第46話 オカルト研の魔法陣
【最高の調味料】
室井美月は校舎内を移動し、家庭科の調理実習室の前に来ていた。
そのドアの前には、「美味しい料理で好きな異性の胃袋を掴み取れ!!」という、まるで格闘家のスローガンのようなポスターが貼られている。
ドアは開いていたので中を覗き込むと、シンプルな文化祭の喫茶店のようになっていた。
ここは調理部が使用している部屋で、新入生たちがお茶とお菓子を振る舞われている。
「さあ、あなたも入って」
女子の調理部員が美月に気づき、そう声をかけてきた。
「失礼します」
そう言って中に入ると、さあさあ、こちらへと促され、椅子に座らされた。
「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「では、紅茶で」
そう答えると、白い紙皿と紙コップが運ばれてきて、彼女の前に置かれた。
「そのクッキーは、私たちが焼いたのよ。おかわりもあるからね」
「ありがとうございます」
そう礼を言ったものの、おかわりなどもらったら、入部を断りづらくなりそうだ。
紅茶も、市販のペットボトル飲料などではなく、茶葉から淹れたものだろう。湯気と一緒に、とても良い香りが漂ってくる。
「あら、美人さんね」
彼女に気づいた調理部の部長が声をかけてきた。
「どうも」
そう返事をして、紙皿に手を伸ばす。
ハートの形をしたバニラとチョコの二種類のクッキーが、それぞれ二個ずつ載っていた。
バニラのクッキーを指でつまんで口に運ぶと、慎重に味わった。
「あら、美味しい」
それは、とても美味しかった。
ほどよい甘さに、口の中でほどよく崩れるサクサク感。正直言って市販のものよりも好みだ。
「でしょ? ただ甘いだけじゃないのよ。クッキーは風味が大事なの」
部長が嬉しそうに両手を合わせて、そう説明してくれる。
「何よりも、愛情が最高の調味料なのよ!」
体をくねらせ、最後にはウィンクまでしてきた。
「そ、そうですか」
美月はそう言いつつ、部長の方に顔を向けた。
そこには、プロレスラーのような大柄な体型をした三年生の男子が、ニコニコと笑いながら立っていた。
「これにも、あなたの言う最高の調味料が入っているのですか?」
「もちろんよ。溢れ出すほど詰め込んでおいたわ」
それを聞いて、美月は再びクッキーに目を向けた。
急に、それが別の食べ物に見えてきた。
口の中に残ったクッキーを、紅茶で喉に流し込む。
『こ、ここは、ちょっと無理ね』
【期待の新人】
「それじゃあ、ちょっと踊ってみようか?」
体育館のダンス室で、チア部の部長がそう言った。
あかりと他の見学者たちに、ポンポンが配られていく。
「い、今からですか?」
先ほどのアクロバティックな演技を見た後だったため、あかりはすっかり腰が引けていた。
そもそも、彼女は制服姿である。
あんな風に放り投げられたり、バク転などをしたりしたら、スカートがめくれて大変なことになるだろう。
もっとも、ここには女子しかいないため、最悪の事態だけは避けられそうだが。
「大丈夫よ。簡単なダンスだから」
困ったような表情になった新入生たちを見て、部長が笑いながらそう言った。
「それじゃあ、前の人がやることを真似してね」
見学者たちの前に、チア部の先輩たちが両手にポンポンを持って並ぶ。
「まずは右手を横、左手を上、左手を横、右手を上……次はステップも入れるよ」
部長が軽やかに踊りのお手本を見せる。
「これなら、私でも」
神崎あかりは、運動が得意な方だ。
中学時代には、友人たちと簡単なダンスを一緒に踊ったこともある。
部長の真似をしながらステップを踏み、体を動かしていくと、結構楽しかった。
そのとき、開け放たれたままのダンス室の前を通りかかった男子生徒たちが、あかりたちに気づいた。
「おい、見ろよ。あれ、1組の可愛い女子だぜ」
「マジか。チア部に入るのか?」
チア部には男子は滅多に入部しないが、このフロアには他にダンス部もあり、そちらには男子生徒もかなりいる。
おそらく、彼らはそちらの見学に来ていたのだろう。
「どうしたの?」
「あっ、神崎さんだ」
男子だけでなく、女子も彼女に気づいて足を止める。
