第45話 勇者の剣道
【剣道部】
部活動見学の時間、龍太が体育館のそばを歩いていると、武道場が見えてきた。
そこでは剣道、柔道、空手、レスリングなど、格闘技系のクラブが活動している。
入部するつもりはないが、興味がないわけではなかった。
異世界では、人間族は圧倒的な力を持つ魔物や魔獣と戦っていた。
そのために魔術が編み出され、魔力を込めた武器が開発されてきたのだ。
なにより、貧弱な肉体で強大な敵と戦うために、剣技や体術も進歩していった。
残念なことに、それらの技術は人間同士の戦いにも活用されたが、対人戦闘技術は未発達だったため、無骨な力押しになることが多かった。
その点、魔獣や魔族が存在しないこの世界では、対人戦闘の技術に特化している。
相手が人間の場合は、戦いながらも知恵を働かせなければならないのだ。
わざと隙を見せて相手を誘い込み、攻撃を仕掛けてきたところをカウンターで一本取ったり、フェイントで相手を惑わせて隙を作ったりする。
そうした技術が発達したのは、おそらくスポーツとして体系化され、進化してきたためだろう。
生きるか死ぬかの真剣勝負では、よほどの熟練者でなければ、冷静に戦うことなどできない。
戦いの練習とは、敵と殺し合うための練習である――そんな世界からやってきた龍太にとって、現世の武道は、真剣に取り組んでいる選手たちには申し訳ないが、どこか微笑ましく感じられるのだった。
「剣道部です! 練習試合をやっています! 見学していってください、面白いですよぉ!!」
武道場の入口では、女子剣道部員がプラカードを振りながら、そう呼びかけていた。
そして、目の前を通りかかった龍太に駆け寄ってくる。
「ねえねえ、君! 剣道経験者でしょ?!」
「えっ? なぜ分かったのですか?」
「身のこなしが只者じゃないって感じだったから!」
もちろん、これは口から出まかせである。
彼女は龍太の前にも、眼鏡をかけたガリガリの新入生に、まったく同じことを言っていた。
「見学していってよ!」
別に剣道が嫌いになったわけではないので、龍太も少しは興味があった。
「では、ちょっとだけ」
そう答えると、武道場へと入っていった。
板張りの剣道場には、十人ほどの部員と五人の見学者がいた。
龍太は、女子部員に案内されて、その中へと入っていく。
剣道場の中央には白いテープで試合場が区切られ、そこで練習試合が行われていた。
審判も剣道部員らしく、道場内には顧問の姿は見当たらない。
「始め!」
審判が、左右の手に持った赤と白の小旗を同時に振り下ろしながら、そう告げた。
よく見ると、試合をしている部員の背中には、それぞれ赤と白のたすきがつけられている。
二人は同時に気合が入った掛け声を上げ、足を踏み込むと同時に竹刀を振るった。
ダンッ、ダンッ、と床を踏み込む音と、竹刀同士がぶつかり合う音が剣道場に響き渡る。
「すごい……」
「ちょっと怖いね」
見学に来ていた女子の新入生たちが、小声でそう言い合っていた。
確かに、ゲームならボタン一つで相手を攻撃できるが、ここでは全身を使って攻めたり、防いだりしている。
なにより、床が踏み込まれるたびに、室内の空気が振動しているように感じられた。
試合が一分ほど続いたとき、二人の竹刀が、ほぼ同時に相手の面を打った。
「やめ!」
審判がそう告げ、赤い小旗を上げる。
「面あり一本! 勝者、赤!」
そう宣言すると、二人の剣道部員は道場の中央で向かい合い、礼をした。
しかし、それを見ていた龍太が、ぽつりと呟いた。
「ん? 今のは白の方が、わずかに速かったぞ」
その声は、試合が終わって道場内が静かになっていたため、審判を務めていた上級生の耳に届いてしまった。
「おい、素人が口を挟むな!」
上級生は、機嫌を損ねた様子で龍太を睨みつけた。
「いや、確かにほぼ同時に見えたが、白の人の方がわずかに速かった」
別に悪気はなかったが、こういう場面で空気を読めない龍太も譲らない。
「もしかして、お前は剣道経験者か?」
審判をしていた上級生が、そう言いながら龍太に近づいてきた。
それを見たほかの部員たちが、慌てて駆け寄ってくる。
「ぶ、部長! 相手は一年生ですから!」
どうやら、審判をしていたのは剣道部の部長だったようだ。
ちなみに、剣道部や柔道部では、部を代表する生徒を主将と呼ぶことが多いが、豊成高校では部長と呼んでいるらしい。
サッカー部や野球部などでは、部長やキャプテンと呼ぶこともある。
「中学時代に少しだけやっていた」
「それで、俺の審判にケチをつけようっていうのか?!」
「ぶ、部長、落ち着いてください!」
「安心しろ。別に怒っちゃいない」
いや、どう見ても滅茶苦茶、怒っているだろう。
「自分の腕に自信があるようだな。ちょうどいい、体験していけよ」
剣道部の部長は、今年の新入生の中に、中学時代に剣道で好成績を残した者がいないか、事前に調べていた。
しかし、今、目の前にいる男子は、その名簿に含まれていなかった。
おそらく、アニメやネットでおかしな剣道の豆知識を身につけた、お調子者なのだろう。
彼は龍太をそう判断していた。
「ぶ、部長! 相手は新入生ですよ!」
部員の一人が慌てて止めに入る。
「き、君も、駄目だよ。剣道では審判の判定が絶対なんだから」
「分かっている。だから、試合結果を覆せなどとは言わない。しかし、目の前で誤審が行われたのなら、指摘しなければ審判はそのことに気づかないだろう」
