初夏、前庭にて
その日以降、俺がキッチンに呼ばれることはなかった。
ただしアイリーンやドロシーやエヴァは毎日のように洗い場にお呼ばれしていたので、人手不足な状態は続いているようだ。
キッチンの中がどんな感じか尋ねてみるが、多少は公爵のお叱りが効いたのかあのロクスリーもほんの少し大人しくなったらしい。
とは言ってもキッチンメイドたちとキャッキャウフフと楽しく働いている訳じゃなく、ぶっきらぼうな性格は相変わらずで、誰かと打ち解けようともしないんだとか。
そして料理をしていない時は机に向かい、日がなメニューの作成に没頭している。
ドロシーが盗み見たところによれば、それは日々の食卓に並ぶものではなく、近々控えているというこの屋敷での晩餐会のメニューだったそうだ。
ああ見えて食にうるさい公爵からのOKはなかなか出ず、ロクスリーは何度も書き直している。
その情報と引き換えにドロシーは「見てんじゃねえこのウスノロ!」と素敵な怒声を頂戴し、アイリーンたちに泣いて愚痴っていた。
ちなみに、この家での晩餐会では最後に招いた客の前でシェフが挨拶をする決まりがある。
継ぐべきはずの店も継げず、一介の雇われ料理人となったロクスリーにはその名を上げる絶好の機会になるだろう。
仮に失敗したら、その名を下げる危機となる。
彼女は何がなんでも成功させてやる! という気概に溢れており(洗い場に行ったアイリーンたちの観察によると、だが)、すでにその準備に着手しているそうだ。
俺がそんなロクスリーと再会したのは、その晩餐会があと3日に迫ったある昼下がりの事だった。
「……暑いな……」
掃除は屋敷内に限らず、屋敷の外も当然行われている。
今日は広い広い前庭の掃き掃除。
その一部は相も変わらず奇麗な花々に彩られ、小さめの噴水では今日も陽気な小便小僧が、彼の簡単かつ恥ずかしい仕事を毎時毎分こなしていた。
外の仕事だから余計に大変だということもないのだが、ここ数日はかなり気温が高い。
牢に入っていたときの朝晩は冷えたので、ここへ来てそれだけの月日が経ったと言っても良いだろう。
「おぉ〜、おはようございますネロ様」
「ようガーナー。だけど朝じゃなく、もう昼過ぎだ」
「あの時はほんにお世話になりましたのう。ありがたやありがたや」
「どの時だ?」
「ほれ、レンヌ街道のモンスター退治の時ですじゃ」
「その話は昨日もした気がするが……」
「まさか、そんな事ありゃしませんわい。ほんにありがたいことですじゃ」
「拝まなくていい」
「して、ネロ様は何をしているのですか?」
「ここで使用人として働いてる」
「何と! 一体いつからですか?」
「1か月以上経つぞ。ガーナーにも何度も会ってる」
「ふぉっふぉっふぉ、御冗談を」
「いや、マジで。庭の仕事を教えてくれって言っただろ?」
「庭師の仕事など、英雄のする事ではありませんわい」
「今の俺はこの屋敷の使用人だ。だから遠慮なく教えてくれ」
「何と! 一体いつからですか?」
「もういい」
庭師のガーナーは高齢であり、最近は少しボケ始めてきてる。
何度か彼に仕事を教えてくれとせがんだものだが、よくよく考えると彼に仕事を教わるのはロクスリーに仕事を教わるよりも困難極まるだろう。
それでいて仕事は並み以上にこなすものだからクビにもならず、好々爺として独自の地位を保っていた。
体に染みついた習慣とは恐ろしい。
「では失礼いたします。この暑さで薔薇が弱っておりますで、水をやらねばなりません」
「薔薇よりもガーナーがきっちり水分取るんだぞ。年寄りはいきなり倒れるからな」
ガーナーは会釈をし、日差しの中で庭園の仕事を始めた。
何でも、年を取ると暑さよりも寒さの方が堪えるようになるらしい。
俺はまだまだ若いので、やはり暑いのは苦手だ。
そしてこのアホみたいに広い庭にはたくさんの枯れ葉やゴミが吹き込んできており、掃き掃除と言えどもなかなか終わりそうになかった。
こういう時は、15時の休憩時間が楽しみだ。
何か冷たい飲み物をキューっと飲めば元気はつらつ、夜まで続く仕事を乗り切る原動力となる。
「……ん……?」
「あ」
庭を突っ切ってこちらに向かってくる人間がいた。
この屋敷であの格好をしている人間は一人しかいない。
「よう、ロクスリー」
「ケッ。アーデルハイトか」
会うのはあの日以来で、あれ以降俺たちはまともに会話を交わしていない。
だがこうして会った以上は無視するのもおかしいし、世間話くらいはするべきだろう。
「珍しいな、こんなとこで会うなんて」
「同じ屋敷にいんだから、どこで会ってもおかしかねーだろ」
「ロクスリーの姿をキッチン以外で見たことがない」
「アタシだって色々とやる事があるんだよ」
「例えば?」
「ゴチャゴチャうるせーな、そのほうきは杖か何かか? 掃かねーなら乗って空でも飛んでけよ」
「……」
久々に会っても彼女は相変わらずだった。
しかしこの程度でメゲていたら彼女とコミュニケーションは図れない。
そんなに積極的に取る必要もないのだが、ロクスリーの過去の話を聞いてからはこの性格もなんだか憎めなくなってしまった。
「んだぁ? その目は」
