第52話 何?この気持ち?
【瀬戸恵理巣】
午後9時、ラーメン太郎が閉店した。
本当は営業時間がまだ1時間ほど残っていたのだが、スープがなくなってしまったのだ。
平日と違い、休日は客が多いため、こういうことはよくある。
瀬戸恵理巣は、モップを使って床を掃除していた。
店長はカウンターの奥で、他の店員と一緒に明日の仕込みを始めている。
「はぁ~、今日も忙しかった」
こびりついた汚れを力を込めてこすりながら、恵理巣がそう言った。
「今日は、昼の行列がすごかったからな」
彼女の声を聞いた店長が、笑いながらそう言う。
「恵理巣の学校の友達のおかげだ」
「友達というか、後輩よ。今年の新入生」
「そうか。また来るように言っておいてくれよ、サービスするからよ」
サービスとはもちろん、肉やニンニクや野菜を増し増しすることだ。
「エリちゃんも可愛いけど、あの二人も可愛かったよな」
「ああ、もう一度高校に通いたくなったぜ」
二人の店員も、冗談めかしてそう言った。
「無理、無理。うちの学校、偏差値高いよ」
恵理巣がそう言うと、店長たちが笑った。
「よし、もう上がっていいぞ」
そう言われ、恵理巣はモップとバケツを持って店の奥へと移動した。
「お疲れさまでしたぁ~」
「おう、お疲れ」
店の奥には、倉庫と事務所を兼ねた更衣室がある。
モップとバケツを片付けると、事務所兼更衣室のドアを開けた。
そして、周囲に誰もいないことを確認してから、
『着替え中。入ってきたら、生きたままスープの出汁』
と書かれたプレートをドアの外に掛ける。
それから、腰の後ろに手を回してエプロンの紐を解きながら、ため息をついた。
「まさか、茂野君が来るとはね」
言葉にした後で、自分自身が驚いた。
なぜか、彼のことが気にかかって仕方がない。
入学式の前日に助けてもらったことが原因なのは分かっている。
しかし、それだけとは思えなかった。
まさか、恋心か?
そう考えたが、すぐに首を横に振った。
もし彼にそのような感情を抱いていたら、あかりや美月に対して嫉妬していたはずだ。
では、何なのか?
茂野龍太が気になっているのは間違いない。
「何だろう、この気持ち……」
例えるなら、久しぶりに田舎に帰ったとき、幼馴染とばったり再会したような感じだろうか?
入学式で彼の姿を見かけたとき、再会できて嬉しいと思った。
しかし、それだけではなく、彼のことをもっと知りたい、彼と親しくなりたいとも考えたのだ。
これだけ聞くと、やはり恋心だろうと感じる。
だが、やはりそういった胸の高鳴りはない。
「いっそのこと、一目惚れとかの方が、白黒はっきりして分かりやすかったのに」
瀬戸恵理巣は、この外見のため、小学生の頃までは周囲から完全に浮いていた。
同年代の子供たちより成長が早かったため、小学生の中に中学生が一人紛れ込んでいると勘違いされたことも、一度や二度ではない。
ただ、中学生になって第二次成長期に入ると、周囲の彼女への対応が一変した。
皆が、恵理巣の外見がとても魅力的だと気づいたのだ。
それまで片手で数えられるほどしかいなかった友達が、両手両足の指を使っても足りないほどに増え、毎日がとても楽しくなった。
別にいじめられていたわけではない。
ただ、彼女を避けたり煙たがったりしていた男子たちが、恵理巣の魅力に気づいて騒ぎ始めたのだ。
やたらと声をかけられ、遊びに誘われるようになった。そして、その延長として告白されることも増えた。
恵理巣はそのすべてを断っていたが、中学3年生のとき、一度だけ告白に良い返事をしたことがあった。
相手はサッカー部の部長で、決してイケメンではないが、明るく元気なタイプだった。
彼は小学校時代から彼女を避けたりしなかった、数少ない友人の一人だった。親友と呼んでもおかしくない関係だったのだ。
その彼が、高校受験を前にして、最後のチャンスとばかりに、とても情熱的な告白をしてきたのだ。
そのとき、彼女は思わず「いいよ」と答えてしまった。
しかし、結局は恋人同士にはなれなかった。
それまで普通にできていた会話が急にぎこちなくなり、さらに、距離を縮めてこられると、思わず避けるようになってしまったのだ。
1カ月ほどして、二人がまったくラブラブにならないことに苛立った彼にキスをされそうになり、反射的に突き飛ばしてしまった。
それがきっかけとなり、彼とは別れてしまった。
