第6話 『母からの手紙』
東へ続く街道は、思っていたよりもずっと長く、そして静かだった。
昼間は、スクーターのエンジン音だけが静まり返った一本道に虚しく響く。
そして夜を迎えると、周囲の世界は一気に濃密な闇へと沈んでいった。
だから僕は、毎晩同じような場所で足を止めるようになった。
街道の端、風を遮る岩陰。
小さな焚き火のそばにスクーターを横付けし、僕は工具代わりの魔導ナイフを手に、焼け焦げた制御盤を少しずつ分解していく。
「ここを……もう一段階、魔力の逃がし経路(逃がし弁)にして……」
エドワードじいさんの重みのある声が、暗闇の中で何度も脳裏に蘇る。
――力を生み出すだけでは意味がない。その力を受け止める器を作るのじゃ。
「器……か」
僕は小さく呟き、回路の配線を一本ずつ引き直した。
光魔法で刻まれた繊細な導線を、錬金術で一から編み直していく。
少しずつ。
本当に、少しずつ。
スクーターは“壊れかけた機械”から、再び僕の頼もしい“相棒”へと姿を変えていった。
夜が更けるまでの間、僕はブレーキの強化やフレームの補強にも没頭した。
翌朝。
東の空がまだ白みきらないうちに、僕はスクーターに跨がった。
「よし……今日も進もう」
キックペダルを力強く踏み込む。
――トコトコトコトコ……。
シリンダーからは、以前よりもはるかに心地よく安定した鼓動が返ってくる。
重水素燃料の出力を全開にすることはまだできない。
けれど、先を目指して着実に進むには、これで十分だった。
あれからどれほどの月日が流れたのだろう?
「うーん……次は、サスペンションのバネも少し硬く強化したほうがいいかな……」
走りながら、僕は頭の中で次々と改良点を組み立てていく。
街道を東へ進むにつれて、肌を刺す空気が明らかに変わってきた。
すれ違う商人たちの顔からは笑みが消えて険しくなり、荷馬車は追われるように急ぎ足で西へと戻っていく。
そして時折、鎧を着た兵士たちが、何も語らぬまま傷を隠すようにして東の砦へと足早に向かっていた。
「本当に……戦争が近いんだ」
胸の中に冷たいものが広がりかけた、その時だった。
街道脇の草むらに、人影が力尽きたように倒れているのが見えた。
「……!」
僕は慌ててブレーキを強く握りしめた。
――キィィッ!
乾いた砂埃が舞い上がる。
スクーターが止まると同時に、僕は勢いよく飛び出し、倒れている人影へ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
そこに倒れていたのは、一人の若い兵士だった。
革の鎧は泥と煤にまみれ、右足には痛々しい深い切り傷がある。
浅く荒い呼吸を繰り返しながらも、彼はかろうじて意識を保っていた。
「……だれ、だ……」
「通りすがりの旅人です! しっかりしてください!」
兵士は力なく瞼を上げ、僕の顔をじっと見つめた。
そして、かすむ目でわずかに目を細める。
「……赤い、鉄の……馬……」
その言葉を聞いた瞬間、僕の背中に冷たい汗が伝った。
「それに……黒髪の……ハーフエルフの、子供……」
「え? どうして僕のことを……!?」
兵士は苦しそうに自嘲気味の笑みを浮かべた。
「やっぱり……来たか……」
「……っ!?」
兵士は震える手で血に染まった胸元へ手を伸ばし、懐から一通の固い封筒を取り出した。
「これを……渡してくれと……頼まれていたんだ……」
僕の心臓が、早鐘のように大きく跳ね上がった。
「……母さんから……!?」
兵士はゆっくりと首を縦に振った。
「俺は……ダースミ村の出身だ……そこへ帰る途中だった……」
苦しい息を吐き出しながら、兵士は言葉を繋ぐ。
「戦で酷い負傷をしてな……除隊になり、ようやく故郷へ戻れると思ったんだが……」
そして、力なく自嘲する。
「……残念だが、俺の旅もここで終わりかもな……」
その言葉を聞いた瞬間、僕は全てを悟った。
この人は、母さんと同じ戦場にいたんだ。
そこで手傷を負い、故郷へと帰る途中で力尽きかけていた。
そして母さんは、この人に手紙を託したのだ。
――もし、あの子が追いかけて来たら。
――この手紙を渡してほしい、と。
僕は震える手を伸ばし、兵士の持つ封筒に触れかけた。
けれど――。
途中で、その手をぴたりと止めた。
「……待ってて!」
僕は急いでスクーターへと駆け戻った。
リアキャリアの荷物袋をひっくり返し、奥から小さなガラス瓶を取り出す。
瓶の中で揺れているのは、淡い緑色の光を放つ液体。
