十一月四日 Another・S 2nd
人間には夢が必要だ。
荒唐無稽でも、分不相応でも、夢見る人間がいつだって世界を変える切っ掛けになった。
だから、ヤエヤマという男の夢に皆が乗った。
夢に殺された夥しい失敗者の躯の山から、目を逸らして。
他人の夢の尻馬に乗って自分も夢を見させて貰おうと、愚かにも。
(限界だ……どいつもこいつも)
鉄風雷火の戦場を横っ面から殴りつけた膨大な死と暴力の殺戮装置達から逃げて、逃げて、逃げ切れないときは戦って、なんとか敵の追っ手を振り払っても更に移動して――その先で漸く取れた休息の中で、部隊員達の顔を見渡したスズハラは内心ごちた。
生き残った日本人類の未来の趨勢を決するために覚悟の雄叫びを声高らかに挙げていた頃の気力や熱意は、彼らからは感じられない。士気も補給物資も何も足りず、ガイストは満身創痍。何もかもが極限状態の惨めな敗残兵だ。
あの戦場は「こんな筈じゃない」ことの連続だった。
司令部と偵察部隊を怒鳴りつけてやりたい、という気持ちを抱く余裕もなかった。
ただただ死に物狂いで、規定の撤退ルートも機能していなくて、スズハラは部下の命を助けるためと自己暗示して、生き残れるかどうかも分からない山道を強引に突き切った。悪手であっても決断しなければ全滅すると思ったからだ。
『死ぬことを考えていたらキリがないから生き残る方に頭を使え』。
あの東京帰りの男の警告がスズハラの背を押した。
少しでも気を抜くと、過去となった筈の戦場が戻ってこいと耳元に囁く。
怒号、悲鳴、恐怖、狂気、後悔――ありとあらゆる負の感情が、ありとあらゆる火砲と爆炎に乗って無限に拡大していくあの地獄が読んでいる。見捨て、置き去りにし、助けられなかった仲間達が「何故お前達は生きている」と責め立てる。
戦いをやっていればいずれ死に直面するのは必然だ。
スズハラは、勝利に浮かれたり敵への憎しみを隠さない他の司令官よりその事実に対して覚悟を決められているつもりだった。
しかし、無力感と倦怠感に負けて肩を落とし項垂れる己の姿勢が雄弁に現実を物語っている。
(甘かった。後悔に押し潰されそうだ。こんな、これが……こんなものが、俺たちの求めた夢の代償だったって言うのか)
最大の誤算は、『ターミネイトD』だった。
報告例僅か一、どの勢力にも属さない生存者からの口頭の情報提供とセットで回ってきた極めて危険な敵性体。部隊長の殆どが見たことがなく、それがターミネイターの群れを引き連れて無数に出現したときも、殆どの人間がそれこそがDだとは思わなかった。
スズハラは形状を見てもしやと疑いはしたが、実際にその悪魔染みた凶暴性を目撃するまでは信じ切れていなかった。ターミネイトD達がガイストの堅牢な装甲を紙でも裂くように切断し、砲撃で蜂の巣にするまでは。
ターミネイトDに側面を突かれてた部隊は何が起きたのかも理解出来ないまま死んでいったことだろう。生き地獄を彷徨う戦場の生存者達の絶望と虚無の表情を見ると、その方が幸せだったのではないかとさえ思えてくる。
迎撃出来ると信じて陣形を崩すまいと留まり、串刺しや輪切りにされた者が何人も居た。
シャングリアの追撃に夢中で状況確認を怠った隣の部隊は、Dの超高熱射撃で薙ぎ払われて全員がガイストの上半身ごと骨も残さず蒸発した。
戦艦の護衛は気が楽だと笑っていた臆病な同僚はターミネイターに優先的に襲われたことで逃げ場を失い、最期は夥しい敵を道連れにするための自爆に巻き込まれて懇願の絶叫と共に爆炎に呑まれて消えた。
混乱による誤射で味方の火砲を浴びて粉微塵に砕けた部下も何人かいた。
仲間同士で最期まで共に駆けようと誓っていても、人間は追い詰められると約束の一つも守れやしない。
