帰り道
それから二日、烏天狗さんの言った通り身体に異常はなかった。その夜、烏天狗さんは私にかけていた幻術を完全に解いたが、傷が開くこともなく、薬を飲む必要もなくなった。明日の朝には町まで送ると言われた。
薬の副作用は傷が治るにつれ軽くなってはいたが、こうして薬を飲まずに寝るのはかなり久しぶりに感じる。朝には帰れる……そう思うと少しだけ体が緊張して、あまり眠れなかった。
翌朝、烏天狗さんが朝食ができたと知らせに来た。
食べていくかどうか確認されたので、頂くと答えた。
朝食が終わると烏天狗さんは私がここに来た時に持っていた荷物を渡してくれた。
「あの、何かお礼をさせてください。後日、謝礼をお持ちします。」
「いらないから、そんなの。……もう十分。」
「……?でも……」
「じゃあ……今日からの夜警は代わってくれる?」
「はい、それは勿論。」
烏天狗さんはその答えに満足したようで玄関の方へ足を進める。私はその背中を呼び止めた。
「あの……本当に今更なんですけど……お名前を聞いてもいいですか?……恩人の名前は知っておきたいのですが……」
「……ああ、確かに、ひと月も一緒にいたのに言ってなかったね。椿優里。人間にはそう名乗ってる。」
「椿優里さん……」
「じゃあ行こうか。町まで送るよ。」
「……はい。」
山道を下った。来た時には意識がなかったので、この道を通るのは初めてだった。烏天狗さんがどうしてこんなところに住んでいたのか疑問だったが、山を下ってみてわかった。結界が張ってある。人間からも妖怪からも、あの家の存在を隠しているのだろう。おそらく私一人では、もうあの家に辿り着くことはできない。
町外れまで来た。見慣れた景色だ。人の往来が懐かしい。
「ここまで来たら、帰り道はわかる?」
「はい。ありがとうございます。椿さん。本当にお世話になりました。」
「うん。……じゃあ、元気で。」
椿さんは町の方へ足を進めようとして、こちらを振り返った。
「火吹ちゃん。」
「!……はい。」
「俺は、君が火吹家でどういう立場で、どうなりたいのかはわからないけど。……幸せになって。」
私は、離れていく椿さんの背中を見ていた。
椿さんは、そのまま振り返らずに去っていった。




