火吹家
ひと月ぶりに火吹家の表門をくぐった。
見慣れたはずの屋敷が、妙に懐かしく感じる。
ひと月もの間何の便りも出さなかったので、私を見て皆がどう思うのだろう。自分の家に帰ってきたというのに、少し緊張していた。
「朱理様?」
門脇の詰め所にいた陰陽師から声をかけられた。
「はい。朱理です。ただいま戻りました。」
「す、少しお待ちください……!」
そう言って陰陽師は慌てたように走り出した。
「え、いや……別に帰ってきたことは自分で伝えますが……」
その声は彼には届かなかったようだ。
屋敷へ向かうと既に辺りがざわついていた。
「朱理!」
私の名前を呼び、屋敷の方からこちらへすごい勢いで走ってくる人がいた。その勢いで私に抱きついてきた。
「母上……!」
「良かった……朱理、無事だったのね……!」
「すみません、ご心配おかけしました。」
母上の顔を見ると少し緊張がとけた。
私の帰還が当主にも伝わり、陰陽師達が屋敷に集められた。座敷へ行くと床の間の前に火吹家当主の燈玄様が座っていた。
燈玄様は父の前に当主を務めていた方で、すでに当主の座を退いて久しかったが、父が亡くなったことで再びその座についている。
燈玄様の左右に古参の陰陽師、少し離れたところに……秋実の姿が見えた。
「よく戻った。朱理。」
「ご心配おかけしました。」
「怪我はないようだな。」
「はい、問題ございません。」
「……さて。聞きたいことはいくつかある。」
一呼吸おいて燈玄様は続けた。
「狒々討伐の折、お前は戦場から逃げたと報告を受けている」
「……?」
逃げた……?……私が?
あまりに予想外の言葉に、一瞬誰の話をしているのかと思ってしまった。横目で近くにいた秋実の方を見る。報告をしたのは、私に殿を任せた部隊長の秋実のはずだ。
「いいえ、私は……」
「何故、逃げたんだ?朱理。」
私が言いかけると、それを牽制するように秋実が口を開いた。驚いて秋実の方を見る。話を合わせろとばかりにこちらを見ている。
どうして最後まで戦った私が逃げたことにされるのか、納得できなかった。
ここで否定すれば、次期当主である秋実が虚偽の報告をしたと、この場で訴えることになる。婚約者である私がそこまでして争うことに、ためらいがあった。……それに、話をこじらせて椿さんのことまで詮索されるわけにはいかない。
「……申し訳……ありません。」
まわりにいた陰陽師達から少しだけざわつく声が聞こえた。
「そうか。ではひと月も何をしていた?」
「町を離れていました。」
「何故戻らなかった。」
「戻る気になれませんでした。」
「何故今になって戻った?」
「私の人相書きを見ました。思ったより大事になっているようでしたので。」
感情を押し殺して答えた。
「……そうか。」
燈玄様はため息まじりにそう言った。
「では朱理。お前は陰陽師を辞めるのか。」
「!……いいえ。」
「戦場から逃げ出したお前に、陰陽師の任が務まるとは思えん。」
胸がひやりとした。
「申し訳ありません……次の機会を頂ければ、必ず戦果を上げてみせますので……」
「もういい。下がれ。」
「……はい。」
座敷を出ると秋実が私の方に近づいて来た。
「朱理、あの後本当は何をしていたんだ?」
何事もなかったように話しかけてきた秋実にはらわたが煮えくりかえった。
「よくそれを私に聞けますね。私が逃げただなんて虚偽の報告をして。」
「女のお前一人残して退却したなどと報告できるわけないだろう。俺達の面子を考えろ。」
この男は私が怒っていることに気づいていないのか。申し訳なさそうな顔もせず、火に油を注いでくる。
「ひと月の間どこにいたんだ。最近見つかった妖怪の死体もお前の仕業だろ。」
「あなたに話すことはありません。」
「おい、朱理!」
秋実と話す気にもなれず、呼び止める声を無視して自室に向かった。
自室で仰向けになり天井を見つめる。秋実の顔が忌々しく思い出される。あれと婚約関係にあることにはっきり嫌気がさした。
「朱理、入ってもいい?」
「はい。」
母上が部屋に入ってきた。……心配そうな表情をしている。
「私は、あなたが妖怪怖さに逃げ出すなんてとても思えないのだけど……」
「母上……私は……」
声が震えた。
「私は、あの狒々討伐の日、撤退する陰陽師達の殿を任されて、最後まで一人で戦っていたんですよ。なのに逃げた扱いなんて。これも秋実様の顔を立てるためですか……」
「朱理……」
母上は私を抱きしめた。
「いいのよ、朱理。火吹家のためにあなたが犠牲になる必要なんてないんだから。お父上だって、火吹家の繁栄よりあなたの幸せを願っているはずだわ。」
幸せを願っている……その言葉を聞いて、椿さんのことを思い出した。
「……」
「狒々と戦っていたなら怪我は?大丈夫なの?」
「狒々との戦いで負傷してしまい、親切な人に助けて頂きました。ひと月ほど療養が必要で、戻ることができませんでした。」
「誰かに助けてもらったの?」
「……」
「朱理?」
「すみません、詳しくは話せません。助けてくれた人に、迷惑がかかりますから。」
「……そう、あなたを助けてくださった人がいるならお礼をと思ったけど……言いたくないなら無理には聞かないわ」
母上は優しく告げた。
自室で母上と話した後、外に出て庭を歩いた。さっき母上に言われたことと、椿さんに言われたことが頭を巡っている。
「幸せ……」
幸せについて考える。私はどうなれば幸せなのだろうか。
父上の遺志を継ぎ、火吹家のために力を尽くす。それが私の本懐だと疑ったことはなかった。次期当主である秋実様と結婚し、火吹家を支え続ける。それが私にとっての幸せだと思っていた。
「朱理様!」
考え事をしていると、後ろから声をかけられた。
「ああ、あなたは……」
見ると、狒々との戦いの時、足を負傷して動けなくなっていた陰陽師だ。
「もう足は大丈夫ですか?」
近づいてきた陰陽師に尋ねた。
「はい、なんとか!もう普通に動かせるようになりました。」
「そうですか。良かったです。」
「あの……朱理様。もしよければなのですが……今夜の夜警に付き添って頂けないでしょうか。」
「えっと……」
嫌な考えが頭をよぎり、すぐに返事ができなかった。
また、都合よく使われるだけではないのだろうか。
「申し訳ありません、本当は私一人で行うべきなのですが、どうしても経験不足で……朱理様に戦い方を教えて頂きたいのです。」
「え……」
予想していなかった申し出に驚いた。
「私に教えを請いたいということですか?」
「はい、朱理様にお願いしたいのです。」
「……はい、いいですよ。」
「ありがとうございます、朱理様!」
今まで、誰かが私に教えを請うことなんてなかったので、少しだけ嬉しかった。




