15 父親
エリザベータたちはゾルターンとイゴルの二人が戻るまで大きな地図を囲んで話し合っていた。
いち早く反応したのはヤロミールだった。
「来たよ」
その言葉のすぐ後に、部屋の扉が開いた。
「すまない。遅くなった」
「父さん!」
バルナバーシュがゾルターンに駆け寄っていく。
「至急報告したいことが……」
誰にも聞かれたくないのか、親子は顔を寄せ合って部屋を出ていった。
後から入ってきたイゴルは誰とも目を合わせず、無言で部屋の隅に身を寄せた。どうも様子がおかしい。
エリザベータは心配して声をかけた。
「イゴル? 体調でも悪いの?」
「いいや。……なんともない」
元気がない。彼の顔を覗き込むと、目には充血があり、まぶたと鼻が赤い。
「その目、どうしたの?」
「これは、その、少しごみが入って……」
さっと目元を隠した右手の指の関節には血が滲んでいる。
「ケガまでしているじゃない! すぐ薬を持って来るわ!」
「待ってくれ! ……もうゾルターンに薬をもらって塗ったんだ」
「それじゃあ、すぐ治るように祈りを――」
「いや、いいんだ。これは、そのままで……」
「そのままでって……」
背後で扉の開く音がして、話し終えた二人が戻って来た。
「お、問い詰められているな。さっきも言ったが、こいつらに話していいんだぞ?」
「……心の準備がいるんですよ」
含み笑いを浮かべるゾルターンに、イゴルは少しむっとした顔で言い返した。
何の話だろうか。バルナバーシュとヤロミールも興味深げに見守る。ただミルシュカだけは椅子に座ったまま地図を眺めている。
「ここだけの話だ。村に戻っても、絶対に誰にも話さないと約束してくれ。いいな?」
「わかったわ」
バルナバーシュとヤロミールも了承する。
「ミルシュカ。あんたも約束してくれないと、話せないのだが……」
「興味ない」
「ミルシュカ、ちゃんと約束して」
エリザベータはそっけない態度をとるミルシュカの肩に触れた。顔を上げた彼女と目が合う。
「お願い」
ミルシュカはイゴルへ向き直った。
「わかった! 興味ないから絶対に喋らない! ……これでいい?」
「ありがとう。さあイゴル、これで話してくれる?」
「……ああ」
イゴルが硬い表情で頷く。
「実は、親父に会ってきた」
「!?」
エリザベータはあまりの驚きに言葉が出なかった。
イゴルの家族は山の村に住む母親だけで、父親に関しては『腕の良い鍛治師だった』と聞いていたから、てっきり亡くなっているのだと思っていた。
「行方不明だったお父さん、生きていたんだ! 良かったね〜!」
ヤロミールがまるで自分のことのように喜びながら、何度もイゴルの両肩を叩く。
「痛い。やめろ……」
「ごめんごめん。それで〜その手は〜殴ったの? すっきりした?」
「いや、全然……」
「ふ〜ん。そうなんだぁ……あれ? 木炭じゃない匂いがする。土みたいな――」
「うわっ、嗅ぐな! 犬かお前はっ!」
頭を嗅がれたイゴルはヤロミールを突き放した。
「ははは。さすがの嗅覚だな、ヤロミール。イゴルは父親の前で鋼を鍛えてきたんだ」
「そうなの〜!?」
「どうして知って……え? 聞いていたんですか!?」
「認められて良かったな」
イゴルの質問に、ゾルターンは肯定も否定もせずに笑う。
「聞いていたなら知っているでしょう。俺はあの人に何も言われていない……」
「出来の悪い鋼なら、あいつは勝手に鍛え直していたさ。イゴル、お前は認められたんだよ」
イゴルはゆっくりと腰に提げた袋から塊を取り出した。手の平ほどの大きさの鋼。父親に認められた証。彼はじっと見つめると、穏やかな笑みを浮かべた。
イゴルが嬉しそうで本当に良かった。生きていれば、こういう巡り合わせもあるのね。
生きてさえいれば――
エリザベータは死んだ父親のことを思い起こした。
* * *
私が《月神の力》を使えるようになる前に、父は病気で死んでしまった。
私は物心つく前から《月の巫女》の修行のためにおばば様に引き取られ、父は一人で暮らしていた。
私を心配してよく様子を見に来てくれた。とても優しい人だった。
おばば様に叱られて泣きじゃくる私を、そっと抱きしめてくれた。穏やかな声で私を慰めてくれた。
そういえば……優しい父が珍しく声を荒らげて、おばば様と言い争うことがあった。
壁越しだったので、何を言っているかはわからなかったけれど、初めて聞く父の怒った声よりも、激怒して地面を揺らすおばば様の方が怖かったのを覚えている。
しばらくして父は私に会いに来てくれなくなった。病気で寝込んでいるのだとおばば様は教えてくれた。
