第5話 幼馴染たち
【散歩と微笑みの裏側】
龍太は幼稚園から帰ると、ゼルの散歩が日課になった。
『愚か者め、そのような細い紐一本で、我を拘束できると思うなよ。隙を見せれば、すぐにでも逃げ出してくれるわ』
『別にいいが、保健所に捕まると大変な目に遭うぞ』
『……フンッ、しばらくは貴様に付き合ってやる』
『無理しなくても、ほれ』
そう言うと、龍太がゼルの首輪からリードを外す。
『さあ、お前は自由だ』
『分かった、我が悪かった。謝るから、それをつけてくれ。保健所は嫌だ』
どうやら、ゼルはこの世界で野良犬がどのような目に遭うか、どこかで知ったようだ。
あと、この散歩は龍太にとってはトレーニングも兼ねている。
外見は幼児でしかない彼は、一人では外に出してもらえないが、ゼルの散歩という口実があれば、それが許される。いや、本当はそれでも駄目なのだが。
そのため、龍太とゼルはやたらと走った。
それも、お互いにどんどん加速をしていく。
『遅い遅い、どうした勇者よ、貴様の本気とはその程度か?』
『黙れ、チョコチョコと可愛らしく走る魔王め。魔王なら魔王らしく、空ぐらい飛んでみせろ』
通行人どころか、ゆっくり走る自転車を追い越し、三歳児と黒柴犬が住宅街を駆け抜けていく。
そして、とある公園に差し掛かった時、
「あっ、龍太くんだ!!」
公園の反対側から、元気の良い女の子の声が聞こえて来た。
声がした方を見ると、私服姿の幼稚園の同級生、神崎・あかりの姿が見える。
彼女も愛犬の散歩中だったらしく、トイプードルのリードを握っていた。
さらにその隣には、大人の男性がいる。
どうやら、その人は父親らしく、あかりのことを温かく見守っていた。
『色々な意味で、我らとは違うな』
『まあ、仕方ないだろう』
神崎親子と公園の中央で合流をする。
神崎・あかりは、明るくいつも元気で、笑顔が似合う女の子だ。
もう一人の同級生、室井・美月とは対照的に、エネルギッシュで人懐っこく、いつも誰かとおしゃべりをしたり遊んだりしている。
同じクラスの暴れん坊園児、大門・寛太が、何度か彼女に悪戯や意地悪をしようとしたことがあったが、その都度、龍太がさりげなく庇ってあげていた。
ちなみに、寛太は別に彼女にだけちょっかいを出そうとしたわけではない。彼は無差別に誰にでも悪戯をするし、それは教諭も例外ではない。
可愛いぬいぐるみのようなトイプードルが、チョコチョコと足を動かして近付いて来たが、目つきの悪いゼルに怯えて足を止めた。
「わぁ、可愛いワンちゃんだね……目が少し怖いけど」
『フッ、我の事を可愛いとは、なかなか見どころがある人間だな』
『魔王が可愛いと言われて喜ぶな。あと、目つきが悪いとも言われたぞ』
「お名前はなんて言うの?」
「ゼルだよ」
「ゼルちゃんって言うんだ、格好いい名前だね」
「気を付けて、こいつは世界の敵だから」
「ええ~っ、そうなんだ。でも龍太君は正義の味方だから安心だね!!」
ゼルが世界の敵という部分を否定しないあたり、幼い彼女なりに、何か禍々しい気配を感じ取ったのかもしれない。
「なでなでしてもいい?」
「もちろん」
と口で答えつつ、
『分かっているだろうな、ゼル。噛み付いたりしたら、今日の晩御飯にお前の大嫌いな茄子を入れるぞ。あと、彼女に魔法をかけるのも、呪いを放つのも駄目だ』
『わ、分かっている』
大人しく、幼児ゆえに遠慮がなく、多少乱暴なあかりに撫でられるゼル。
「こんにちは、君が茂野・龍太君だね」
あかりの父親がその場にしゃがみ、龍太に視線を合わせつつ、そう挨拶してきた。
「はい、あかりちゃんのお父さんですか?」
「ああ、そうだよ。これからも娘と仲良くしてあげてね」
彼の名前は神崎・誠司。実は市議会議員をやっている。
まだ三十代前半ではあるが、長身で顔は男前、さらに良く響く低い声をしているため、無所属の新人でありながら一発当選を果たしていた。
