第35話 戦いの後
【勝利無き凱旋】
タクシーが家の手前で減速すると、道路の左右で待機をしていたマスコミたちが一斉に飛び出してきた。
「わぁ、危ない!!」
そう言いつつ、タクシー運転手が慌てて車を道路の左側に寄せ、停止させる。
「すいません、ありがとうございました」
そう礼を言うと、後部座席に座っていた神崎・誠司が財布から数枚の紙幣を取り出して運転手に渡した。
メーターに表示されている金額より2割ほど多い。
「お釣りはいいです」
そう言うと、開かれたドアから車外へと出る。
「神崎議員、神崎議員、ちょっとお話を聞かせてください!!」
「祖父江市長の不正について、どこまでご存じだったのですか?」
「メディファルナ社への土地の売却について、あんたも賄賂を受け取っていたのではありませんか?」
「市役所で、市長が何者かに襲撃されたというのは本当ですか!!」
周囲を取り囲まれ、マイクを突きつけられる中、神崎・誠司は「すいません、ちょっと通してください」と言って、人垣をかき分けて進む。
正直言って、彼も知らないことだらけだ。
ただ、
「お嬢さんが、事故に遭われたのは偶然ですか?」
という質問にだけは反応した。
正確には事故に巻き込まれそうになっただけで、娘のあかりは無傷だったが、それでも驚いた妻が泣きながら電話をしてきた。
その時、彼はメディファルナ社による深刻な環境被害に遭った国に行って情報収集をしていたのだが、愛娘のために予定を切り上げて、慌てて帰国して来たのだった。
その帰りの飛行機の中で、祖父江・金五郎が警備員たちと、原因は不明だが市役所の市長室で拳銃や警棒を使った大乱闘事件を起こし、さらに隠し金庫から不正の証拠が発見されたことを知った。
しかし、逆に言うと、それしか知らない。
「すいません、私も帰国したばかりで、何も知らないのです」
「それなら、市役所に行くべきなのではありませんか?」
「もちろん行きました。でも、警察が規制線を張っていて、中に入れなかったのです」
彼がそう言った時、マスコミに、もみくちゃにされながら自宅の門扉の前に到着した。
「今の段階では何もお答えできません」
そう言って門扉を少しだけ開け、自宅の敷地内に滑り込む。
厚かましいマスコミたちも、さすがに勝手に敷地内に入ることはできない。
外からさらに大声で質問を投げかけてくる。
神崎・誠司はそれを無視して、家の玄関のドアに向かった。
しかし、そんな彼の耳に、ひときわ大きな声の質問が聞こえてきた。
「神崎議員、市長が失職したら、次の市長選挙に立候補しますか?!」
それを聞いた彼は、ドアノブを握ったまま顔だけ振り返り、
「もちろんです」
と答えたのだった。
その瞬間を狙っていたように、カメラのフラッシュが一斉に焚かれる。
【いつもの朝】
目覚まし時計が鳴る前に、茂野・龍太が目を覚ました。
ケージの中で丸くなって寝ていた黒柴犬のゼルも、ムクッと顔を上げる。
龍太はベッドから降りると、寝る前にきちんと畳んでおいた服に着替え、そのまま庭へと出た。
朝のトレーニングは、雨の日でも真夏でも真冬でも休んだことはない。
腕立て伏せと腹筋、さらに父親に頼んで作ってもらった鉄棒にぶら下がって懸垂を、とても小学生とは思えない速度でこなしていく。
筋トレが終わるとゼルを連れてジョギングをするのだが、知らない人が見たら短距離走にしか見えない速度で、町内を駆け抜けていく。
「フゥ、いい汗をかいた」
家に帰ってくると、シャワーを浴び、通学用の服に着替えて朝食を食べる。
『市役所の市長室で発見されたのは……』
父親が朝の報道番組を見ながら、コーヒーを飲んでいた。
「すごいことになったな」
「本当ね。私、この市長さん、結構好きだったのに」
まさか、その市長失脚の原因が自分たちの息子とペットだなどとは、夢にも思わない二人。
『この世界は便利だな』
ゼル♡と書かれたプラスチック製の皿でドッグフードを食べつつ、ゼルが思念波でそう言った。
『そうだな。前の世界だと、どれだけ活躍をしても、なかなか周囲に広まらなかったからな』
卵焼きを口に運びつつ、龍太も思念波でそう返す。
『しかし、気をつけないと、あっという間に正体がバレてしまうな』
『良いではないか。その時は我の力をたっぷりと見せつけてくれる』
『犬なのに?』
『…………』
テレビ画面いっぱいにドヤ顔の黒柴犬の顔がアップで映り、それを見た女の子たちが「キャーッ、可愛い」と言っている姿を想像する。
