療養の終わり
「まずいな……」
烏天狗さんが壁に掛かった時計に目をやった。
「俺、結構寝てたな。店を休んだことなんてなかったのに。」
「えっと、お仕事行かれるつもりなんですか?」
「今から行っても、店はどうせ昼過ぎまでだからなあ。」
その言葉に安堵する。
「顔出すだけ出しておこうかな。」
「今日は休んだ方がいいのでは……」
「大丈夫だよ。君のおかげで怪我はほとんど治ったから。」
烏天狗さんを無言で少し睨んでしまった。
「いや、大丈夫って言ったそばからこれか。そりゃ信用できないよね……」
烏天狗さんはばつの悪そうな顔をする。
「でも、もう君の怪我もかなり治ってるから。最悪俺の幻術がなくなっても、命に関わることはないはずだよ。」
烏天狗さんはそう言って笑った。
この人はまだ、私が私の心配をしていると思っている。
「薬をあと一、二回飲めば、もう治るかな。三日後には帰れるんじゃないかな。」
「本当ですか。」
火吹家に帰れる。それを望んでいたはずなのにあまり声が弾まなかった。
「何か心配がある?」
「いえ、そういうわけでは……」
烏天狗さんが心配そうな顔をしてこちらを見るので、気になっていたことを口にした。
「えっと……しばらく何もしていなかったので、身体がすごく鈍っていそうで。前線に戻るのは苦労するかもしれないなあって。」
「あぁ、それなら、薬の影響で多少ましなんじゃないかな。筋力とかは落ちてないと思う。」
本当に何の薬を飲ませてくれたのかと疑問に思った。
「だったら良いのですが。」
結局その後、烏天狗さんは店に顔を出しに行った。
顔を出すだけと言っていたはずなのに、帰ってきた頃にはもう夕方になっていた。
夕食の準備をする前に、烏天狗さんはいつも通り新聞を渡してくれた。受け取った新聞に目を落とす。
今朝見つかった妖怪の死体についての記事だ。死体の数は十体……? 刀傷のあったものが五体、全身を焼かれていたものが一体、外傷なしが四体……
思わず台所に立っている烏天狗さんを見つめた。この人は一体……外傷なしということは妖術でも使ったのだろうか。この四体を陰陽師の仕業にするのは難しそうだが。
また別の記事が目に留まる。毎年恒例の花火大会が今年も予定通りに行われるらしい。火吹家が警護にあたるとのことだ。
新聞を見ていると烏天狗さんが配膳の準備を始めたので、私もそれを手伝った。
「それ、見た?花火大会。」
烏天狗さんが新聞を顎でさす。
「うちの店も……もう、あの馬鹿ども……」
烏天狗さんは忌々しげに話した。
「露店出すって言い出してて。あいつら今の今まで昼過ぎまでしか店開けてなかったのに、完全に俺を用心棒にする気だ。いくらかごねてみたけど全然聞く耳持たねえし。本当、調子よすぎだろあいつら。」
烏天狗さんの愚痴が始まった。
「ふふふ、お店の人達と仲がいいんですね。」
思わず笑ってしまった。
「仲良い?え……どこが?」
「でも、確かに。夜警の陰陽師が妖怪に殺されてから、半月ほどしか経っていないですよね。ここ最近夜は誰も出歩かなくなっていたのに、夜の催しを決行するなんて。火吹家も警護を担当するつもりのようですが、最近の夜警も自分達の手柄ではないはずなのに何を考えているのか。」
そう話すと、烏天狗さんが懐から紙を取り出した。
「……火吹朱理。」
「え。」
名乗った覚えのない自分の名前が、烏天狗さんの口から出て驚いた。
「今日、町でこれが配られてたんだよ。探し人の人相書き。」
受け取った紙に目を落とすと私の名前と似顔絵らしきものが描かれていた。
「それ、君だよね?火吹家は札の工作を見て、君が夜警をしているもんだと思ってるのかもしれないね。君が帰ってきたら、警備もなんとかなると思ってるんじゃない?」
「……だとしたら調子がいいです。この人達も。」
「花火大会が終わるまでうちにいる?」
「えっ!いや、流石にそれは迷惑がかかるので……!」
「ははは、そっか。」
烏天狗さんは悪戯っぽく笑った。
ここにいる時は、火吹家のしがらみから解放されていた気がする。それに慣れてしまったのか、少し火吹家に帰るのが怖くなっているかもしれない。それでも、私はあの家に帰るべきだ。




