第1話 『50ccの相棒と、東の空へ』
「10日もすれば、きれいに片付きますから!」
それが、母さんが残した最後の言葉だった。
風の魔法をまとった一本の箒。
それに跨がった母さん――ラーテルは、見上げる僕に向かっていつも通り自信に満ちた笑みを浮かべると、そのまま一気に青空の彼方へと飛び去っていった。
伝令としてやってきた友人と二人、猛烈な速度で風を切り、不穏な暗雲が垂れ込める東の国へと消えていく。
僕は、その五人程の背中が完全に空に溶けて見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。
「10日、か……」
ぽつりと呟き、踵を返す。
そこには、しんと静まり返った田舎町が広がっていた。
少し前までは、もっと賑やかだったのだ。
僕の家は親戚が多く、毎日のようにあちこちの家から賑やかな笑い声が響いていた。
けれど、隣国が『敵国』の侵攻を受けてから、町の景色は一変した。
お父さんも、頼りになる親戚の男たちも、みんな武器や魔導具を手にして、
「応戦してくる!」
そうと言い残し、次々と戦地へと駆り出されていった。
今、この町に残っているのは、数人の老人と、僕のような子供が数人だけ。
そして今日、ついに強力な魔法使いである母さん達まで助太刀として呼ばれて行ってしまった。
この世界には、純血のエルフ、半エルフ、混血種、そして人族が暮らしている。
耳の長さや形を見れば、どの種族なのかは大体見分けがつく。
人族だった僕の父さんは、山裾の人里離れた原野で爆発実験をしていたとき、野獣に襲われて右腕を失った。
その場に倒れていた父さんを偶然通りかかった母さんが救い、治療したのだという。
それが二人の出会いだった。
そして、その二人の間に生まれたのが僕――アロンだ。
父さんは人族の科学者。
母さんはエルフの魔法使い。
だから僕は、エルフと人族の血を引く『半エルフ(ハーフ)』にあたる。
とはいえ、まだ幼い僕には、母さんのように風を切って空を飛ぶ強力な魔法も、瞬時に遠くへものを移動させる魔法も使えない。
僕にできることといえば、ここで静かに母さんの帰りを待つことだけだった。
少し尖った自分の耳を撫でながら、心の中でそっと言い聞かせる。
「大丈夫。母さんは強いから……」
もう一度、誰もいなくなった青空を見上げる。
「10日経ったら、美味しいお土産でも持って帰ってくるさ」
自分に言い聞かせるように呟き、僕は家の鍵を閉めた。
胸を押し潰しそうな寂しさ。
それでも、僕は母さんの言葉を信じていた。
――だけど。
十日が過ぎた。
一ヶ月が過ぎた。
外へ出ては空をみあげていた。
季節がひとつ巡っても――。
母さんが、あの空から帰ってくることはなかった。
「……もう、待つのはやめだ」
地面にしゃがみ込んで指先をかざす。
パチっ……金の粒!銀の粒。
そんな他愛もない遊びのなかで思った。
僕は意を決して、町に残った数少ない大人たちのもとへ向かった。
目指したのは、この町一番の年長者である『朝露のじいさん』の家だった。
「朝露のじいさん。僕、母さんを探す旅に出たいんだ」
僕の言葉を聞いた朝露のじいさんは、尖った耳をピクリと動かした後、深く刻まれた眉間のシワをさらに深めると、静かに首を横に振った。
「ダメじゃ、アロン。お前はまだ幼い。空を飛ぶこともできんし、長距離を移動する魔法も使えん。そんな子供が一人で東の国へ向かうなど、自殺行為じゃよ」
じいさんは、諭すような柔らかくも重い声で続けた。
「ラーテルなら大丈夫じゃ。ここで大人しく待っていなさい」
きっぱりと断られてしまった。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
母さんがどこかで大怪我をして動けないのかもしれない。
助けを待っているかもしれない。
何か、僕一人で遠くへ行く方法はないか――。
僕は必死に考え続けた。
そんなある日、じいさんの家の裏手にある古いガレージを覗き込んだとき、僕は『それ』を見つけた。
埃と蜘蛛の巣にまみれたガラクタの山の奥に、ぽつんと眠る小さな車体。
それは、出征した親戚のおじさんが、昔ここへ預けていったままになっていた、ちっぽけな50ccの魔導二輪だった。
引き寄せられるように近づき、観察する。
魔導機関は完全に焼き付き、金属の外装は赤錆に覆われている。
素人の僕が見ても、一目で「廃車」と分かる状態だった。
「じいさん。あのバイク、僕に譲ってよ」
「ほう? あれか」
追ってきたじいさんが、ガレージの奥に目を向けた。
「あれは専門の魔導技師すら匙を投げた、完全な廃車じゃぞ。動くわけがなかろう」
「壊れてるなら、暇つぶしに僕が直してみせるよ」
僕は錆びついたハンドルを見つめたまま言った。
「もし直ったら、あれを貰って旅に出てもいい?」
じいさんは、呆れたようにフッと鼻を鳴らした。
子供の強がりだと高を括っているのだろう。
「ふむ……」
じいさんはしばらく思案するように顎を撫でていたが、やがて口元を緩めた。
「よし。そこまで言うなら、賭けをしようじゃないか、アロン」
「賭け?」
「そうじゃ。もしお前が、その壊れた魔導二輪を自分の力だけで直せたなら、旅に出るのを許してやろう」
じいさんは、僕の目をまっすぐに見つめ返した。
「ただし、直せなかったら……二度と旅に出るなどと言わんと約束しろ。良いな?」
「うん。約束だ!」
じいさんは、絶対に直せるはずがないと確信している。
だけど、じいさんは知らないのだ。
僕が幼い頃から父さんや親戚のおじさんたちの作業場に入り浸り、その仕事をずっと一番近くで見続けてきたことを。
複雑な機械の構造や、専門的な道具の扱い方。
壊れた部品を解体し、原因を突き止め、どう補修すれば動くのかを論理的に考えるプロセス。
そうした科学と機械の知識が、僕の頭の中にはしっかりと根を張っている。
それに、僕には父さんから教わった、ほんの少しの『科学合成』の基礎知識もあった。
もちろん、僕はまだ一人前の錬金術師なんかじゃない。
プロの技師なら「部品交換不能」で諦めるような損傷でも、錬金術で金属の分子を再結合させれば、修復できる可能性がある。
――科学の知識と、錬金術の手筋。
「待ってて、母さん」
僕は、ガレージの奥で静かに眠る50ccの相棒を見つめた。
「今、最強の相棒を作り直して、迎えに行くから」
両手を強く握り締める。
「絶対に、見つけ出すから」
僕はガレージの隅に放り出されていたアルミの端材や、銅のくず鉄を夢中でかき集め始めた。
まだ、空を飛ぶ風の魔法は使えない。
遠くへ火を放つ様な攻撃魔法も使えない。
だけど――僕の手には、父さんと母さんから受け継いだ『モノを直す知恵』と『決して諦めない心』がある。
じいさんから突きつけられた、『不可能な試練』。
それを科学と錬金術でひっくり返すために――。
僕と50ccの相棒による、長くて短い修復の日々が幕を開けた。
つづく