ターミネイターとDたちは、ヤエヤマ解放戦線にもシャングリアにも平等に牙を剥いたことだけが慰めにもならないちっぽけな救いだ。おかげでDの一部が機甲天使隊に注力し、狙いが分散された。
殿に残ったヤエヤマと『ブレイヴァン』ならDにも負けはしないだろうが、あの圧倒的物量差が相手では部下を守り切ることもどの程度出来たのかは怪しい。
今にも崩れ落ちて全てを投げ出したいほどの壊滅的打撃は、これからのヤエヤマ解放戦線に大きく影を落とす。それどころか、もしかしたら自分たちはこのまま増殖を続けるターミネイターに駆逐されて――。
(だめだ……余計なこと、考えるな! 俺は折れてはいけない。自信満々で、あっちに食いものがあると言わなければならない。でないと、こいつらはもっと惨めに死んでいく……)
補給線に任せておやつかお守り程度しか詰んでいなかった賞味期限切れの栄養補給バーを無理矢理噛んで、水で流し込む。これまでも周囲を警戒しながら何度かローテーションで小休止を挟んできたが、食料が限界だ。今食べたそれだって、切り詰めて、切り詰めて、切り詰めた末に今しがた全てなくなった。
最悪の予感はもう数え切れない程に脳裏を過った。
スズハラはこの終末世界で飢餓が人をどう狂わせるのか、その一端を垣間見たことがあった。
自決した方がマシだっただろうと思える程の、想像を絶する狂気。人間には根本的に理性など無く、獣が知恵を持ったふりをしているだけなのだと思わせる所業。自分もそうなるのかもしれないと思うと、スズハラは恐ろしくて仕方が無かった。
部下達はサバイバル生活が板に付く前にヤエヤマ解放戦線に入った面子が多く、人数も多いためその場凌ぎの自給自足さえ難しい。食料を漁れる地点に辿り着くまでにどれほど時間がかかるかの勝負になる。溜め込んだ不満が爆発したときが、A-5部隊の終焉の時になると覚悟した。
それから間もなく、恐れていた事態は起きた。
最初はオープン回線を使った迂闊な愚痴に始まり、それを咎める声。
反論、加熱、応酬、やがて暴走する感情は猜疑心を生み、あっという間に部隊内に伝染し、いつの間にか部下の公開処刑を隊長であるスズハラが求められていた。
『スズハラ隊長!! このようなやつ、秩序を乱して食い扶持を減らすだけだ!! ご命令を!!』
『殺せ!! 解放戦線にこんなヤツはいらない!!』
『言わせてみれば好き放題言いやがって!! こ……殺してやろうかぁ!?』
『スズハラ隊長!! A-5部隊の名誉に賭けて、ご決断を!!』
『ご決断を!!』
直感で気付いた。
撃ち殺さなければ一方的に見限られる、と。
もはやここまでか。後のA-5部隊に残された道は、破滅だ――現実を受け入れようとした、まさにその瞬間、第三者からのオープン回線が割り込んできた。
『スズハラ。A-5のスズハラか?』
『!? 部下ではない……何者だ!?』
『お前らの捕鯨作戦一緒に手伝った男だよ。東京帰りと言った方が通りがいいのかな?』
それは、望外の再会だった。
『お前らオープン回線でごちゃごちゃ話してたが、要するに腹減ってるんだろ? 飯奢ってやるからこっちこいよ。南南西、道端の中華屋だ』
――東京帰りの男は、『グレイホーク』を失い随分貧相なガイストに乗り換えていたが、五体満足で元気だった。
彼が奢ると言いだしたのは、全く予想外の料理だった。
カレーライスである。
日本人の日常に溶け込んだ料理であり、世界が終末を迎えて以降は食べる機会が激減したそれを、彼は手持ちの食料を惜しげも無く投入して全員分作ってくれた。
ただ作っただけではなく「そこにムカゴあるから採れるだけ取れ!」と隊員に手伝わせてもいたし、野菜が足りなくて様々な野草や賞味期限切れの野菜チップスで補ったりビーフジャーキーを水で戻して肉を確保するなどのオリジナリティが散見された。
