第2話 『アルミと銅と錆びたキックペダル』
じいさんの家の裏手にある、古いガレージ。
隙間だらけの木壁から差し込む朝日の光の中で、舞い上がった埃がキラキラと白く浮遊していた。
僕はまず、作業に使う工具を固い土間に一列に並べた。
お父さんのお古のスパナ。
使い込まれて手に馴染んだプライヤー。
細かな魔導回路を微調整するための精密ドライバー。
金属のバリを削り落とすための古いヤスリ。
それから、小型の魔導溶接器やその他の細々とした工具――。
「よし。道具は揃った」
僕は一歩下がり、ガラクタの山から引っ張り出したスクーターを、品定めするようにぐるりと見回した。
「……うん。思った以上に、ボロボロだなぁ」
改めて明るい陽光の下で見ると、その惨状に溜息が出そうになる。
出征した親戚のおじさんが乗っていたという50ccの魔導二輪は、何年も放置されていたせいで、かつて鮮やかだったろう赤い外装はあちこち剥げ落ち、泥と赤錆にまみれていた。
タイヤは完全に空気が抜けてぺしゃんこ。
ブレーキワイヤーも内部で固着し、いくらレバーを握ってもびくとも動かない。
けれど、一番の問題はやっぱりそこじゃない。
僕はカウルを慎重外し、スクーターの心臓部を覗き込んだ。
魔力を運動エネルギーに変換する『魔導シリンダー』。
内部では、魔石から引き出した魔力によって水を水素と酸素に分解し、その混合気を一瞬で爆発させることでピストンを高速駆動させる仕組みになっている。
その生命線である魔導シリンダーが、完全に真っ黒に焼き付き、見るも無残に変形していた。
限界以上の魔力を無理やり流し込まれたのだろう。内部からドロドロに溶けてそのまま固まってしまったようだ。
「専門の魔導技師すら匙を投げた廃車、か……」
僕は指先で、ひんやりと冷たい変形シリンダーに触れた。
「確かにね」
これじゃあ、朝露のじいさんや町の大人たちが「直せるわけがない」と笑ったのも無理はない。
交換用の純正パーツなんて、この小さな田舎町――エルフの郷にはどこにも売っていないのだから。
でも、僕の胸の中に諦める気持ちは一ミリもなかった。
お父さんたちの作業をずっと隣で見続けてきた僕の頭の中には、このスクーターの構造がまるで透過された立体図面のように鮮明に組み上がっている。
「パーツがないなら、作ればいいだけさ」
僕は、ガレージの隅に視線を向けた。
そこに転がっていたのは、穴の開いたアルミ製の鍋のフタ。
そして、使い古されて被覆の破れた銅ワイヤーの切れ端。
僕はそれらを拾い上げ、工具の横に並べた。
ありふれた金属の端材と、僕の拙い錬金術。
大人たちが「絶対に不可能だ」と笑ったこの鉄の塊に――。
もう一度、命を吹き込んでみせる。
普通の魔法使いが見れば、
「そんなゴミで何をするつもりだ?」
と呆れ果てるだろう。
金属をただ火の魔法で溶かして型に流し込んだところで、爆発的な魔力に耐えられる高密度のシリンダーなんて作れるはずがない。
だけど、僕にはひとつだけ、誰にも明かしていない秘密があった。
僕は、母さんのように空を飛ぶ風の魔法も、派手な攻撃魔法も使えない。
でも――。
物質の形を変え、異なる元素を結合させる『錬金術』。
その魔力と適性だけは、なぜか生まれつき、他の大人たちよりも少しだけ――。
いや。
ずいぶん高かったのだ。
お父さんの作業を手伝っているときもそうだった。
お父さんがカンカンと何時間もハンマーを振るって直していた金属のわずかな歪みを、僕は触れるだけで、
「ここが目に見えないレベルでズレてるよ」
と感覚的に分かってしまう。