「はい、ステップ、ステップ……そして最後に両手を上げてフィニッシュ!」
部長の掛け声に合わせ、あかりが最後に決めポーズをとり、真上に上げた両手を元気よく振る。
「うぉ~!! 可愛い!!」
外からダンス室を覗いていた男子生徒たちが歓声を上げる。
さらに、女子の見学者たちも、途中からあかりに引っ張られるようにテンションが上がっていった。
「ちょっと踊っただけで、こんなに盛り上がるなんて」
それを見て、チア部の部長が小さくガッツポーズをとる。
『この子、いいわ』
皆に拍手をされ、「いやぁ~」と照れながら、ポンポンを持った手で頭の後ろを掻いているあかりを見て、彼女はそう感じた。
『特に、スタイルがいいから、胸がよく揺れる』
何というか、発想がオバサンだ。
「結構、面白かったな」
あかり本人もそう感じていた。
そして、想像する。
チア部のコスチュームを着て、ビシッと決めポーズをとった自分を。
当然、その前には(妄想の)龍太が立っていて、あかりを見て拍手をしている。
「凄いな、あかり。君は最高だよ!! 愛してる!!」
そして、やはり本物は、今のところ言う予定のない台詞を口にするのだった。
「よし、入部しよ」
こうして神崎あかりは、幼馴染たちの中で一番最初に、入部するクラブを決めたのだった。
【兆候】
武道場を後にした龍太は、まだ一人でブラブラとしていた。
体育館やグラウンドをうろうろしていると、また声をかけられそうなので、文化系のクラブが入っている校舎内に戻ってきていた。
部活よりも人数が少ない同好会もあるため、校舎内の至る所で、さまざまなクラブが活動している。
「何か面白い部活はないものか……」
できれば、実用的で自分にとってプラスになる部活がいい。
そう考えながら、教室の前に貼られているクラブ紹介のポスターを一枚ずつ眺めていく。
その中に、かなり異質な教室があった。
そこは図書室に併設された狭い会議室で、教師はもちろん、生徒であっても申請すれば使用することができる。
そして放課後は、オカルト研究部が部室として使用していた。
龍太がその前を通りかかる。
彼は図書室で活動している文芸部や歴史研究部の様子を見に来たのだが、その足が止まった。
オカルト研は、見学者のためにドアを開けたままにしていた。
龍太が小会議室の中を覗くと、そこでは魔女のミサのようなことが行われていた。
四人の女子生徒が、絵本に出てくる魔女のような黒い外套をまとい、床に広げた魔法陣を囲んでいるのが見えた。
カーテンは閉められていた。校舎内では火気を使用できないため、ろうそくの代わりに、豆電球がついた白い筒が並べられている。
「何をやっているんだ……?」
そう呟きつつ、ドアの外に貼られたポスターを見ると、「異世界の魔王を召喚中」と書かれていた。
「ゼルが来るかもな」
黒柴犬の元魔王は、以前はよく思念体となって龍太について学校に来ていたが、妹の茂音が生まれてからは、家で遊び相手になっている。
それにしても……。
龍太は驚いていた。
オカルト研の四人の足元に置かれている魔法陣は、異世界で使われていた悪霊召喚の魔法陣によく似ていたのだ。
異世界では、よく罠として使用されていた。
ダンジョンなどにその魔法陣が描かれていて、誰かが近づくと自動的に悪霊が召喚され、侵入者を攻撃するのだ。
異世界には魔力が満ちていたため、特に呪文などは必要ない。魔法陣の起動方法さえ決めておけばよかった。
しかし、この世界には魔力がないため、たとえ呼び出せたとしても、ほとんど害のない低級霊だろう。
龍太の目が細められた。
魔法陣の上に、白い靄のようなものが滲み出してきた。
「まずいな」
呼び出している四人の女子生徒には何も見えていないようだが、龍太にははっきりと認識できた。
あの程度の霊なら、寒気を感じたり、少し頭痛がする程度で、人体への影響はほとんどないだろう。
しかし、もし霊感体質だったら、もう少し影響を受ける可能性もある。
龍太が浄化の魔術を使うと、召喚された低級霊は、ろうそくの火が吹き消されるように消滅した。
「それにしても、どこであの魔法陣を……」
ここから見る限り、魔法陣は手書きだ。
まさか、自分たちで考えたのか?