出来上がったそれは中華どんぶりに盛られておかわりもなく決して上等な逸品とは言えなかったが、レンゲで掬った際にふわりと舞ったその食欲をそそるスパイシーな香りが、口に含んだときの旨味と刺激が、胃の奥に貯まる満足感が、「お前はカレーライスを食べているぞ」と知らせてくれた。
家庭の味、学生食堂で頬張った味、レトルトを暖めて大皿によそいだ味。
そのどれとも少し違うが、確実に奥底で繋がっており、カレーと呼べるもの。
スズハラは、林間合宿で作ったカレーを学友と囲んで食べた時を特に思いだした。
何も聞かない彼から振る舞われたカレーライスの味を、きっとスズハラは生涯忘れることはないだろう。
隊員の全員がカレーライスを無心に頬張り、噛み締めた。
それがどういう感情だったのかは、スズハラにもはっきりとは分からない。
しかし、部下達は自然と泣き始めていた。
郷愁に胸が締め付けられた者。
自分が生存した事実を漸く喜べた者。
共にカレーを頬張りたかった戦友との永遠の別れを受け入れる者。
全員に共通して言えるのは、日常の象徴とさえ言えるカレーライスを振る舞ってもらい、食卓を囲うことが幸福なことであるのを再認識させられたことだろう。
誰もがカレーを食べた在りし日の日常、振る舞ってくれた家族の顔、確かに過去に存在した日常を想起し、そして、悲惨な戦場から帰ってきた自分たちは確かにこの世界にまだ存在していることを確かめた。
先ほどまで隊員内で殺し合いが起きようとしていた空気はスパイスの香りと共に風が攫っていった。
東京帰りの男は、食事を振る舞った礼として情報を求めた。
本来は部外者に話すことではないが、今のA-5部隊に彼を敵視出来る人間はいない。
スズハラも、この男ならばいいと思って自分たちの身に振りかかった悲惨な戦いを掻い摘まんで説明した。
その会話の最中で、実はヤエヤマ解放戦線が掴んだターミネイトDの情報は彼が伝えたものだったことを知り、再度驚いた。つい説明を怠っていきなり「D」と呼んだそれの概要を彼が把握していたことが切っ掛けだったが、それが切っ掛けで何故あれほどのDが出現したのかの有力な考察も生まれた。
スズハラはこれで東京帰りの男に三度も助けられたことになる。
『スーパーホエール』鹵獲作戦で部下の手伝いをしてくれたこと。
Dの情報を彼が提供してくれたおかげで状況把握や戦闘、撤退が失敗せずに済んだこと。
そして、冬が迫る過酷な環境の中で隊員全員分という普通なら誰もあげたくない食料を大盤振る舞いして内部分裂を防いでくれたこと。
おまけとばかりに比較的近い位置に食料の大量に残っている場所があるという情報も提供してくれた。道理で彼が隊員に振る舞うだけの食料を持っていた筈だと苦笑したが、それでも、襲撃されて身包みを剥がされる可能性さえある状況でカレーを振る舞うという選択肢を選んだこの男をスズハラは素直に尊敬した。
最寄りの『ターミナル』に直行するには一週間以上かかる。
数日かけてでも、彼の言う場所に向って充分に食料を確保した方が賢明だろう。
疑ってはいないが、もし情報が正確であれば四度目の助けだ。
(……しぶとく生き延びてくれよ。俺たちはすっかりあんたのことが気に入ってしまったんだからな)
彼はヤエヤマとシャングリアの全面衝突の話をずっと憂いを帯びた顔で聞いていた。ヤエヤマ解放戦線は戦いの末に平和があるという夢を信じたが、東京帰りの男は相争うことのない世界を夢見ている気がする。
人間には夢が必要だ。
荒唐無稽でも、分不相応でも、夢見る人間がいつだって世界を変える切っ掛けになった。
スズハラは現実的にはヤエヤマを信じて戦う道を選ぶが、遠ざかっていく『ホルニッセ』を操縦する男もそうした世界を変える人間であれば良いなと無責任に願った。




