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氷室で起きた大事件

 

 「……ところで、晩餐会の準備は順調なのか?」


 「あ?」


 「ほら、政財界の大物とやら集まる晩餐会のメニュー」


 「当然抜かりねぇ。アタシがこの世界でのし上がるためには絶対にしくじれねぇからな……!」


 背後に炎が見えるような気合の入りっぷりだった。

 キッチンで偵察を続けていたアイリーンたちの情報によれば苦労していたらしいが、何とか間に合ったか。


 「どんなメニューが出るんだ?」


 「奇をてらわねーど真ん中のコース料理だ。アタシの実力を見てもらうには、それが一番いいからな」


 「ふーん……」


 きっとコントワール・ランブロワの料理がそのまま出てくるようなイメージで間違いないだろう。

 彼女は幼い頃から実の父親に師事し、あそこで鍛えられてきた。


 あのレベルの料理が出てくるのであれば、どんな上流階級の人間でも大満足することに疑いはない。


 「じゃ、晩餐会は成功だな」


 「おー。でも公爵には苦労させられたぜ。あーでもーねーこーでもねーって、何度メニューの作り直しをさせられたかわかりゃしねー」


 「でも最後には良いメニューができたんだろ?」


 「まーな。メインは10日間低温熟成させた子牛肉。表面だけをカリっと焼き上げた後は、3日煮込んで3日寝かせたフォン・ド・ヴォーで仕上げる。それだけじゃ深みが足んねーから、最後には麹と岩塩に漬けたフォワグラとトリュフのみじん切りを贅沢に振り掛ける」


 「やめろ。クッソ腹が減って来る」


 「ケケケ、食いてーだろアーデルハイト」


 「手を付けずに残す客がいることを期待したいけど……無理だろうなぁ」


 晩餐のメインにふさわしい贅沢な料理だった。

 話を聞いただけで涎が溢れてきて止まらず、俺たち使用人の口には入らないのが無念すぎる。


 そして、本当にロクスリーは何日も前から晩餐会のために準備していたことが分かった。


 キッチンメイドとの不仲を指摘していたロイス公爵だが、これなら無用の心配に終わるだろう。


 つまるとこ、一人の天才がいれば一流の作品というものは成立してしまう。

 あとはその天才に従って忠実に動く人間がいれば良いのかもしれない。


 ただ……聞いた話によればロクスリーの態度に我慢ならず、退職していったキッチンメイドもすでに何人かいるらしい。


 天才の扱いは、やはり難しい。


 「食えはしねーだろーが、材料くらいは見してやんよ。肉もフォン・ド・ヴォーも、氷室に保存して熟成させてあるんだ」


 「なんで氷室なんだ?」


 「常温で置いてたら熟成する前に腐っちまうだろーが。んな事も知らねーのか?」


 「俺は料理人じゃないから詳しい事は知らん……が、興味はある」


 「へっ、氷室はあそこだ。見してやるから早く来い!」


 自分の仕事の成果を誰かに見てもらいたい感情を、気難しいロクスリーもしっかり持ち合わせていた。


 氷室に向かう足取りは早く、表情も普段よりずっと柔らかい。

 これで何もしゃべらなければ本当に美人なのに、残念なことだと思った。


 「……おい」


 「なんだ?」


 「おい、おいおい、おいッッ!! 入り口が開いてやがる……まさかッ!」


 「ロクスリー!」


 珍しく穏やかに話ができていたのに、ロクスリーが急に険しい顔をして駆け出した。


 向かった先は氷室。


 この屋敷の中でも特に日当たりが悪く、じめじめして、人の訪れない遠い場所にある。

 そういう場所でなければ氷が溶けやすくなるからだ。


 その入り口が、開け放しになっていた。


 「ロクスリー! どうした!」


 「……ウソだろ……」


 ロクスリーは氷室の中を見つめ、呆然と立ち尽くした。


 暗い氷室の中には誰もいなかった。


 この中に誰もいなかったという事実がどれほど恐ろしい事を意味するか、俺はすぐに気付かなかった。


 氷室はその構造物自体が何かを冷やすという機能を持っている訳じゃない。

 氷が溶けにくい環境を人間が作り、それを堅持するだけだ。


 だから長時間外気が入り込んでしまえば全く用をなさない。


 今日のように暑い日が続けばそれはなおさらで、氷室の床は溶けた氷で水浸しになっていた。


 吊るしてある肉は、ロクスリーが晩餐のために用意していた子牛肉と思われた。


 大量のコバエがわんわんと羽音を立てて飛び回り、何という名前かも分からない黒い甲虫が真っ赤な肉に何匹もへばり付いている。


 どれほど熟成させようとも、この肉を美味しく頂けることはないだろう。

 微かに異臭がするのは、きっとこの暑さで早くも傷みだしているせいだ。


 「肉も……フォンも! クソッ! 一体いつから! 誰がここを開けた!!」


 「ロクスリー……」


 ダメになっているのは肉だけじゃなかった。


 3日煮込んだというフォン・ド・ボーの鍋が横倒しになっていて、出汁を取るのに使った材料をドブネズミが何の遠慮もなしに齧っていた。

 俺たちという突然の訪問者に驚き、水びたしの床を元気に走り回っている。


 ロクスリーが何日も前から仕込んでいたとっておきの食材たちは、みんなダメになっていた。


 この氷の解け方は尋常じゃなく、少なくとも数日間は外気に晒されていたと思った。


 そしてプール状態の床に1枚のメモが浮いていた。


 俺はその紙を手に取り、眺め……そして思わず、顔をしかめてしまった。


 「……なに見てんだよ。何だよその紙」


 「何でもない」


 「見せろ」


 「何でもないって言ってるだろ」


 「いいから、見せろ! ここをこんなにしたやつが何か残していったんじゃねえのか!」


 「やめろ!」


 「ッ……!」


 俺の手からロクスリーがものすごい力でメモを奪った。

 奪い返そうと思ったが、遅かった。


 彼女はそのメモを見て、激昂して即座に破り捨て──水浸しの床にへたり込んだ。


 メモにはこう書かれてあった。


 『生意気な女シェフ、ロクスリー・アディ・クロウに天罰を! 人を見下してばっかのアンタなんか、今すぐに死んじゃえ!』



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