「てめぇ……俺に説教しているつもりか?」
「き、君! 部長は去年のインターハイで個人戦三位だったんだよ! 今なら間に合うから、謝って!」
「部長、落ち着いてください! 大人げないですよ!」
「新入生に怪我でもさせたら、大問題になります!」
部員たちが口々にそう言う。
しかし、龍太は一歩も引かなかった。
「ならば、なおさら引けないな」
「ん、だとぉ?!」
「人間は、自分が一番強いと勘違いした瞬間に、成長が止まる」
このとき、部長は完全にキレていた。
彼は、自分自身の実力を否定されたというよりも、素人に剣道そのものを軽く見られたように感じていたのだ。
「おい、誰か、この新入生に防具と竹刀を貸してやれ!」
何で、こんなことになったんだ……。
そう考えながら、龍太は防具を身につけ、右手に竹刀を持っていた。
他人の防具はかなり汗臭かったが、龍太は特に気にしなかった。
異世界では、血まみれになりながら何日も連続で戦い続けたことが、何度もあったのだ。
あの時は、用を足す暇もなかったので、全て漏らし、汗と、血の匂いと混ざりあって、それはもう恐ろしい異臭を放っていた。
道場の端に立つと、反対側には部長がいた。
彼も防具を身につけ、竹刀を持っていたが、面はかぶっていない。
「面はかぶらないのか?」
龍太がそう尋ねても、部長はフンッと小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そうか。では、自己責任ということで」
龍太がそう答える。
二人は道場内に入り、まず一礼する。
さらに竹刀を構え、しゃがんで蹲踞の姿勢を取ってから、立ち上がった。
「部長、お願いですから、怪我だけはさせないでくださいよ」
審判を務める副部長が、そう懇願した。
「うるさい。さっさと始めろ」
「はぁ……。君も、危ないと思ったら逃げていいからね」
今度は龍太に、小声でそう言ってくる。
「分かった」
もちろん、逃げるつもりなどなかったが、龍太は素直に返事をしておいた。
気がつくと、剣道部の部員や見学者だけでなく、柔道部や空手部の部員たちも、野次馬として集まってきていた。
「なになに、あいつ、またキレたの?」
「いいぞ、いいぞ。これで剣道部に入る新入生が減る!」
どうやら、剣道部の部長はキレやすいことで有名らしい。
周囲の者たちも、呆れた様子で見守っていた。
もっとも、暴力事件などを起こせば、部活動が停止になったり、下手をすれば廃部になったりする。そのため、そこまで無茶なことはしていないようだったが。
「それでは……始め!」
副部長の掛け声と同時に、部長が一気に踏み込んだ。
竹刀の切っ先が、真っすぐ龍太の喉元へと突き出される。
まずは突きで転倒させるつもりらしい。
しかし、龍太は難なく半身になってそれをかわすと、左手一本で竹刀を振り下ろした。
竹刀の先端は、部長の頭頂部からわずか数ミリのところで、ピタリと止まった。
「へっ?」
あまりの速さに、部長は何が起こったのか理解できていなかった。
「当てないと一本にならないなら、このまま振り下ろすが?」
龍太は、呆然とする部長に淡々と告げた。
「ひ、ひぃいいい!」
部長は情けない声を上げながら、腰を抜かした。
「な、何が起こったんだ?」
「あいつ、まるでコマ落ちしたみたいに瞬間移動したぞ!」
見学者や野次馬たちが、ざわめいた。
その時、
「なんだ? どうした?」
そう言いながら、剣道部の顧問が道場に入ってきた。
四十代半ばの小太りな男性教師で、一応、学生時代には剣道をやっていたものの、部長ほどの好成績は残せていなかった。
「おい、部長。またキレて、何かやらかしたんじゃないだろうな?」
そう言いながら見学者を押しのけてきた顧問は、その場で固まった。
道場の中央では、部長が情けない格好で腰を抜かしている。
そして、その目の前には、面を外した新入生が立っていた。
誰がどう見ても、剣道部の部長が新入生に負けたようにしか見えない。
「き、君は?!」
顧問は、面を外した龍太の顔を見て驚いた。
「えっと……確か、そうそう! 茂野龍太君じゃないか! うちの学校に入学していたのか?!」
その声を聞いて、部員たちも驚いた。
もちろん、彼らは龍太のことなど何も知らない。
彼らが驚いていたのは、顧問の態度の方だった。
「せ、先生は彼を知っているのですか?」
副部長が尋ねると、顧問は何度も頷いた。
「ああ。彼は中学一年のとき、剣道の試合ではすべて一本勝ち。それも、開始から一秒もたたずに相手を倒し続けた超有名人だったんだ」
「う、嘘だろ……。」
「当然、一年生で全国大会にも出場した。そこでも瞬殺で一本を取り続けていたんだが、決勝戦には出なかった」
「なぜですか?」
「いや、それは分からない。怪我をしたとか、いろいろな噂が流れたが、結局、それ以降は剣道をやめたとしか聞いていない」
そう説明すると、顧問は龍太に近づいた。
「もしかして、高校生になって、また剣道をやる気になったのか?」
もしそうなら、これほどうれしいことはない。
部長を倒したということは、彼の剣道の実力は今でも超一流ということになる。
「いいえ、違います」
しかし、龍太はきっぱりと答えた。
「ええっ?! それはなぜ?」
「一身上の都合です」
「な、何それ?! 滅茶苦茶気になるんだけど?!」
この後、顧問にしつこく勧誘されたものの、龍太は礼を言って防具と竹刀を返すと、剣道場を後にしたのだった




