第12話 『片腕の学者と規格外の息子』
「土の中から、草や木が成長するための純粋な栄養分だけを錬金術で抽出して固めたんだ。これ一個で結構お腹いっぱいになるんだよ。味はお母さんの手料理をイメージして味付けしてあるんだ」
「…………」
ラーテルは完全に言葉を失っていた。
「……アロン」
「なに? 母さん」
「あなた……まさか、そこまでの錬金術を……?」
アロンは「えっ?」と首を傾げた。
「うーん……はじめから、気がついたら出来てたよ?」
「…………」
ラーテルは、ゆっくりと天を仰いだ。
(気のせいでなければ……今、この子は『大地の元素エネルギーを直接抽出・変換し、かつ私の手料理の味を分子レベルで再現した完全栄養食』をさらっと作ったわよね……?)
それは、大陸随一の魔導師と謳われるラーテルの常識をも遥かに超越した、まさしく神の領域の錬金術だった。
「……アロン」
「なあに? 母さん」
「それ……ちょっと私にも一口ちょうだい」
「いいよ! はい、どうぞ!」
アロンから渡された茶色い小さな団子を、ラーテルは覚悟を決めて口に運ぶ。
ゴクリ、と飲み込んだ瞬間、彼女の目が見開かれた。
「っ……!?」
ただの土の塊に見えたそれは、口に含んだ途端、優しいスープの旨味と、香ばしく焼き上げたお肉のコクへと変化したのだ。それは間違いなく、かつて我が家でアロンに何度も作ってあげた『家庭の味』そのものだった。
しかも、一口食べただけで、戦場で極限まで摩耗していた魔力と体力が、恐ろしいほどの勢いで満ちていくのがわかる。
「どう? 美味しい?」
純粋な瞳で感想を待つ息子に、ラーテルは引きつった笑みを返すのが精一杯だった。
「ええ……美味しいわ。本当に、私の料理の味がする……。っていうかこれ、一国の軍隊を永久に動かせるレベルの超高級聖薬よ……?」
「ええっ!? ただのご飯だよ?」
アロンは本気で驚いている。
ラーテルは深いため息をつくと、アロンの黒髪をぐしゃぐしゃと愛おしそうに撫で回した。
「まったく、アイツの遺伝子なのか、私の遺伝子なのか……とんでもない怪物を育てちゃったわね」
「いたた……。ねぇ母さん、お腹空いてるならもっと作ろうか?」
「いいえ、結構よ!」
ラーテルは愛用の箒をパチンと叩き、苦笑した。
「せっかくお母さんと再会できたんだから、そんな味気ない団子じゃなくて、本物の美味しいものを食べに行きましょ」
「本物の美味しいもの?」
「ええ。拠点の野戦病院でお世話になったお礼にって、兵士たちが猪の肉を分けてくれたの。アロン、あなたのその凄いスクーターで、お肉を焼く火くらいは出せる?」
「あ、それなら得意だよ! 火力の調整もバッチリできるし!」
アロンは嬉しそうに胸を張ると、赤いスクーターの魔導シリンダーを誇らしげに叩いた。
「よし、じゃあ決まりね。……あ、そういえばアロン」
ラーテルはふと思い出したように、少し意地悪く、けれど愛おしそうに目を細めた。
「あなたに、『父さんたちも安全にしてる』って言ったわよね?」
「うん、聞いたよ」
「あの一筋縄ではいかないクソ親父に、私がどれだけ心配したか、たっぷり思い知らせてあげなきゃ。戻ったら、あの人の嫌いなピーマンと人参を山盛りに入れた特製スープを作ってあげるわ。アロンも手伝ってくれる?」
アロンは、父親の困り果てた顔を想像してクスッと笑った。
「うん! 僕、火の番をするよ!……でも、お父さん、仕事大丈夫かな? 忙しいんでしょ?」
夕暮れの草原に、親子の明るい笑い声が優しく響き渡った。
翌朝、空には雲一つない壮大な青が広がっていた。
草原の草露を跳ね上げながら、赤いスクーターが軽快なエンジン音を響かせる。
――ブゥゥゥ……。
「アロン、置いていかないでよ?」
すぐ横を、箒にまたがったラーテルが並んで飛ぶ。風を操る彼女の飛行は優雅そのものだが、チラチラと息子の愛車に向けられる視線には、まだ「信じられない」といった驚きが隠しきれていない。
「大丈夫だよ、母さん! これ、スピードの調整もすごく簡単だから安全なんだ」
アロンがアクセルを軽くひねると、ラーテルも自然とその速度に合わせる。
「エドワード爺さんがくれたヒントが、本当に良かったんだよ。僕、少し魔導シリンダーの配置をいじっただけだし」
「……それを『ちょっといじった』とは言わないのよ、普通は」