金属を構成する微小な粒子の並びさえ、肌で感じ取ることができた。
どうして自分にそんな力があるのかは分からない。
人族の父さんの合理的な『科学の眼』と、エルフの母さんから受け継いだ『精霊・自然を感じ取る感性』が、僕の中で奇跡的に混ざり合った結果なのかもしれない。
ただ、この力があれば――壊れたものを元に戻せる。
そして、元に戻すだけじゃない。
もっと強く。もっと頑丈に。
もっと遠くまで行けるものへと進化させることだってできるはずだ。
僕は、固着した魔導シリンダーにそっと手を置いた。
「よし……」
静かに目を閉じる。
「やるぞ」
僕は床に転がるアルミのフタと銅のクズに、両手をかざした。
深く吸い込み、頭を切り替える。
目指すのは、軽くて熱伝導率が高く、なおかつ爆発的な魔力を無駄なく流せる高強度な金属。
その条件を満たす、この世界にはまだ存在しない新しい合金の構造だ。
「――『分解』、そして『再構成』」
呟いた瞬間、僕の身体の奥底から、自分自身でも驚くほど濃密で熱い錬金魔力がドクドクと溢れ出した。
魔力は青白い光の粒子となって、床の金属クズを優しく包み込んでいく。
頭の中に描いた精密な設計図。
そのイメージに従うように、アルミの原子と銅の原子が一度バラバラに解き放たれ、完璧な格子状の結晶構造へと組み替えられていく。
「くっ……!」
頭の奥がカッと焼けるように熱くなった。
少しでも集中を切らせば、せっかく編み上げた結晶が崩壊してしまう。
これまでに何度も繰り返してきた実験。
鉄と木炭、近所の山に落ちている鉱石とアルミ――何度も失敗し、試行錯誤を重ねてきた。
普通の錬金術師なら、こんな無茶な高密度再構成は試さない。
途中で魔力が枯渇し、精神が耐えきれずに気を失ってしまうからだ。
それでも――。
僕の錬金魔力は途絶えなかった。
体内から溢れ出る魔力を精密に制御しながら、金属の粒子を最後の一粒まで支配し続ける。
バチバチバチッ!
ガレージの中に、青白い火花がけたたましく弾けた。
やがて、まばゆい光がゆっくりと収まっていく。
僕の手のひらに残っていたのは――。
鈍い銀色の中に、朝焼けのような美しい赤みがほんのりと混ざり合った、歪み一つない完璧な銀赤色のシリンダーだった。
見たこともない新合金。
けれど、その仕上がりと密度の高さは完璧だった。
「……できた!」
思わず弾んだ声が漏れる。
僕は焼き付いてボロボロになった古いシリンダーを取り外した。
油と黒ずみにまみれながら、新しく練り上げたシリンダーをスクーターの奥深くへと慎重に組み込んでいく。
ネジを一本ずつ、トルクを感じながらきっちりと締める。
細かな魔導回路も一箇所ずつ導通を確認し、断線していた配線を指先で丁寧にハンダ構成で繋ぎ直した。
「これで……形はできた」
額の汗を袖で拭う。
けれど――。
まだ、このスクーターには決定的なものが足りない。
走るために必要な『血』。
すなわち、燃料と潤滑オイルだ。
新しい心臓は組み上がった。
魔導回路の動脈も繋がった。
あとは、この心臓を駆動させるための血液が必要になる。
「……でも、どこで手に入れる?」
僕は腕を組み、うーんと首を傾げた。
この小さな田舎町――エルフの郷で、魔導二輪用の高純度燃料やオイルを扱っている店なんて聞いたことがない。
それどころか、こんな古い50ccの魔導二輪に適合するものが、今の時代にどこかに残っているのかさえ怪しいものだ。
せっかく、ここまで直したのに――。
燃料とオイル。
僕の前に立ちはだかった次の問題は、そこだった。
つづく