駅前などに彼のポスターが貼られていたことを思い出す龍太。
なるほど、幼児相手にこの物腰の柔らかさ、なによりこの外見だ。さぞかし女性たちの票を集めたことだろう、と龍太は思った。
「君の話は、あかりから聞いているよ。この間は、怖い犬をやっつけてくれたんだって?」
「あれは、怖くて振り回したスコップが偶然、犬の顔に当たっただけです。とても誇れるようなことではありません」
「……」
「どうかされましたか?」
「き、君、本当に三歳?」
「はい、あかりちゃんと同級生です」
この時、神崎・誠司は、なんなんだこの子は? まるで大人と話をしているようだ、と真剣に考えていた。
そして、それはあながち間違いではない。
「あかりちゃん、君のワンちゃんの名前は、なんて言うの?」
龍太がそう聞くと、あかりが元気よく、
「クゥちゃん!!」
と答えた。
『お前より十倍可愛いな』
『な、なんだと、聞き捨てならんぞ勇者。我の可愛さをよく見ておけ』
それまで棒立ち状態であかりに撫でられていたゼルが、その場でコロンと寝転ぶと、あかりにお腹を見せた。
「キャー、可愛い」
さらにあかりが撫でまくる。
その時、神崎・誠司のスマホが鳴った。
彼が少し龍太たちから距離を取りつつ、それでいて視線は愛娘から離さないようにしながら、電話に出る。
「神崎です……そうですか……それは、良かった。では、次の議会で……はい」
どうやら仕事の話のようだ。
「これで造成地拡大計画は動き出せます」
最後にそう言うと、彼はスマホを切った。
通話を終えた神崎・誠司が龍太たちの方に歩み寄って来る。今、電話に出ていた時とは別人のような、優しい父親の顔で。
「パパ、お仕事の電話?」
「ああ、そうだよ。あかりや龍太君が大きくなった頃には、この街はもっと良くなっているぞ。便利で豊かな街にな」
それを聞いて、あかりが、
「やったー!!」
と喜び、さらに、
「ディ〇ニー ラ〇ドとかできる?」
「そ、それは、ちょっと無理かな」
【ままごとの輪の中で】
龍太が公園で猛犬を撃退して以来、あの孤独を愛する幼児、室井・美月が龍太の側にいることが多くなっていた。
とは言っても、一緒におしゃべりをしたり、遊んだりしているわけではない。
気が付くと龍太の側に来て座り、絵本を読んだり折り紙をしたりしている。
今も、積み木で友達と遊んでいる龍太の隣で、黙々と絵本を読んでいた。
ただ、正確には、龍太は無邪気に遊んでいる他の子供たちの子守をしている感じだったが。
「本当に龍太君がいると、助かるわ」
「彼にも給料を払いたいくらいよ」
確かに、三歳児など、知能的には同じ年齢の猿やチンパンジーと同レベルである。
違うところと言えば、言葉が喋れるかどうかぐらいしかない。
当然、我儘を言うし、玩具や遊び場の取り合いをして、すぐに喧嘩になる。
プロの教諭たちは、その予兆を察知すると、すかさず駆けつけ、争いの芽を刈り取ったり、戦いの火が燃え広がる前に消火したりしていた。
驚いたことに、龍太は僅か三歳にして、それをやってのけている。
今も、積み木を上手く積み上げられない大門・寛太が癇癪を起こし、
「こんなの、面白くない!!」
と言って積み木を投げた。
それは、絵本を読んでいる美月に向かって飛んでいく。
幼稚園で使っている積み木は、名前に「木」がついているが、プラスチックだ。それでも角が当たれば、それなりに痛い。
「危ない!!」
教諭たちがそれに気付いたが、間に合うわけがない。
しかし、龍太が美月に当たる直前で、その積み木をノールックで受け止め、何食わぬ顔で友達に、
「これも使いなよ」
と言って渡す。
「い、今、龍太君、全然違う方を見ながら積み木をキャッチした……」
「まるでプロのバスケット選手みたい」
このようなことは日常茶飯事だった。
