天幕にて②
朱理様は陰陽師の装束に手早く着替えると、脱いだ剣舞の装束についた返り血を見つめていた。
「あの、それなら……」
私が洗い落とすと申し出るより先に、朱理様の髪が朱くなり、装束に火が上がった。
「えっ!」
火がおさまると装束から返り血が消えていた。ま、まさか血だけ焼き払うなんてそんなこと、できるわけが……
「よし。」
朱理様は満足そうに装束を見つめ、私に手渡した。
「すみません、茜さん。あとはお願いできますか。」
「は、はい。」
私は装束を受けとった。
「もしかしたらまだ妖怪がいるかもしれませんから、外で見張っていますね。」
朱理様は天幕の入り口へ歩き出した。
「あ、あの!朱理様!」
「?」
「妖怪、怖くないんですか?」
「怖い?」
朱理様は少し考えたようだった。
「そうですね。昔は怖いと思うこともありましたが、今はあまり。」
「じゃ、じゃあ!どうしてひと月も逃げていたんですか?」
朱理様の顔が曇った。
「それは……」
「怖くないなら逃げる理由なんてないはずです。」
私は朱理様が私と同じように、他の陰陽師に守られながら戦場に出ていると思っていた。
「逃げたわけではありません。狒々の妖怪の討伐で、陰陽師達が退却するために殿を任されて……そこで怪我をしてしまったので、家に戻ることができなかったのです。」
朱理様は静かに答えた。
「な、なんで……それが本当なら、どうして逃げたことになっているのですか?」
「秋実様が……そう報告したようですから。」
「おかしいですよ!そんなの!」
大きな声を出した私に朱理様は驚いたようだった。
「朱理様、悔しくないんですか!?事実が捻じ曲がって伝わると、私みたいな何も知らない非戦闘員なんかに見下されるんですよ!?今からでも、真実を話すべきです!!」
「えっと、私は……」
朱理様は言葉を詰まらせながら話を続けた。
「そうですね。今思い返すと真実を話すべきだったかもしれません。次期当主である秋実様の立場を守ることを考えすぎていました。」
朱理様は暗かった顔を無理矢理明るくして、こちらに向き直った。
「でも結果的に、私にとって悪いことばかりでもなかったんですよ。私が逃げたという虚偽のおかげで、重荷だった秋実様との婚約がなくなったのですし。」
「朱理様……おかしいですよ、そんなの。そもそも、婚約を重荷に感じていたなら、朱理様から解消を申し出れば良かったのです。逃げたという虚偽は自分を貶めるだけですよ!?」
自分のことでもないのに、握った拳に力が入った。
「私だったら、そんなの耐えられません。妖怪と最後まで戦って、なのに逃げたことにされて……挙句非戦闘員に馬鹿にされて。」
私は戦闘員として、戦場に立ったことがある。妖怪を前に怖くなって何もできず、他の陰陽師達の足を散々引っ張って……今でも思い出したくない。
だから、朱理様が憎らしかった。
大して戦闘力もないだろうに、前当主の娘というだけで戦場で守られている。
そこへ、怖くなってひと月も逃げたという話まで聞いた。そのくせ、帰ってきたら何事もなかったように戦場に復帰するなんて、何を考えてるんだと。
私は自分の目で見たわけでもないのに、それを信じて疑わなかった。
「ちょ、ちょっと……」
私は床に手をついて、朱理様に頭を下げた。
「申し訳ありません、朱理様。私、今まで散々無礼な態度を取ってしまって……」
「やめてください。気にしてません……と言えばちょっと嘘になりますが……」
今思い返すとあの時の兼津さんは、ただただ真実を言っていただけだ。
私はゆっくり頭を上げて朱理様を見上げた。朱理様はこちらを見て困惑している。
剣舞を完璧にこなし、妖怪をあっさり斬り捨てても横柄な態度を取らない朱理様が、たまらなく格好よく見えた。




