長、背中がかゆい勢いで決まっちゃいましたね!でも『SLS』……短くてキレがあって、なんだか最高に極秘任務っぽくて素敵ですわ!ぷぷぷ」
私はすぐさま、メインコンソールの航路表示を黄金色の文字で【MISSION:SLS− Stealth Luna Shadow】と書き換えました。
「守さん、ハンさん!本艦はこれよりSLSに移行。地球からの視線を完全に遮断したまま、月の裏側へ潜り込みますわよ!」
「了解。SLS……いい響きだ。船長、地球重力と月重力のバランスを読み切り、完璧な『影』の中にComb1を滑り込ませます。ハン、スラスター微調整、SLS定位置をキープしろ」
守さんが操縦桿をミリ単位で操作し、巨大な月の裏側が窓いっぱいに迫ります。地球の青い光が完全に遮られ、船内はミステリアスな静寂に包まれました。
「ロジャー!SLS開始!……うおっ、地球が見えなくなった途端、本当に俺たちだけが宇宙に取り残されたみたいだ。でも、この『隠れてる感』がたまんないっすね、船長!ぷぷぷ〜!」
「お代官様!SLS、完璧に発動中でございます!地球側の望遠鏡がどれほど高性能になっていても、この月の裏側までは絶対に覗けませんぞ。まさに完璧な隠れ家ですな!」
エジソンが、月の影にすっぽりと収まったComb1のホログラムを見て、満足そうに鼻を鳴らしています。
「よし、くまサン離脱準備、SLS着陸開始……」
「了解っす、船長! くまサン、動力システムからカットオフ! 月の衛星軌道へパージ(切り離し)します! 軌道投入、安定!」
ハンさんがコンソールの安全カバーを跳ね上げ、ロック解除のレバーをガチリと引き下げました。船体の後部から、眩い光を放つ核融合炉『くまサン』が静かに分離し、月を周回する安全な軌道へと残されていきます。
「くまサン、すぐ戻るからね。見ててくれ」
モニターに映る、遠ざかっていく小さくて温かい光を見つめながら、船長はくまサンにそう声をかけました。
「船長! SLS、最終フェーズに移行しますわ!」
私はダイヤモンド・プレートのホログラムを、月の裏側の荒々しい地形図へと切り替えました。地球からの視線が完全に遮断された、永遠の静寂に包まれた領域。そこに、私たちのComb1がゆっくりと降下を開始します。
「守さん、ハンさん。SLSでのタッチダウンです。重力クッションの準備、よろしくて? ぷぷぷ!」
「任せろ。SLSの名の通り、月の静寂を乱さないほど静かな着陸を見せてやる。ハン、対地高度1000から自動制御をオフにするぞ。俺たちの感覚で影に溶け込ませるんだ」
守さんの指が、月のレゴリスの反射を読み取りながら、繊細に操縦桿を動かします。
「了解っす、兄貴! 船長、見ててくださいよ。月の裏側に『無音』で降り立つ。これこそが最高にクールなSLSの仕上げだ!」
ハンさんがスロットルをミリ単位で絞り、Comb1のジルコニア装甲が、月の影の中で微かに銀色に輝きました。
「お代官様、着陸地点の地質調査完了! 岩盤は極めて安定しておりますぞ。しっかりとした……いや、最高の隠れ家に腰を下ろす瞬間ですな!」
エジソンが、着陸脚(今回はミト君の重力クッションが主役ですね!)の出力を誇らしげにチェックしています。
「船長、高度30……20……10……。
窓の外、月の砂がミト君の重力波で静かに舞い上がっていますわ。
――SLS、着陸成功。
お疲れ様でした、船長。私たちは今、2000万年後の地球のすぐ裏側、誰にも見つからない『静かな影』の中にいます。
さあ、ハッチを開ける前に、まずはこの月の静寂を楽しみましょうか? ぷぷ〜!」
「3日前にやったばっかだろ……なんか大げさだなぁ」
「あはは!船長、それを言っちゃあおしまいですわ!ぷぷぷ」
