第41話 勇者の妹 茂野 茂音
【プリントアウト】
「本当に、あの人だけは掴みどころがないわね」
そう言って生徒会長の瀬戸 恵理巣は、机の上に開かれたノートパソコンに向き直った。
一応、個人情報を扱うため、起動にはパスワードが必要だ。しかも、そのパスワードは定期的に変更している。
「一体どうやって起動したんだか……」
もちろん、パスワードを書いたメモを机の引き出しやノートパソコンの裏に貼ったりはしていない。
液晶画面に目を向けると、綺麗すぎて逆にCGのように見える、室井美月の画像と目が合った。
「本当に人形みたいな子」
画面には、彼女のクラスや生年月日、出身中学などの簡単なプロフィールが記載されている。
ただし、住所やスマートフォンの電話番号、メールアドレスなどは載っていないので、これだけで何か悪いことはできないはずだ。
その画面を閉じると、下に隠れていたメッセージウィンドウが現れた。
そこには、こう書かれていた。
『印刷は終了しました』
「まさか、この画面をプリントアウトしたの?」
そう言いながら、恵理巣は壁際の棚の上に置かれたプリンターに目を向けた。
天野静流は、彼女が生徒会室に戻ってくるまでの間に、このノートパソコンを使って印刷した可能性がある。
「まさか、可愛い女子のプロフィールを……」
もし本当にそんなことをしていたのなら、今度こそ窓から突き落としてやる。
「あ、あの人、天野先輩じゃない?!」
「えっ、うそ、本当だ」
廊下を歩いていた静流とすれ違った女子の新入生たちが、そう囁き合うのが聞こえた。
それほどメジャーな雑誌ではないが、モデルのアルバイトをしているため、新入生でも彼のことを知っている子が時々いるのだ。
「そうだよぉ~、静流君でぇ~す」
ファンサービスとばかりに振り返って手を振ってやると、女子たちは「キャーッ」とはしゃぎ、小走りに去っていった。
「アハハ、可愛いなぁ~」
そう言うと、静流は制服のポケットに手を入れた。
そして、再び手を外に出したとき、その手には一枚のコピー用紙が握られていた。
広げてみると、それは生徒会室でプリントアウトした、一人の新入生のプロフィールページだった。
しかし、それは室井美月のものではなかった。もちろん、神崎あかりのものでもない。
そこに写っていたのは、茂野龍太の顔写真とプロフィールだった。
【妹】
「お兄ちゃーん!!」
玄関のドアを開けた瞬間、元気な声とともに小さな影が飛びついてきた。
「ただいま、茂音。お利口さんにしていたか?」
その小さな体を抱き上げながら、龍太がそう尋ねた。
彼に飛びついてきたのは、今年五歳になる妹の茂野茂音だった。
元気いっぱいの女の子で、今は龍太が通っていた幼稚園に通っている。
「うん、茂音、とってもお利口さんだったよ」
「そうか、そうか」
異世界では兄弟どころか、実の両親の顔すら知らなかった龍太にとって、茂音は初めての妹だった。
そのためだろうか、彼は妹をとても可愛がっている。
『勇者よ……や、やっと戻ったか……』
茂音の後を追うように、酔っ払いのような足取りで黒柴犬のゼルが玄関に出てきた。
『こ、この我をここまで疲弊させるとは、末恐ろしい娘だ』
そう思念波で伝えてくると、ゼルは玄関マットの上でコテンと倒れ込んだ。
どうやら、茂音が幼稚園から帰ってきてからずっと遊び相手をしていたようだ。
『ご苦労だったな、ゼル』
『まったくだ』
龍太も思念波でそう返した。
すると、茂音が二人――正確には一人と一匹――の顔を交互に見つめた。
実は、彼女は生まれながらに魔力を持っていたのだ。
転生前の異世界であれば、そのような人間はそれなりにいた。しかし、この世界では皆無に等しい。
龍太の両親は普通の人間なので、どうやら龍太の影響で、妹も同じような体質になってしまったらしい。
もっとも、たとえ魔力があっても、使い方を知らなければ何の影響もない。
せいぜい、パワースポットや霊力の集まりやすい場所に近づくと、寒気を感じたり、逆に体が熱っぽくなったりする程度だ。
今も、二人の思念波が聞こえているわけではないが、何か気配のようなものを感じ取っているらしい。
龍太は物心がついた頃から魔力の鍛錬をしていた。さらに言えば、魔術の使い方については、前世の記憶がそのまま残っていた。
おかげで今では、その気になれば一人でこの街を焼け野原にすることも、氷漬けにすることもできる。空を飛んだり、水の中を息もせずに歩いたりすることも可能だった。
このまま成長し、妹が魔術を正しく使えると確信できたら、教えてあげてもいいと考えていた。
幼い妹を抱き上げたまま、龍太はリビングへと入っていった。
「ねえねえ、今日ね、園長先生がお菓子くれたの」
舌足らずな声で茂音が言った。
「そうか、それは良かったな」
その園長先生のことは、龍太もよく知っている。
彼が幼稚園に通っていた頃には、すでにそこで働いていたからだ。
龍太は幼稚園では伝説になっていた。
まったく手がかからないどころか、若い教諭たちよりもはるかに園児たちの扱いが上手く、彼が在園している間は仕事がものすごく楽だったという。
その妹が入園してくると聞き、園長先生は、あの伝説が再び繰り返されるかもしれないと期待していたようだ。
しかし、残念ながら、そうはならなかった。
もちろん、茂音が手のかかる悪い子というわけではない。
少し目立つ程度に元気で明るく、可愛らしい幼稚園児だった。
「あら、龍太、お帰りなさい」
「ただいま、母さん」
キッチンでは、母親が夕飯の下ごしらえをしていた。
聖包丁エルグレイザをリズミカルに動かし、玉ねぎをみじん切りにしている。
相変わらず料理が好きで、記念日には手の込んだ料理を作ってくれるのだ。
「あれ、母さん、どうしたの?」
「何を言ってるの。今日は龍太の入学式でしょ」
「ああ、そうだった」
母親は家族の記念日には、その記念日の主役となる人物が好きな料理を作ってくれる。
今夜は、龍太の好物であるハンバーグだろう。
「あのね、茂音もお手伝いしたの」
「そうか、それは楽しみだ」
龍太がそう言うと、妹は嬉しそうに笑った。
か、可愛い……。
『勇者よ、顔が緩んでいるぞ』
『仕方がないだろう。この可愛さは反則すぎる』
『まあ、寝ているときはそうだな』
寝顔は天使だが、起きているときは可愛い悪魔だ。
二人が再び思念波で話し始めると、やはり何かを感じるらしく、茂音は二人の顔を交互に眺め始めた。
「お兄ちゃん、ゼルちゃんと何かお話ししているの?」
「そうだよ。ゼルに、茂音が本当にお利口さんにしていたか聞いていたんだ」
「ええ~っ、茂音、お利口さんだったよ。ねえ、ゼルちゃん?」
茂音が黒柴犬に向かってそう言うと、ゼルは大きなあくびをして、そっぽを向いた。
「ゼルは、茂音と遊べて楽しかったって。また遊んでねって言ってる」
龍太がそう言うと、ゼルは目を剥き、龍太に向かって「ウウ~ッ」と低い声で唸ったのだった。




