第5話 『制御不能の力量と、勇者の助言』
僕は深く集中し、エドワードじいさんから教わった光魔法の精密な波長と僕の錬金術式を掛け合わせ、水分子を極限まで振るい分けていった。
やがて、ガラス瓶の底に、どこか粘り気のある重厚な透明液体が静かに溜まっていく。
「できた……!」
僕は思わず歓声を上げた。
「じいさん、見て! 重たい水が抽出できたよ!」
「な、なんじゃと……!? 濃縮の術式を現場で独自に組み替えおったか!」
エドワードは度肝を抜かれた顔で、瓶の底を覗き込んでいる。
「よし……少しだけ試してみよう」
僕は新しく精製した重水素濃縮水――『アトミック・ウォーター』を、スポイトでほんの数滴だけ燃料タンクへ注ぎ込んだ。
そして、キックペダルを勢いよく踏み下ろす。
――ドンッ!!
今までとは明らかに違う。
ズシリと腹に響く重く力強い鼓動が、銀赤シリンダーの奥から返ってきた。
「……あれ?」
僕は半信半疑のまま、右手のアクセルグリップをほんの少しだけひねる。
――ドドドドドッ!!
次の瞬間。
赤いスクーターは、まるで咆哮を上げる肉食獣のように豹変し、一気に前方へと飛び出した。
「うわっ!? は、速い!!」
強烈な風が容赦なく顔を叩く。
いつもの倍……いや、三倍近い速度で景色が後ろへと流れていく!
「アハハ! すごい! すごいよ相棒!」
僕は思わず笑い声を上げていた。
これなら――これだけのパワーがあれば、東の国境砦まであっという間に駆け抜けることができる!
だが、歓喜に浸っていたのも束の間だった。
ジジジジ……。
足元から、焦げ臭い匂いとともに不穏な異音が聞こえてきた。
「……え?」
ハンドルの付け根にある魔導回路の心臓部――魔力制御盤が、赤熱した鉄のようにじんわりと赤く発光している。
恐る恐る触れようと手を伸ばす。
「熱っ!?」
まずい……過負荷だ!
そう悟った瞬間――。
――バチバチィッ!!
激しい火花と青い電撃が弾け飛んだ。
シリンダー内部のエンジンは元気にトルクを生み出し続けている。
なのに、それを受け止める魔力制御盤だけが耐えきれずに焼き付き、もうもうと白い煙を上げ始めたのだ。
「うわわわっ!?」
慌ててアクセルを戻し、ブレーキを握りしめてスクーターを道端に滑り込ませた。
「何をやっとるか、この馬鹿者が!」
家から飛び出してきたエドワードが、白髪を逆立てて怒鳴り散らしながら駆け寄ってきた。
「じ、じいさん……!」
「力(出力)だけを上げても意味などないわ!」
エドワードは、真っ黒に焼け焦げた制御盤を煙管の先で指差した。
「木造の馬車に、古代竜の心臓を積んだようなものじゃ! 器のほうが耐えられるはずなかろうが!」
「…………」
僕は言葉を失い、まだ熱気を吐き出している制御盤を見つめた。
ちっぽけな50ccの相棒は、まるで巨大な戦車用エンジンでも載せ替えたかのように、荒々しく力強いアイドリング音を響かせている。
……そっか。
アトミック・ウォーターの精製は成功した。
だけど――相棒のフレームや回路(器)は、まだその強大なパワーを受け止めきれないんだ。
僕が黙り込んで俯いていると、エドワードが怒りを収め、静かな声で語りかけてきた。
「覚えておけ、アロン」
焼け焦げた基板を指先で優しく叩く。
「真の発明や技術というものは、ただ絶大な力を生み出すことではない」
エドワードは、長年の戦場を生き抜いてきた勇者の眼光で、僕の目をまっすぐに見つめ返した。
「生み出したその強大な力を、完璧に御する『器』を作ってこそ、初めて技術は完成するのじゃ」
僕はその言葉を胸の奥深くに刻み込み、静かに首を縦に振った。
「……うん」
そして、まだ煤けた制御盤にそっと手を添える。
「次は……アトミック・ウォーターの負荷に耐えられる、もっと丈夫で強力な制御盤を作るよ」