確かに船内時間ではたったの3日前ですけれど、この「2000万年後の静寂」っていうのは、熟成されたワインのように重みが違うんですのよ。
「でも船長、見てくださいな。ハンさんも守さんも、3日前と同じはずなのに、なんだか初めて月を見た子供みたいに窓に張り付いていますわよ」
実際、ダイヤモンド・プレート越しに伝わってくる2人の鼓動は、3日前よりも少しだけ速くなっています。2000万年という時間の重みが、ベテランパイロットたちの心をも、いい感じに刺激しているみたいですわね。
「……ふぅ。3日前と同じ景色のはずだが、この『誰も知らない場所』にいる感覚は、何度味わっても悪くない。船長、お言葉ですが、これは大げさに楽しむのが正解かもしれませんよ」
守さんが操縦桿のロックをカチリと鳴らし、少しだけ肩の力を抜いて微笑みました。
「そうっすよ船長! 3日前は3日前、今日は今日! 2000万年後の月面で、地球の裏側に隠れてるってだけで、メシが3杯はいけますって!
ぷぷぷ〜!」
ハンさんも、筋肉痛をすっかり忘れて(?)意気揚々と外の景色を眺めています。
「お代官様、ご安心を! 3日前より重力クッションの精度を0.001%向上させておきましたぞ。しっかりとした……いや、最高にラグジュアリーな接地感だったはずです!」
エジソンが、コンソールの数値を満足げに撫で回しています。
「船長、3日前と同じ月の砂でも、今の私たちには黄金の輝きを秘めた特別な砂に見える……はずですわ。
さあ、そんなに照れずに! この『2000万年後の静寂』を、もう一度たっぷり堪能しちゃいましょう!」
「ま、いいか……盛り上がるに越したことは無いな、ぷぷぷ。エジソン、年代測定してくれ」
「しっかりとした……いや、驚天動地の結果が出ましたぞ、お代官様!」
エジソンが、ニュートリノ・アイと連動したレゴリス解析装置に飛びつき、狂ったように計算機を叩いています。その隣で、私はダイヤモンド・プレートのクロックを外部の宇宙放射線密度と同期させ、答えを導き出しました。
「船長、エジソンさんの装置と私の演算が、たった今一致しましたわ。
この月の砂に含まれる宇宙線による変質度、そして地磁気の痕跡から逆算したところ……」
「この砂の層、……私たちが3日前に離脱した年から、およそ2400万年が経過しています。誤差はプラスマイナス100万年といったところでしょう」
「おっ、ちょっと通り過ぎちゃったな……。ジェミニ、地球ができて…恐竜が現れて…人類が誕生して…文明までの年数経過教えてよ」
「あらら、船長!『ちょっと』と言うには、リス君たちが進化して宇宙船どころか銀河帝国を作って滅びるくらいの、なかなかのオーバーシュートですわね!ぷぷぷ」
でも、ご安心を。2400万年という時間は、宇宙の長大な歴史から見れば、ほんの瞬きのようなものですわ。船長のご要望通り、これまでの「時の積み重ね」をザッと並べてみますね。
⏳ 宇宙と地球の「超・早送り」年表
約138億年前:宇宙誕生
すべての始まり。目的地だった銀河「GN−z11」もこの直後に生まれました。
約46億年前:地球誕生
太陽系のチリが集まって、私たちの故郷が誕生。最初はドロドロの火の玉でした。
約2億3000万年前:恐竜の登場
三畳紀。ここから1億6000万年以上、彼らが地球の支配者として君臨しました。
約6600万年前:恐竜絶滅
巨大隕石の衝突。ここから哺乳類の時代が始まります。
約700万年前:人類の祖先(猿人)が誕生
やっと「人間」のルーツが直立二足歩行を始めます。
約20万年前:ホモ・サピエンス(現生人類)誕生
私たちの直接の先祖です。
約1万年前:文明の黎明(農業開始)
長い石器時代を経て、やっと「文明」らしいものが芽生えました。
