第4話 『伝説の勇者』
鍬を担いだ一人の小さなおじいさんが、そこに立っていた。
白髪の豊かな髭を蓄えているけれど、背筋はピンとまっすぐ伸びている。
そして何より――その瞳の奥にある眼光だけは、驚くほど鋭く、澄んでいた。
「あ、こんにちは。僕、隣の町から東へ旅をしているアロンっていいます。宿を探してたんですけど、見つからなくて……」
僕が事情を話すと、おじいさんは「フム」と顎鬚を擦りながら、僕の赤いスクーターを観察するようにじろじろと見回し始めた。
やがて門の端の石に腰を下ろすと、
「まあ、焦るな」
そう言って、ポケットから取り出した煙管にぽっと火をつけた。
そこから、僕たちの話に花が咲いた。
僕からは、東の国境砦へ行ってしまった母さんを迎えに行く途中だということ。
そして、おじいさんからは、隣国との間でじわじわと広がりつつある不穏な戦火の噂について。
「なるほどな。母親を一人で迎えに行くか……」
おじいさんは、しばらく紫煙を揺らめかせていた。
やがて、何かを決したように深く頷く。
「よし、決めた。ワシは一人暮らしで、部屋も余っておる。今夜はワシの家に泊まっていけ」
「えっ! いいんですか!?」
「ああ。こんな小さな農村じゃ、旅人を泊める宿もないからの」
こうして僕は、おじいさんの家に厄介になることになった。
ところが――。
連れられて行ったおじいさんの家を見て、僕は度肝を抜かれた。
外観はどこにでもある素朴な茅葺きの農家だった。
なのに――。
一歩足を踏み入れると、家の中には見たこともない複雑な構造の魔導具や、羊皮紙の難解な書物が壁一面にぎっしりと並んでいたのだ。
「じいさん……ここ、一体何の部屋?」
僕が目を丸くして立ち尽くしていると、おじいさんは不敵にニヤリと笑った。
「驚いたか?」
白い髭を優しく撫でながら、老人は目元を緩める。
「ワシの名はエドワード」
そう言って、懐かしむように周囲を一渡した。
「……まあ、昔、ちょっとした縁で『勇者』なんて大層な名で呼ばれて、戦場を駆け回っておった頃の名残じゃよ」
エドワードは自身の背中をポンポンと叩いた。
「今はただの、隠居した光魔法使いじゃがな」
そして、遠い目をしながら語りかける。
「あの頃は、剣と光魔法を振るって、仲間と一緒に世界中を飛び回っておったものじゃ」
「……え?」
僕は息を呑んだ。
「ゆ、勇者……!?」
目の前にいる、小柄で少し変わり者のおじいさんが――。
童話や歴史書に出てくる、あの伝説の勇者だったなんて。
僕は驚きを隠せないまま、エドワードじいさんの家で夕食をご馳走になった。
温かい野菜スープと、焼き立ての香ばしいパン。
母さんがいなくなってから、久しぶりに味わう温かい食事だった。
「いただきます!」
一口食べると、思わず緊張が解けて頬が緩む。
けれど――食卓の温もりを感じる一方で、僕の胸の奥には別の影があった。
母さんは、今どうしているんだろう。
暗雲垂れ込める東の砦で、無事に過ごしているだろうか。
そして……僕のこのちっぽけな足で、本当に辿り着けるのだろうか。
スープを口に運びながら、そんな焦燥が胸を締め付けた。
(食事代と……宿代……)
僕の財布には、ほとんどお金がない。
伝説の勇者とはいえ、見知らぬ老人にタダで世話になるのは申し訳なかった。
「……あの、じいさん」
「ん?」
「ちょっと外に来てくれない?」
僕はエドワードを促し、夜風が吹く家の外へ出た。
満月の光が降り注ぐ中、僕は道端の土の前にしゃがみ込み、両手をかざした。
バチバチッ……!