赤く塗られたスクーターを見つめながら、僕の頭の中にはすでに、新しい魔導回路の複合網が描き出されていた。
翌朝。
東の空がうっすらと群青色から茜色へと変わり始める頃、僕は荷物をリアキャリアにしっかりと括り付け、エドワードじいさんの家の前に立っていた。
「もう行くのか」
「うん。あのね、じいさん。本当にありがとう。美味しいご飯も、暖かい寝床も……それに、魔法と技術の大切なことをたくさん教えてくれて」
僕が深々と頭を下げると、じいさんは煙管をくわえたまま、ふっと目元を緩めた。
「ガハハ! 礼なんぞいらんわ。久しぶりに命がけで退屈せん三日間じゃった」
「でも、僕……じいさんに教わったこと、絶対に忘れないよ」
「そうか」
じいさんはゆっくりと歩み寄ると、僕の頭をポンと優しく、力強く叩いた。
「アロン。旅に出たら、己の力を過信するなよ。行き詰まった時は素直に人を頼れ。そして……必ず母親を連れて帰ってこい」
「うん!」
僕は胸を張って頷いた。
キックペダルを力強く踏み込む。
――トコトコトコトコ……。
新シリンダーが快音を奏で、赤いスクーターが頼もしい鼓動を刻み始めた。
「じゃあ、行ってきます!」
「おう! 無事に帰ってこいよ、小さな旅人!」
僕がアクセルをひねろうとした、まさにその時だった。
「あー……待て待て、アロン」
「ん?」
じいさんが、どこか気まずそうに白い頭をかいている。
「その……なんじゃ。もし、できればの話なんじゃが……」
「?」
「この前の、あの金塊。あと……ほんのちょっぴりだけ作ってはいけんか?」
「……え?」
「い、いや! ワシは決して銭金に困っておるわけではないぞ!?」
じいさんは慌てて両手をぶんぶんと横に振った。
「ただな、魔法の研究費というものは、いくらあっても困らんものなのじゃ!」
「…………」
「それに! 土コロから一瞬で純金を作り出すような真似を見せられたら……その……もう少し欲しくなるのが人情というものじゃろう!?」
僕はしばらくぽかんと口を開けていた。
そして――。
「あはは! じいさん、本当は欲しかったんだ!」
「わ、悪いか!」
「ううん。全然悪くないよ」
僕は笑いながらスクーターを降りると、足元の土間に両手を当てた。
バチバチバチッ!
青白い錬金光が朝靄の中に弾ける。
次の瞬間――。
ドサリと、鶏の卵ほどもあるずっしりとした純金の塊が、地面に転がった。
「はい! これくらいならすぐできるよ」
じいさんはその金塊を両手で拾い上げると、まるで少年のように目を輝かせた。
「おお……本当に一瞬で作りおった……」
「研究費、だよね?」
「う、うむ! 言うまでもなく究極の光魔法研究費じゃ!」
僕は堪えきれずに吹き出してしまった。
「ふふ、じゃあ今度こそ、行ってきます!」
「おう! ……達者でな、アロン!」
「うん!」
僕はスクーターに跨がり直し、今度こそアクセルグリップをひねった。
トコトコトコ……!
赤い相棒は、朝日に黄金色に輝く街道へと滑らかに走り出した。
その小さくなっていく背中を見送りながら、エドワードは手のひらに残るズシリと重い金塊をじっと見つめた。
そして――ぽつりと漏らした。
「……とんでもない化け物を、弟子にしてしまったのかもしれんのう」
遠ざかるエンジン音を愛おしそうに聴きながら、伝説の勇者は小さく笑った。
「必ず……母親を見つけて帰ってこいよ、アロン」
僕は一度だけ振り返り、朝靄の中に佇むダースミ村と水田の美しい景色を目に焼き付けた。
そして、遠くのじいさんに向かって大きく手を振る。
「ありがとう、じいさん!」
冷たくも心地よい朝の風が、僕の頬を爽やかに撫でていく。
「待っててね、母さん」
僕はまだ見ぬ東の空、そして不穏な雲が立ち込める戦地を目指して――。
再び力強く走り出したのだった。
(つづく)