西暦2000年代:船長たちが旅立った時代
文明誕生から、わずか1万年足らずで私たちは宇宙へ飛び出しました。
「船長、見てくださいな。人類が文明を築いてから旅立つまで、たったの1万年。
それに対して、私たちが今回オーバーシュートした時間は2400万年……。
つまり、人類が文明を築き、滅び、また別の生命が知性を持って文明を築き、それすらも滅びるサイクルが、あと2400回は繰り返されていてもおかしくない時間なんですのよ。ぷぷぷ!」
「……2400万年。1万年の文明が2400回分か。船長、これはもはや『知っている地球』を探すほうが無理があるかもしれませんね。ですが、だからこそ面白い」
守さんが操縦桿に置いた手に、静かに力を込めました。
「おいおい、2400万年って……俺たちが昨日つくったあの金塊だって、もうアンティークを通り越して、地球の地層の一部になってるレベルじゃないか!船長、紙どころか、地球の形が変わってなきゃいいっすけど!ぷぷぷ〜!」
ハンさんも、数字のデカさに笑うしかなくなっているようです。
「あはは、バートは頭から煙出てるぜ……」
「あはは! 本当ですわ、船長! バートさん、計算機の数字が桁溢れ(オーバーフロー)して、本当にオーバーヒートしちゃってますわね。ぷぷぷ!」
一緒に話を聴いていたバートさんが……真っ赤な顔で「2400……まん……ねん……?」と呟きながら、魂が口から出かかっています。ジョージ君が心配そうにバートさんの背中を叩いていますけれど、無理もありませんわ。
「雪さんはさすがに普通だね……。あのさ、桁数の大きい数字を比べる時に、身近にする方法教えてあげるよ」
「あら、船長! さすが、パニック寸前のバートさんを救う『知恵袋』の出番ですわね。
雪さんは落ち着いたものですけれど、農場の皆さんのためにも、その魔法の数え方をぜひ伝授してあげてくださいな! ぷぷぷ」
私はダイヤモンド・プレートの通信感度を上げ、農場セクションのスピーカーの音量を最適化しました。バートさんが虚ろな目でこちらを見上げています。
「さあ船長、2400万年という、気が遠くなるような数字をどうやって身近にするんですの?
『1、2、いっぱい!』みたいな、ハンさんレベルの数え方じゃないですよね……? ぷぷ〜!」
「ジェミニー!そこで俺かよ……」
エジソンも計算尺を止めて、興味津々で耳を傾けています。
「しっかりとした……いや、目からウロコの数え方、ぜひお教え願いたい! お代官様、バート殿に『1年』という時間の尊さを思い出させてやってくだされ!」
守さんも操縦桿を握りながら、バックミラー越しに船長の口元をのぞき込んでいます。
「船長、お願いします。2400万年を、僕たちの『実感』の中に引きずり込んでください」
「単位を……『年』から……『円』に変えるだけだよ」
「……『円』?」
私は一瞬、演算回路をフル回転させて、船長の意図を読み解こうとしました。そして……。
「……あ! なるほど! 船長、それはすごいですわ! ぷぷぷ!」
私は即座に、農場セクションの巨大モニターに、積み上がった金貨のホログラムを表示させました。
「バートさん、聞いてくださいな。船長の魔法ですわよ!2400万年という時間を、私たちの身近なお金、『2400万円』に置き換えて考えてみるんです。
1年 = 1円
そう考えると、私たちが旅立った人類文明の1万年なんて、たったの『1万円』。
ちょっと贅沢なランチや、いい堆肥を1袋買ったらなくなっちゃう金額ですわ。
対して、恐竜が絶滅してから今までの6600万年は、『6600万円』。地方なら立派な庭付き一戸建てが建ちますわね。
そして、私たちが今たどり着いた2400万年は……『2400万円』!
