第15話 『小さな職人の誓いと、未完成の右腕』
エルフの郷に帰り着いてから、数ヶ月が過ぎていた。
懐かしい我が家で、アロンは毎日のように赤いスクーターのメンテナンスに精を出していた。お父さんは最初こそ緊張気味だったが、今ではすっかり村の生活に馴染んでいる。最近は「先日の戦いを忘れないうちに」と、魔界のゲートに関する資料作りに没頭する日々だ。
家族三人で過ごす穏やかな時間。
そんなある日、お父さんがふと思い立った。
「アロン、少し離れた川へ釣りに行かないか?」
誘われたアロンは目を輝かせた。
「釣り!? 行く行く! でもお父さん、後ろに乗るよね? だったらスクーター、もう少し改良しなきゃ」
さっそくアロンは魔導シリンダーの出力を調整し、特製の『二人乗りシート』を作り上げた。翌日には、赤いスクーターに男二人を乗せて、川辺へと飛んでいく。
男だけの釣りが始まった。
最初はお父さんからイロハを教わるアロンだったが、経験の差は大きく、初日は一匹も釣れずに完敗。
「むぅ……負けた」
しかし、負けず嫌いなアロンはすぐに職人の顔になった。
「どうすればもっと釣れるか」を研究し始め、魔導具の技術を応用してとんでもないものを生み出してしまう。
錬金術で作り出した不思議な『伸びる糸』。
重りを付けて投げると五倍ほどに伸びて戻り、水に浸かると長さが固定され、空気に触れるとまた縮む。
さらに、水中の生命反応を感知して自動で追尾する『熱感知装置』まで仕込んだ。
これらを餌の重り代わりにした特製の釣り竿。
「……よし、かかった!」
結果、お父さんより遥かに多くの魚を、百発百中で釣り上げるようになった。
「それはもう釣りじゃなくて漁だろ……」
お父さんは苦笑いするしかない。
地面でピチピチと跳ねる魚。
お父さんはそれを不器用そうに、けれど優しく、左手一本だけで針を外そうと苦戦していた。失われた右腕の袖が、動きに合わせて寂しげに揺れている。
それを見たアロンは、静かに傍らへ歩み寄った。
「お父さん、右腕を見せて」
真剣な目をした息子の言葉に、お父さんは一瞬目を見開いた。
だが、瞳の奥にある『職人の光』を見て取り、静かに右袖を捲り上げる。
肘の少し先で千切れた、かつての修羅場の痕跡。
アロンは傷口の痛々しさに一瞬胸を痛めながらも、すぐにアルケミストの顔になり、小さな両手で残された腕の筋肉を優しく、的確に触診し始めた。
「お父さん、今、頭の中で『無い右手の小指』を動かせる?」
「……ああ。感覚としては、今もそこにあるように動かせるぞ。幻肢というやつだな」
「うん、そのまま動かし続けて。指を一本ずつ……そう、順番に」
お父さんが頭の中で右手を動かすたびに、アロンは皮膚の上を指先でなぞり、微かに躍動する筋肉の場所を正確に調べていく。
(ここだ……! 魔力はなくても、脳からの命令で筋肉は確かに動こうとしている。ここに、僕が作った『収縮する糸』を貼り付けて束にしておけば……)
脳裏に、一瞬で新型義手の設計図が組み上がる。
(指は五本。でも親指の複雑な動きと全体のバランスを制御するには、小指ほどの小さな魔導シリンダーが七つ要る。そのシリンダーをこの筋肉の束と連動させれば、お父さんの『動かしたい』って感覚のままに、指が動く右腕ができる)
人族のトップ魔導士たちが「魔力がないから無理だ」と匙を投げた難題を、アロンは「筋肉の収縮と魔導具の物理連動」という、まったく新しいアプローチで突破口を見つけ出していた。
「……アロン? 私の腕が、何か役に立つのか?」
不思議そうに見つめるお父さんに、アロンは右腕をそっと包み込むようにして、満面の笑みを浮かべた。
「ううん、なんでもないよ! ……さあ、そろそろ日が暮れるね。母さんが待ってるから帰るとするか」
その夜。
三人で温かい夕食を囲みながら、アロンは昼間の決意を言葉にした。
「お父さん。僕、お父さんの右腕を作れるよ。昔みたいに、両手で器用に何でもできるようになる」
「右腕を……か?」
お父さんは言葉を失い、自分の千切れた腕と、息子の頼もしい小さな手を交互に見つめた。
隣で、すべてを察したラーテルが、静かに、けれど激しく胸を揺さぶられて涙ぐんでいる。
「うん! 世界で一番かっこいい、お父さんだけの右腕だよ」
アロンは興奮で目を輝かせながら、「明日の昼前には小型の魔導シリンダーを作って、さっそく試してみよう」と約束した。
――翌日の昼過ぎ。
お父さんは書斎で資料作りに取り組んでいたが、どうにも身が入らない。そわそわと右腕の袖を見つめてしまう。
そこへ、約束通りに工具とパーツを抱えたアロンがやってきた。
作業が始まる。
アロンはお父さんに右腕の指を順番に動かすよう頼み、その動きに合わせて『収縮する糸』を皮膚の上に一本ずつ仮止めしていく。糸を幾重にも重ね、束にして、失われた本物の筋肉の代わりを形成していくのだ。
緻密な作業を何度も繰り返したのち、その束の隙間へ、午前中に作り上げたばかりの七つの小さな魔導シリンダーを慎重に繋いでいった。
まだ、皮膚はない。
剥き出しの細い金属筒と、複雑に編み込まれた不思議な糸の束が、お父さんの肘の先に不格好に取り付けられているだけの状態だ。
アロンは工具を置くと、額の汗を拭い、息を呑んでお父さんの顔を見上げた。
「お父さん……少し、動かせる?」
つづく