ダースミ村を出る前から、爺さんの家の裏で薬草を錬金術で抽出して作り溜めてきた、特製の高濃度傷薬だ。
僕は瓶を固く握りしめ、倒れる兵士のもとへ駆け戻った。
「これ、飲んで!」
「……くす、り……?」
「そう、僕の作った薬だよ!」
僕は蓋を開け、兵士の唇のすき間に液滴を慎重に流し込んだ。
「母さんからの手紙を受け取る前に、死なれたら困るんだから!」
兵士は驚きに目を大きく見開いた。
「大丈夫、痛みはすぐ楽になるから!」
戸惑いながらも、兵士は喉を鳴らして薬液を飲み下した。
「にがい!」
次の瞬間――。
淡く温かい緑色の光が、兵士の体を優しく包み込んだ。
「……っ!?」
兵士の表情が一変する。
荒かった呼吸がみるみるうちに落ち着き、頬に血色が戻っていく。
「これは……!?」
兵士は信じられないといった様子で、自分の右足を見つめた。
血が止まり、皮膚の傷口が急速に塞がっていく。
「痛みが……引き、消えていく……」
恐る恐る膝を曲げ、足を動かしてみる。
「……動く……立つことができるのか……!?」
僕は安堵の溜息をつき、小さく頷いた。
「まだ体力は戻ってないけど……歩くくらいならもう大丈夫だよ」
兵士はしばらく呆然と自分の手足を見つめていた。
やがて、感極まったようにぽつりと呟いた。
「……本当に、ありがとう。命を救われた……」
そして、改めて正面から僕の顔を見つめる。
「君は……一体何者なんだ?」
僕は少しだけ困ったように頭をかき、それから笑ってみせた。
「僕は……ただの、母さんを探しているアロンだよ!」
その言葉を聞いた兵士は、目元をやわらげた。
まるで――その答えだけで十分だと言わんばかりに。
そして、大切そうに持っていた一通の封筒を、両手で僕の手の中に手渡してくれた。
「……確かに、お袋さんからの頼み、果たしたよ」
「ありがとう……!」
僕は封筒をぎゅっと胸に抱きしめた。
羊皮紙の表面に躍る、優しくも凛とした筆跡。
それを見た瞬間、胸が押し潰されそうにきゅっと締め付けられた。
『アロンへ』
間違いない。
大好きな、母さんの文字だ。
「母さん……」
『十日で帰る』と言って村を出て行ったきり、帰ってこなかった母さん。
今、どこでどうしているんだろう。
怪我はしていないだろうか。ご飯は食べているだろうか。
震える指先で、僕は慎重に封を切った。
折りたたまれた便箋を広げる。
『アロンへ』
その最初の一文を目にした瞬間――。
――私は生きています。
「……っ」
視界が、一瞬で涙で滲んだ。
十日で帰るって言ったのに。
途中で魔物に襲われて倒れているんじゃないか。
もう二度と、あの温かい手を握れないんじゃないか。
毎晩、一人で焚き火を見つめながら、そんな恐怖ばかりが頭をよぎっていた。
「母さん……っ」
声が震え、ボロボロと大きな涙が溢れ落ちる。
僕は手紙を一度胸に強く押し当てた。
生きてる。
母さんは、ちゃんと生きていてくれたんだ!
しばらくして、僕は袖で何度も涙を拭い、霞む目で続きを読み進めた。
――もし、この手紙を読んでいるということは……。
やっぱり私を追いかけて来ちゃったのね。
まず最初に言います。
私は生きています。
だから、そんなに心配しなくて大丈夫よ。
……と言っても、あなたはもう心配でたまらなくて、ここまで来ちゃったんでしょうけど。
まったく、誰に似たのか心配性は変わらないわね。
私が困っていると聞けば、自分のことを後回しにして飛び出してくる。
でもね。
そんな優しくて強いところが、私は大好きよ。
約束した十日では帰れそうにありません。
本当にごめんなさい。
(母さん……十日どころじゃないんだよ)
(もう……半年も経ってるんだから……!)
少しだけ、厄介なことになってしまいました。
今の私は、国境の砦よりも、もう少し東にいます。
詳しいことは、会った時に話します。
だからそれまで、絶対に無茶はしないこと。
お腹が空いたら、ちゃんと食べること。
困った時は、素直に人を頼ること。
そして――。
もし、あの赤い魔導二輪に乗ってここまで来たのなら……本当に直してしまったのね。
ふふっ。やっぱり私の自慢の息子だわ。
でも、調子に乗ってスピードを出しすぎちゃ駄目よ?
きっと今のあなたは、前よりずっと遠くへ、速く走れるようになっているでしょうから。
最後に、一つだけ。
ここまで追ってきてくれて、ありがとう。
私は、あなたが必ず来てくれると信じていました。
だから、あなたも諦めずに、生きて私のところまで来なさい。
私も、必ず生きてあなたを待っています。
追伸。
――――
(つづく)