お見舞いに行きたいとおばば様にお願いしても、一日も早く《月神の力》を使いこなせるようになるのが親孝行だと言われた。
そして二度と会えないまま――
* * *
ずっと昔の話だ。記憶の中の父の姿はおぼろげで、もう顔も思い出せない。
「お父さん、か……」
エリザベータは無意識に零れた言葉に驚いて、自分の口を押さえた。そしてここにおばば様がいないことを思い出し、ほっと胸を撫でおろす。おばば様の前で父の話は禁句だ。声に出したのはいつぶりだろうか。
「あのっ、エリザベータ……」
顔を上げると、ミルシュカが悲痛な面持ちでこちらを見ていた。
「ふふ。どうしたの? そんな顔をして……」
「だって……」
「大丈夫。少し思い出しただけよ」
微笑みかけると、ミルシュカに抱きしめられた。エリザベータも彼女を抱きしめ返す。
気持ちの整理はすでについている。それでも寄り添ってくれるミルシュカの優しさが、とても嬉しい。
「ねぇイゴル……」と話しかけたのはヤロミールだった。
いつも元気な彼がとても不安そうにしている。
「どうした?」
「もしかして……ここに残りたい?」
そうだ。イゴルはもう会えないと思っていた家族と再会したのだ。鍛冶師として認められたとわかり、積もる話もあるだろう。彼が望むなら、この村に残って親子で鍛冶屋を営むのもいいかもしれない。
エリザベータがそう考えていると、イゴルが大きな声で笑った。
「はははっ! なんて顔をしているんだ。らしくないぞ!」
イゴルはヤロミールの頭を乱暴に撫でた。
「約束しただろう? 忘れてねぇよ」
「っ……うん!! 第二王子が殺されちゃって戦争は長引きそうだけど、頑張ろうね!」
ヤロミールの予想だにしない発言に、全員が凍りついた。
「……どういうこと? バルナバーシュ……私、聞いていないわよ?」
「……ヤロミールの聞き間違いじゃないかな?」
「さっきゾルターンに報告していたよ!」
ヤロミールはゾルターンと同じく《風の加護》を授かっている。彼らにとって壁越しに話を聞くことは造作もない。
猟師の習慣なのか、ヤロミールは無意識に《風神の力》を使って周囲を警戒している。ゾルターンとイゴルが戻ってくる前からずっと聞き耳を立てていた彼が、聞き間違うはずがない。
「戦況を尋ねた時に、どうして教えてくれなかったの?」
「殿下は第三騎士団に所属していないからね。君たちに影響はないよ」
「第二王子の死なんて、全体の士気に関わる大問題だわ!」
指揮官が討たれて軍が総崩れになった記録はたくさんある。王族から死亡者が出て動揺しないはずがない。
我が子を失った国王はどうするだろうか。ヤロミールの言う通り、きっとこの戦争は簡単には終わらない。
「まだまだ話していないことがありそうね」
「えっ、エリザベータ?」
エリザベータはバルナバーシュに詰め寄った。
* * *
エリザベータたちを乗せた馬車がトルフビエ村の広場を駆け抜ける。
この村も戦場になるのだろうか。第三騎士団が後退して敵軍が追撃してくるのなら、可能性はある。
村の人たちに被害が出ませんように……
エリザベータは石造りの家屋が小さくなるまで祈り続けた。
「いやー、エリザベータって怒ると怖いんだね!」
「怒ってはいないわ。質問攻めにしたのは申し訳ないと思っているけれど……」
「負い目を感じることはないさ。僕は君の新たな一面が見れて、とても嬉しいんだよ!」
いつにもまして上機嫌で饒舌なバルナバーシュに困惑する。
「見てみなよ! ブロック状の泥炭を積み上げて乾かしている。あれがトルフビエ村で使われる燃料になるんだ!」
湿った土を掘り出した溝は細長く続いており、側面から水が染み出して溜まっている――まるで水路だ。
「あら? 人がいる……?」
数人の男たちが泥にまみれて溝を広げているのが見えた。バルナバーシュが耳元で教えてくれる。
「ソレイユ王国の工作兵だ。元からある溝を利用して、馬が飛び越えられない堀を造っているのさ。あっちの林にはいずれ兵を隠すだろうね」
「……ずいぶん詳しいわね」
「ああ。物知りだろう? 情報は行商の武器だからね」
それにしても知りすぎている。
どうして行商はソレイユ王国から馬と物資の調達を命じられるほど、国同士の争いに関わっているのだろう。
彼らは忘れてしまったのだろうか。マグ族が深い森の奥で隠れ住むようになった理由を。マグ族が受けた酷い仕打ちを。
猟犬に乗り、馬車に揺られ、国境を越えてここまでやってきた。いよいよエリザベータたちの戦いが始まる。
西の空を、厚い雲が覆う。