「分かったぞ。またキッチンメイドをどやして、居づらくなったから外の空気を吸いに来たとか?」
「ちげーよ! 氷室に行くんだよ!」
「氷室?」
「氷を取りに行くんだよ。今日は暑いからな」
「氷か……」
夏場の氷は貴重品だ。
こうした立派な貴族の家では氷を保管しておく氷室があって、夏でも冷たい食べ物や飲み物が楽しめる。
もっとも、楽しめるのはこの屋敷のご主人様たちだけなのだ。
暑いなか人を働かせておいて、自分たちは冷たいものを食べるのかと思うと腹が立つ。
貴族なんて全員滅べばいいとまでは言わないが、ちょっと不幸になれと願った。
「全く、貴族ってやつは優雅なもんだ。かき氷でも作って振舞うのか?」
「旦那様は食わねーよ。今日は暑いから、使用人どもを休ませて食わしてやれだとよ」
「マジか!」
さすがロイス公爵、貴族の鏡。
俺は先ほどの心の中での暴言を撤回し、これまた心の中で拍手喝さいを送った。
「そーいう訳で、じゃあな。アタシは忙しいんだ」
「……屋敷の使用人全員ぶんの氷を取りに行くのか? ロクスリー1人で?」
「何かわりーかよ」
「キッチンメイドにも声を掛ければ良かっただろ。重たいぞ」
「フン……別に、氷くらいアタシだけで持てらぁ」
いやいや。
何キロ分の氷が必要か分からないが、ロクスリーのこの細腕では無理だろう。
今でもやっぱりキッチンメイドとは距離があるようで、ロクスリーは声をかけにくかったと予想。
それは自業自得と言えなくもないのだが、命じるべきことは命じるべきだ。
それができないのは彼女なりにメイドに気遣っているのかもしれない。
そんな気遣いの果てに1人で氷を運び続けるロクスリーの孤独を想像すると、何だかいたたまれない気持ちになった。
「ロクスリー、俺も手伝う」
「あ? テメーは庭の掃除の仕事があんだろーが」
「氷を運んで、そのまま休憩する。公爵も休んでいいって言ってるんだろ?」
「……フン。言っとくが感謝なんかしねーからな」
「感謝くらいしろよ」
「アタシひとりで充分なんだよ。でもま、そこまで言うなら持たせてやらぁ」
「えぇ……」
そこまでってほど言ってないんだが。
やっぱり1人じゃかなりキツイと思っていたんだな。
「ついてこいよ、アーデルハイト。氷室は向こうだ」
「はいはい」
顎で指図とはまさにこのことで、ぶっきらぼうに告げると先にスタスタ歩き出した。
俺は掃除用具を片し、ロクスリーの形のいいお尻を追った。
「楽しみだな、かき氷」
「フン。料理とも言えねーくだらねー菓子だ」
「でも、冷たくて美味い」
「ま、テメーみたいなお子様舌には丁度いいかもな」
「ロクスリーの作るまかないメシも美味いと思って食ってるぞ」
「あ? テメーなんかメシの味が分かんのか?」
「昼に出たライチョウの冷製肉は最高だった。多分、もともと公爵たちの食事に出されてるものをコッソリと使用人にも振舞ってる」
「……ホー。アーデルハイトごときに鳥の素性が分かると思わなかったぜ」
俺は一時的にだが金持ちだった時もあったので、鳥肉の正体くらいはだいたい分かる。
何を食っても美味いと思う人間の俺なので、美味いものなら人よりなお美味く感じる。
そしてロクスリーの作るメシは、お世辞抜きで美味い。
「パンに添えられたマーマレードも自家製だった。あれもパンをお代わりするほど美味かった」
「おー、分かるか。ありゃちょっとした工夫を加えてある」
「ワインを入れて、独特の風味を出してる。あれで味の奥行きが深まった」
「分かるのか! セラーの奥に、年代物のワインが寝かせてあったからな。ちょいとくすねて使わしてもらった」
「それはロイス公爵に怒られないかな?」
「バレなきゃいーんだよ。自分たちだけいーもん食おうなんざ、考えがアメーんだ」
「使用人にも美味しいものを食べさせようとするなんて、ロクスリーにも優しいところがあるじゃないか」
「へっ。マズいものを出すのはアタシの誇りが許さねーだけだ」
「その誇りのおかげで、みんなが美味いものが食べられてる」
「気づいてねーだろ、ここの使用人ごときの舌じゃーな」
話をしているうちに、ロクスリーの良いところを一つ発見した。
彼女が美味しいものを食べさせたいという気持ちは限定されたものではない。
誰が相手でもその気持ちに変わりはなく、たとえ気付かれなくても自分の作れる最良の料理をふるまおうと考えている。
「アタシが来る前は、使用人のメシはほとんどニシンやマーガリンや肉のドリップって言ってたからな。ったく、考えらんねーぜ」
「でもこの間食ったニシンは美味かったぞ。あれにも何か工夫がしてあるな?」
「おー! アレにもちょいとばかり仕掛けがしてあってだな……」
「どんな?」
「……って、仲良く話しかけてきてんじゃねえ! アーデルハイトのくせに近しいんだよっっ!」
「えぇっ!?」
「さっさ来いよ。氷室はすぐそこだ」
まだまだ彼女と仲良くなるには程遠かった。
だが、料理の話になると非常に饒舌になる事だけは分かった。
そして料理を通して屋敷の人間の幸せに貢献していることも分かった。
そういうところが他の人にもっと伝われば、彼女を取り巻く色々な事が変わる気がした。