転びそうな子供を抱き止めたり、喧嘩を始めた園児の間に入って、ほんの数分後には一緒に遊んでいたり。
先日などは、神崎・あかりが食事中にはしゃぎすぎて牛乳をこぼしたのだが、泣きそうになる彼女の側に教諭より早く駆け寄ると、
「大丈夫だから。こぼれた牛乳を拭くから、ちょっと立って……良かった、服は濡れていないね。さあ、俺の牛乳をあげる。あっ、すいません。わざわざ雑巾を持って来てくれたんですね。ありがとうございます」
と言って、教諭が持って来た雑巾を受け取り、てきぱきと後片付けをしてしまった。
「い、いや、そうじゃなくて……あれ?」
「よかったね、あかりちゃん。先生が雑巾を持って来てくれたよ。さあ、お礼を言って」
「せんせい、ありがとう」
「ええ~っ?!」
なんと言うか、無力感や罪悪感に苛まれる教諭。
そのようなことが、毎日普通にあるのだ。
「私、あんな彼氏が欲しい」
「私は、うちの旦那とあの子を取り替えたい」
「美月ちゃん、何を読んでるの?」
そんな龍太だから、室井・美月への心配りも当然忘れない。
「日本の童話よ。一寸法師って言うの」
以前は、読書中に話しかけられると、迷惑そうな表情をして適当に返事をするか、無視をしていた美月も、最近は少し人との接し方を学習していた。
「なるほど、小人が巨人と戦う話か……針を剣の代わりにするとは考えたね……へぇ~、外部からの攻撃では倒せないと判断して、わざと食べられて消化される前に内部から攻撃したのか。かなり危険だけど、とても勇気のある攻撃方法だと思う」
異世界で、巨人や巨竜と何度も戦って来た彼だからこその感想だ。
そこにパタパタと足音を立てて誰かが駆け寄って来た。
「やっほ~、龍太君、美月ちゃん」
明るい声とともに現れたのは、神崎・あかりだ。
元気な笑顔に、フワッとした髪の毛。そして、その手には木のままごとセットが抱えられている。
「ねえねえ、ママゴトしよ!! 私がママで龍太君がパパ、美月ちゃんはおばあちゃんね」
「ち、ちょっと待って、なんで私が、おばあちゃんなの?」
「アハハハ、冗談だよ~」
「ど、どのみち、私はそういう子供っぽい遊びには興味がないわ」
などと、三歳の幼児が言う。
「え~っ、つまんなぁ~い。でも龍太君は遊ぶでしょ?」
「分かった。付き合うよ」
龍太がそう返事をすると、美月がぴくりと反応した。
「そ、そうね。たまには幼稚園児らしく、ママゴトも悪くないわね」
そう言うと、美月もママゴトに参加したのだった。
幼稚園のお迎えの時間が近付いて来た。
今日もよく遊び、よく学んだ子供たちが帰り支度をしている。
この幼稚園は私立ではないため、送迎バスはない。そのため皆、誰か肉親が迎えに来ることになっていた。
龍太は普段は母親が、そして休みの時は父親が迎えに来てくれる。
帰る準備が終わった者から、園内で一番広い遊戯室に集められていく。
そこでは大きなモニターでア〇マン〇ンを観たり、絵本を読んだりして時間を潰すことになっていた。
「ねえ、龍太君」
遊戯室から脱走しようとしていた大門・寛太を捕まえて戻って来た彼に、美月が話しかける。
「なんだい?」
「あなたって、よく分からない人ね」
「どのあたりが?」
「まるで大人の人みたい」
そう言われて、龍太が内心でドキッとなった。
自分では目立たないように周囲の園児たちに合わせているつもりなのだが、やはり無理があるようだ。
「そんなことないと思うけど」
「悪いことだとは思わない。そのおかげで、私も助けてもらえたし」
あの公園の砂場での彼の後ろ姿は、今でもハッキリと覚えている。
「じゃあ、また明日」
彼女はそう言うと、迎えに来た母親の方へ小走りで駆け寄って行った。
「君も、たいがいだと思うけどな」
そんな彼女の背中に、聞こえない程度の小さな声でそう言う龍太だった。




