組紐
田中さんの酒場を訪れるのも、これで三度目だった。
最初は妖怪が営む店に来ることに妙な緊張があったが、今ではそれもほとんどなくなっている。
今日も店が閉まった後、椿さんと三人でお酒を飲んでいた。
「妖怪ってみんなお酒は強いんですか?なんというか……二人とも喉が焼けるようなお酒飲まれてますよね?」
「俺も強い方だと思うけど、九と同じ速度で飲んだら潰されるな……」
「おお、俺が唯一優里に勝てるところだよな。酒の強さは。うわばみだから。」
そう言った田中さんは、ほんの一瞬蛇のような目になり、口からは二又に分かれた細長い舌がのぞいた。
「……」
「火吹ちゃんが引いてるぞ。」
「引いたかあ、異形なんて見慣れてるだろ?」
「いや……ずっと人の形を見てると、ちゃんと妖怪なんだなって少し驚きが……」
「優里もやってやれよ。」
椿さんは持っていた杯を置いて右手を上げた。その手は鳥の足のように変形して、鋭い爪が伸びた。けれど、それもすぐ、元の人の形に戻った。
「お前、手だけはずるいだろ。」
「これ以上は本気で引かれるからやらない。」
椿さんは笑いながら答えた。
「これ以上があるんですね……ちょっと気になります。いいなあ……私は髪と目が朱くなるぐらいしか……」
私は自分の髪に触れながら、霊力を込めた。すると二人が私から少し離れた。
「おい、ここでやるなよ!」
「ちょっと……引かれるより傷つきます……」
「俺達が物理的に傷つくからやめて。」
「本当に洒落にならないからな、君の霊力。」
霊力を収めて髪が黒く戻ると、二人とも元の位置に戻ってきた。
「……」
少し時間を置いて、もう一度体に霊力を込めてみた。そしたらまた二人が驚いた様子で少し離れた。
「あははは。」
二人の反応が可笑しくて笑ってしまう。
「悪い女だな……もうやめろよ。」
「ははは。反射的に体が動くな。」
「ごめんなさい、もうやりませんから。」
椿さんと一緒に酒場から出て、並んで夜道を歩く。少し進んだところで、私は椿さんに声をかけた。
「あの……椿さん。渡したいものがあって……」
「?」
「手を出してくれますか?」
椿さんが手を差し出す。私はその手首に、編んできた黒に近い濃紺の組紐を結んだ。
「これは?」
「えっと、助けて頂いたお礼……これだったら受け取ってもらえるかなと思って……」
「そんなの、よかったのに。」
「ただの組紐じゃないんです!」
私は手に霊力を込めた。髪と瞳が朱く染まる。
私はそのまま椿さんの手を握った。
「……!」
「どうですか?」
「あぁ、熱くない。」
「身につけていれば陰陽術の効果をある程度防いでくれます。」
「え、そんなもの渡していいの?」
「はい。椿さんだけ特別です。以前私の渡した札で怪我をさせてしまったことが気にかかっていて。どんなものでも完璧にという訳にはいかないですが。」
「ありがとう。大切にするよ。」
「えへへ……良かった。」
椿さんの視線が私の目から手の方に移った。
「ご、ごめんなさい。」
私は慌てて手を離した。私の様子を見て椿さんは笑っている。
「……ごめんなさい。」
私も釣られて笑ってしまった。
***
自室の布団の上で仰向けになり、左手を天井にかざした。手首には火吹ちゃんがくれた組紐が結ばれている。
思わず笑みが溢れる。……いつも無自覚でこんなことをする彼女に呆れてしまう。
「はあ……」
左手を下ろしてため息をつく。
俺はこの距離から先へ進むべきじゃない。そう思っているのに、彼女といるとその決心が揺らぎそうになる。
「……」
これ以上、妖怪の世界に彼女を引っ張ってはいけない。彼女の幸せを願うなら。