ラーテルは苦笑しながら、進行方向の遥か先、うっすらと煙が立ち上る北の山影を見つめた。
あそこには、夫――アロンの父親が所長を務める魔導研究施設がある。
ゲート暴走による時限装置が作動したとの報せを聞いた時は、世界が崩れ去るかのような絶望を覚えたものだ。
「あ、見えてきた!」
アロンが指をさす。
山の中腹、岩壁をくり抜くようにして建てられた堅牢な研究所。
本来なら美しく聳え立つ白亜の建物だったはずだが、今はゲート爆発の衝撃によって周囲の木々はなぎ倒され、外壁の一部が真っ黒に焦げていた。
しかし、その建物を包み込むようにして、淡い青色の半透明な膜――巨大な「防御結界」が、今もしっかりと機能している。
「……本当に、しぶとく生きてるみたいね」
ラーテルは安堵の息を漏らし、それから、きりりと眉を吊り上げた。
「よし、アロン。結界の前に降りるわよ」
二人は風を切り、研究所の正面ゲートへと降下した。
スクーターのエンジンを止めると、アロンは結界の膜に近づき、コンコンと手を叩く。
「父さーん! 迎えに来たよー!」
しばらくの沈黙。
やがて、結界の膜が水面のように揺らぎ、内側から一人の男が姿を現した。
ボサボサの髪に、煤で汚れた白衣。
眼鏡の片方のレンズが割れているが、その奥にある瞳は、アロンと同じ綺麗な黒色をしていた。
男は怪我一つない様子で、片手に持った怪しげな測定器を眺めながら、ブツブツと呟いている。
「おかしいな……ゲートのエネルギー反応が完全に消失している。外部からの干渉による強制閉鎖……一体どんな高出力の魔導兵器が投入されたんだ……?」
「お父さん!」
アロンが大きく手を振る。
男はそこで初めて顔を上げ、アロン、そしてその隣に立つ人物を見て、文字通りガタガタと震え出した。
「あ、アロン……!? いや、それより……ら、ラーテル……!?」
そこには、世界を滅ぼしかけた魔界のゲートを前にしても眉一つ動かさなかった天才学者の、完全に怯えきった顔があった。
ラーテルは、フッと極上の、しかし凍りつくような笑顔を浮かべる。
「ええ、ただいま戻ったわ。あなた」
一歩、ラーテルが足を踏み出す。
「奥さんが戦場で命がけで戦っている間に、随分といろんな連続花火を打ち上げてくれたじゃない? おかげでうちの可愛いアロンが、戦場まで私を迎えに来る羽目になったわ」
「い、いや、これは事故でね! 空間の歪みが予想を超えて――」
「言い訳は、後で特製スープを飲みながらじっくり聞くわ」
ラーテルはパチンと指を鳴らし、結界を解除するよう促した。
「さあ、お片付けをしてお家に帰るわよ。アロン、火の番の準備はいい?」
「うん! バッチリだよ!」
アロンは元気に返事をして、スクーターの後ろでクスクスと笑った。
「ま、待て待て待て! 帰れるわけないだろう、ラーテル!」
「……なんですって?」
ラーテルの目がスッと細くなる。お父さんはその視線に背筋を凍らせながらも、手元の測定器を必死に突き出した。
「これを見てくれ! ゲートが閉じた原因のデータが、まだ全く掴めてないんだ! 外部から未知の高エネルギーが撃ち込まれた形跡はあるが、一体誰が、どんな理論で魔界の空間構造を相殺したのかが完全に不明なんだよ!」
お父さんは髪を掻きむしりながら、熱っぽく語りだす。
「これだけの質量を完全に閉じ込めるには、何か特殊な物質を極限まで圧縮し、なおかつ正確な弾道計算をしてゲートの『核』に直撃させるしかない。だが、そんな超理論を形にできる研究施設はこの世界に我々の組織しか……いや、それでも不可能なはずだ!」
「あ、それ僕と母さんだよ」
アロンがスクーターをポンポンと叩きながら、お茶目に言った。
「……は?」
お父さんの動きがピタリと止まる。
「僕のスクーターに積んであったアトミック・ウォーターの球をね、母さんの風魔法でゲートの真ん中にシュッて投げてもらったんだ。タイマーの計算、一回爆発させて確認してたからピッタリだったでしょ?」
「……アロン、君、今なんて言った?」
お父さんは壊れた機械のように、首をカクカクとアロンの方へ向けた。
かつて荒野での爆発実験中に野獣に襲われ、片腕を失って倒れていたところをラーテルに救われた男。一命を取り留めてからは、残された左腕一本で、執念深くこの世界の魔導空間を研究し続けてきた天才学者だ。
その彼が、唯一の手で握りしめていた測定器を、ポロリと地面に落とした。
(つづく)