魔法陣とは、魔術の設計図である。そこに描かれている模様や文字にはすべて意味があり、どれか一つ違うだけで、魔術は起動しない。
「あの四人は魔術師ではない。魔術が使えない人間でも、魔法陣さえあれば低級霊ぐらいは召喚できるだろうが……」
問題は、誰があの魔法陣を描いたのか、もしくは、その描き方を教えたのかだ。
小会議室内では、何も知らない四人のオカルト研部員たちが、まだ儀式を続けていた。
このままでは、また低級霊が召喚されるかもしれない。
放ってはおけないか。
「失礼します」
龍太がそう言って室内に入っていくと、四人が一斉に彼の方に顔を向けた。
自分たちで言うのもなんだが、このような怪しい同好会に、まともな男子生徒が見学に来るとは思っていなかったため、かなり驚いている。
「君、オカルトに興味あるの?」
「私たちは、UFOとかUMAとかには興味ないわ。最終目的は異世界召喚か転生よ」
「あなたは、魔王の存在を信じる?」
「魔王がいるということは、それと戦う勇者もいるはず」
もちろん信じているし、俺自身がその転生勇者なのだが……。
そう思っていたが、面倒なことになりそうなので、口に出したりはしない。
「あ、あの先輩方。その魔法陣って本物ですか?」
龍太がそう聞くと、四人の表情が明るくなった。
それは、怪しげな儀式をしている魔女たちというより、推しのアイドルを褒められて喜んでいるファンのようだった。
「これ、いいでしょ」(結構やばい物です)
「本物みたいよね」(いや、それ本物です)
「異世界の魔王を召喚する魔法陣よ」(召喚できるのは低級霊です)
「昨日、先輩が教えてくれたのよ」
やはり誰かに教えてもらったのか……。
それは一体何者だ?
そいつは、もしかしたら自分やゼルと同じ異世界転生者かもしれない。
そう考えて、龍太は背筋が冷たくなるのを感じていた。
今まで考えなかったわけではない。あの魔王城での最終決戦のとき、転生魔法陣の暴走に巻き込まれたのは、自分と魔王ゼルザ・ネクロヴァルと、聖剣エルグレイザだけなのか?
もしかしたら、自分の仲間や魔王の手下が、同じようにこの世界に異世界転生しているのではないか?
彼の仲間ならまだいい。異世界に来たからといって、チート能力を使って悪事など働かないだろうから。
しかし、魔王の手下の場合は違う。
その気になれば、いつでも何の証拠も残さずに人間を消すことができる。
そのような危険な存在を野放しにすることはできない。
「凄いですね。誰に教えてもらったのですか?」
可能な限りさりげなく、龍太はそう質問した。
しかし、四人は、
「あれ、誰だっけ?」
と、首を傾げ始めた。
惚けているわけではない。本当に忘れているようだ。
間違いない。魔法で記憶を消されている。
異世界でも、そうそう使える者はいなかったが、確かにそういう魔術があった。
どちらかと言えば、魔王軍の方が使い手は多かったと思う。
人間の街や城に忍び込み、人を殺し、目撃者の記憶を操作して疑心暗鬼に陥らせる。
目撃者が全員、「犯人はあいつだ」と言って別々の人間を指させば、誰も信じられなくなるだろう。
「見せてもらってもいいですか?」
そう言うと、龍太は床に広げられている魔法陣に近づいた。
見れば見るほど、異世界のそれにそっくりだ。
もし、これをオカルト研に教えた人間が、他の魔法陣も知っていたら、どうなるか?
誰かが近づいたら音が鳴ったり、いい匂いがしたりするような無害なものから、触れると爆発したり、違う場所に強制的に転送したり、最悪の場合は人間を殺傷できるような魔物を召喚するものまである。
もっとも、魔力を持つ人間がいないこの世界では、たとえ準備できたとしても、そのような大がかりな魔法陣を起動させることはできないだろうが。
しかし、万が一ということもある。
龍太は指でそっと触れると、魔法陣の一部をさりげなく書き換えた。
見た目はほとんど変わらない。例えるなら、ひらがなの「ち」を「た」に変えたくらいの差だ。
しかし、それだけで、この魔法陣はただの落書きになる。
「へぇ~すごいですね。ありがとうございました」
そう礼を言うと、龍太は魔法陣から離れた。
「君はこういうものが好きなの?」
「好きというか、初めて見たので」
「ねえねえ、名前だけでもいいから入部しない?」
「考えておきます」
そう言うと、小会議室から出ていった。
オカルト研にこんな危ないものを教えたのは誰だ? 何のために?
俺がこの学校に来たのは偶然か?
そんなことを考えながら廊下に出ると、
「やあ」
背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには一人の三年生の男子が立っていた。
背が高く、顔立ちの整ったイケメン。
それは、前生徒会長の天野静流だった。
この先輩、まったく気配がしなかった。
平静を装いつつ、龍太は体内の魔力を高める。
それは、戦闘準備だった。