「お前は、一体どこを見ているんだ? いや、誰を見ているんだ?」
最後に、彼にそう言われてしまった。
とても申し訳ないことをしてしまったと後悔している。
しかし、言い訳ではないが、彼のことは決して嫌いではなかったのだ。
そして、ドラマや映画じゃあるまいし、現実には恋人なんてこんな感じで付き合い始めるのだろうと、納得もしていた。
それなのに、彼女は彼を受け入れることができなかった。
それ以降、彼女はすべての告白を断り続けている。
その中には、イケメン、優等生、スポーツマン、年上、年下、さらには同性もいた。
しかし、その誰にも、彼女は「好き」という感情を抱くことができなかった。
何かが足りない。何かが違う。
心の声が、そう囁き続けている。
「茂野君には何かを感じる。それは恋心とは違うけど、間違いない」
ずっと探していたものを、やっと見つけた。
彼女は、そう感じていた。
そのとき、
「おぉ~い、いつまで着替えているんだ? もしかして、疲れて寝ているのか?」
ドアがノックされ、店長の声が聞こえてきた。
その声を聞いて、恵理巣は我に返った。
「す、すいません」
そう言って、慌てて着替えを再開した。
【ニンニクと魔力の臭い】
時間は戻って・・・・。
龍太たちはラーメン太郎を出ると、そのまま別れて家路についた。
腹が膨れすぎて、もう遊ぶ余裕など残っていない。
ご飯は残さず食べなさいという母親の躾と、前世の厳しい戦いの日々で身についた、食べられるときに食べておかないと空腹では戦えないという実体験。その結果、出された料理は残さず食べることが骨身に染みついている。
それにしても、今日の太郎ラーメン(大)はすさまじかった。
食べ盛りの今だから残さずに済んだが、転生前の勇者だった頃なら、残念なことになっていたかもしれない。
もっとも、今の龍太は太郎ラーメンのことばかり考えてはいられなかった。
豊成高校には謎が多すぎる。いや、正確には、謎めいた人間が多いと言うべきだろうか。
現生徒会長と前生徒会長の二人がそうだ。
前者はあからさまに怪しく、後者は何となく怪しい。
そもそも、あの二人が仲間だという可能性も十分にあった。
天野静流が学校で龍太に話しかけてきたとき、偶然を装って瀬戸恵理巣が現れ、彼を追い払うことで龍太からの信頼を得ようとした可能性すらある。
正体を突き止めたいところだが、あかりと美月が恵理巣を毛嫌いしているため、気をつけないと二人の機嫌を損ねることになりかねない。
あれこれ考え事をしているうちに、家の前に到着していた。
時間は午後3時頃だ。
この時間なら、妹の茂音は友達のところに遊びに行っているだろう。
普段ならば、可愛い妹のタックルも歓迎だ。
しかし、今それを受けると大ダメージを負いかねないため、注意が必要だった。
「ただいま」
警戒しつつ、ドアを開けてそう言った。
すると、黒柴犬のゼルがトコトコと歩いてきて、出迎えてくれた。
『どうした、勇者よ。ドラゴンに踏みつけられたような顔をして?』
『少し食べ過ぎた』
ゼルの思念波に、龍太も声に出さずに返事をする。
『勇者よ、何だか臭いな』
『ニンニクがたっぷり入ったラーメンを食べてきたからな』
『違う。とぼけるな。魔力を感じると言っているのだ』
それを聞いて、龍太の表情が少し険しくなった。
さすがは元魔王と言うべきだろう。
『久しぶりに暴れるか?』
何かを感じ取った黒柴犬が、そう言った。
龍太が小学3年生だった時、二人して市役所の市長室に殴り込みをかけた時のことの事を思い出す。
『まだ分からない』
靴を脱ぎながらそう答えると、龍太はリビングへ入っていった。
すると、妹の茂音がいた。
ソファーの上で昼寝をしており、その小さな体には毛布がかけられている。
『寝ているときは可愛いのだがな』
ゼルがやれやれと首を左右に振りながら、そう言った。
『何を言っている。茂音は寝ていても起きていても可愛いぞ』
『ああ、分かった分かった。このシスコン勇者め』
龍太は妹を起こさないように気をつけながら、ソファーの端に腰を下ろした。
そして、その足元にゼルが座った。
『色々ときな臭くなってきたが、家のことは任せるぞ』
『フンッ、言われるまでもない。ここは我が棲まう館ぞ。安心するがよい』
『魔王城みたいに言うな』
そう思念波でぼやきつつ、龍太はふと、前世のことを思い出していた。