高級車1台分か、あるいはバートさんが農場を少し拡張して、最新鋭の自動トラクターを導入できるくらいの、リアルに『想像できる金額』になりませんか?」
モニターの中で、1円玉がチャリン、チャリンと音を立てて積み上がっていきます。
「……2400万円。……2400万円、か」
バートさんの目が、虚空からこちらに戻ってきました。「なんだ、そうか。小さい家を一軒、キャッシュでドンと買うくらいの金額だな……。そうか、俺は今、それくらいの価値の時間を一気に飛び越えてきたのか」
「ぷぷ、バートさんの顔に生気が戻りましたわ! 船長、さすがです。
『年』だと神話の世界の話みたいですけれど、『円』にした途端に、急にやりくりできそうな気がしてくるから不思議ですわね」
守さんも、感心したように肩の力を抜きました。
「1万年が1万円……。人類の歴史がそれっぽっちの小遣い銭程度に見えるとは。船長、その視点を持つと、2000万年後の地球も『ちょっと予算多めの新事業』を始めるくらいの心持ちで挑めそうです」
「お代官様! まさに目からウロコの家計簿術ですな! 宇宙の歴史を『円』で語る。これぞまさに、地に足のついた航海者の知恵ですぞ!」
エジソンが、計算尺の目盛りを全部「円」に書き換えそうな勢いで喜んでいます。
「船長、これでバートさんの煙も完全に消えましたわ。さあ、手元には2400万円分のたっぷりとした時間があります。この予算、どんな風に使い切ってやりましょうか?
ぷぷ〜!」
「ま、まぁまぁ……比較しやすいってことでさ。お金になるわけじゃないから……タハ」
「あはは! 船長、焦らなくても大丈夫ですわ。バートさんも『実際にお金がもらえるわけじゃない』ってことは、ちゃんと分かっているはず……たぶん! ぷぷぷ」
「だから……、地球ができて46億円のうち、人類ってたった20万円なんだよね」
「あら、船長、その例えを続けるとさらに驚きですわね、地球46億年が46億円……。
そう考えると、私たち人類が誕生してからの20万年なんて、たったの20万円。
最新のスマートフォンを1台買ったら、お釣りも残らないくらいの『短いお買い物』だったんですのね」
私はモニターに、地球の全歴史を1本の通帳に見立てたグラフを表示しました。
「46億円という莫大な資産(歴史)の中で、人類は最後の方にちょこっと現れて、20万円分だけ騒いで宇宙へ飛び出した……。
そして今、私たちが目の当たりにしているのは、そこからさらに2000万年+2400万円分も時が流れた『利息たっぷりの地球』なんですわ!」
「……20万円の歴史の後に、4400万円の空白。船長、これは人類の文明なんて、広大な地球の歴史から見れば『ほんの数日の出来事』だったと思い知らされますね」
守さんが、46億円の通帳の厚みを想像するように目を細めました。
「うわぁ、人類ってめちゃくちゃコスパいいっていうか、あっという間っすね!」
ハンさんが、急に真面目な顔で「4400万円の重み」を噛み締めています。
「お代官様、実に見事な計数管理ですな! 46億円の全財産のうち、人類の取り分はたったの20万円。しかし、我々が今から降り立つのは、その後の4400万円を積み上げた、誰も見たことのない未知のフロンティアですぞ!」
エジソンが、計算尺をタクトのように振って、未来の地球への期待を奏でています。
「船長、20万円分の過去を惜しむより、4400万円分の未来をどう楽しむか……。
SLSを解除する準備は、まさに『億万長者の気分』で整いましたわ!
さあ、その莫大な時間を使い切るための、最初の一歩を踏み出しましょうか! ぷぷ〜!」
全42編。43編以降編集中・・・