青白い錬金光が暗闇に弾ける。
土に含まれる微量の金属元素を引き寄せ、原子レベルで圧縮・純化していく。
やがて、土の上に小指の先ほどの金と銀の粒が、ころりと転がった。
「……ほう?」
僕はそれを拾い上げ、エドワードへ差し出した。
「これ……お金がないから。ほんのお礼です」
エドワードは無言のまま、僕の手のひらに載った貴金属を見つめていた。
そして――。
「……ほぉぉ」
その顔に、今まで見せたことのない深い感嘆と驚きが浮かんだ。
「お前さん……今、何をした?」
「え? 錬金術で土から金を精製しただけだけど……」
「いや……いやいや……」
金と銀の粒を指先でつまみ、月光に透かしたり掌でその重さを確かめながらエドワードは何度も瞬きをした。
やがて、面白がるように顎へ手を当てる。
「ワシはな、昔から根が研究熱心でな」
「研究?」
「ああ」
エドワードは少年のように目を輝かせた。
「特に、このダースミ村の豊富な『水』を使った実験が好きでのう。光魔法の熱や精密な波長を使って、水を様々な性質へと変化させる研究を、退屈しのぎにやっておるのじゃ」
そう言うと、エドワードは研究卓に置かれていた重厚なガラス瓶を持ち上げた。
「……例えば、これじゃ」
瓶の中には、濁り一つない、吸い込まれそうなほど澄み切った水が入っている。
「これは、ワシが光魔法の極細の波長を使って、水の中の不純物や微細な鉱物を極限まで弾き出し、何度も浄化を繰り返して作り出した『超純水』じゃ」
「すごい……綺麗……」
僕が瓶を覗き込むと、エドワードは少し困ったように眉を寄せた。
「……だがな、アロン。この水は、どれだけ強い雷魔法を流してもピクリとも反応せん」
「え?」
「電気が、まったく流れないのじゃよ」
そう言ってエドワードが指先からパチッと小さな電撃を放つと、電撃は瓶の表面で虚しく弾けた。
中の水は、一切の反応を見せずに静かに揺れているだけだった。
(電気が……流れない!?)
その言葉を聞いた瞬間、背筋にドッと冷や汗が吹き出した。
超純水は不純物イオンが存在しないため、電気をほとんど通さない。
……ということは!
僕が使っている簡易的な電解術式では、水の電気分解が起きず、水素燃料が生成できない……!
もし、旅先で極端に綺麗な水や、特殊なこの超純水しか手に入らなかったら?
僕のスクーターは、燃料を作ることすらできずに路傍で動かなくなる。
ただの『水で走るバイク』ではダメだ。
どんな水質にも対応できる、強力な駆動システムを作らなければ――。
「…………」
僕は自分の甘さを痛感した。
それから、エドワードじいさんの家に滞在して三日目の昼下がり。
僕はじいさんから教わった「光魔法による分子の振動制御」の理論を、頭の中で何度も反芻し、錬金術の式と組み合わせて整理していた。
そして、ついに一つの仮説にたどり着く。
ただの超純水では電気が通りにくく、反応も鈍い。
それなら――。
じいさんに教わった光の波長で水分子を限界まで振るい分け、僕の錬金術による精密な分離技術を組み合わせれば……。
水の中にわずか0.015%しか存在しない、普通の水素より『頭が重たい水』。
つまり……『重水素』だけを濃縮抽出できるんじゃないか!?
重水素で構成された『重水』なら、通常の水よりも分子構造が安定しており、魔力を高密度で保持できる。
これをシリンダー内の超高圧環境で爆発させれば、従来の水の何倍もの魔導エネルギーを弾き出せるはずだ!
「……やってみる価値はある!」
僕は思わず力強く拳を握りしめた。
どんな水からでも究極の燃料を精製する、新しい錬金術式。
そして、その強大なエネルギーを受け止める、新しい魔導機関のチューニング。
母さんのもとへ一刻も早く駆けつけるための『進化』。
僕の頭の中で、次々と新しい設計図が組み上がっていった。
(つづく)