あまり威厳も恐怖も感じられなさそうだ。
食事を終えると、龍太が食器を片付け、ランドセルを背負って家から駆け出していった。
街中は、普段よりもパトカーの数が多いような気がした。
あと、家の近くにも規制線が張られ、KEEP OUTとプリントされた黄色いテープで囲まれた場所があった。
茂野家を襲撃に来た4人組が倒れていた場所だ。
鑑識の人たちが地面や家の壁などに張り付いて、一生懸命何かを探している。
それを横目に通り過ぎる。
まさか警察官たちも、ランドセルを背負った小学生が、深夜に武装した4人組を撃退したとは夢にも思わないだろう。
龍太は普段の通学路から外れて、小走りで住宅街を移動していった。
そして、一軒の立派な家の前で足を止める。
その家の表札には、漢字とローマ字で「室井」と書かれていた。
インターホンのボタンを押すと、返事が来る前にドアが開く。
「おはよう、美月」
そう、そこから出てきたのは室井・美月だった。
紫色のランドセルを背負った彼女が、少し恥ずかしそうに近づいてくる。
その後ろには、室井総合病院院長の父親と母親の姿も見えた。
「わざわざすまないな、茂野君」
「本当に助かるわ」
二人が龍太に礼を言う。
そう、事故後の精密検査の結果、異常がなかったため、今日から美月が登校するのだ。
そして、龍太が一緒に登校するために迎えに来たのだった。
ちなみに、二人の家は、ちょっと遠回りという程度では済まないほど離れていたが、龍太にとっては大した距離ではない。
そして、美月は、彼が治癒の魔術で助けたとはいえ、一時は死にかけたのだ。
しばらくは自動車を見ると体がすくんだり、最悪の場合、パニック状態に陥ったりする可能性すらある。
そうなった時に彼女を素早くサポートするため、しばらくは龍太が一緒に登下校すると申し出たのだった。
「では、行ってきます」
「く……気をつけてね」
思わず「車に」と言いかけて、母親が慌てて口をつぐむ。
「大丈夫です。俺がついていますから」
龍太がそう言うと、美月をエスコートするように歩き出した。
「さすが私の娘ね」
仲良く並んで歩いている二人の背中を見送りながら、母親がそう言った。
「良い相手を見つけたわ」
「おいおい、いくら何でも早すぎるんじゃないか?」
「何を言っているの。これはラッキーよ。龍太君は将来、絶対に女の子にモテまくるわ。その前に捕まえておけば」
「モテまくる男なんて駄目だろ」
「大丈夫。彼は真面目だから、一度相手を決めたら絶対に浮気なんかしない」
小学生相手に、一体何を確信しているのやら。
「フゥ、父親としては、娘は嫁にやらん、と言いたいところなんだが」
「美月は私に似て、男を見る目があるのよ」
「…………」
そう言われ、照れながら頭を掻く美月の父親だった。
【これで元通り】
小学校の校門の前で、神崎・あかりは二人を待っていた。
つまらなそうに足元を見つつ、つま先で小石を蹴っている。
そして、何かを感じて顔を上げると、その表情が一気に明るくなった。
遠くに龍太と美月の姿が見える。
その二人に力いっぱい手を振ると、龍太も彼女に気づき、手を振り返してくれた。
その横で、美月も遠慮がちに胸の前で手を振っている。
「龍太君、美月ちゃん!!」
「おはよう、あかり」
校門前で3人がそろった。
「美月ちゃん、体は大丈夫なの? 痛いところはない?」
「ええ、心配かけてごめんなさい。全然平気よ」
「よかったぁ~」
「それより、あかりの方こそ大丈夫なの?」
美月が心配しているのは、あかりの体調ではなく、彼女の家の方だ。
「う~ん、ずっとカメラを持った人たちがいて怖いから、今日から私とお母さんはホテルに泊まるの」
「そうなんだ」
「でも、お父さんが頑張ってるから」
今まさに、神崎・誠司は時の人になっていた。
他の市議会議員たちと違い、悪の市長に一人で立ち向かった英雄というわけだ。
「一番頑張ったのは龍太君なのにね」
「さあ、何のこと?」
と、龍太がとぼける。
彼は自分が異世界からの転生勇者だと二人に話したが、祖父江・金五郎と戦ったことは言っていない。
それでも何となく、あかりと美月はそのことに感づいているようだ。
普通に考えれば、小学生が警備員のいる市役所に乗り込んでいって、市長をやっつけることなどできるはずがないのだが。
どうやら二人の中では、それは予想などではなく、確定事項のようだった。
3人が教室に入ると、クラスメイトたちが少しざわついていた。
それは、事故に遭った美月が登校してきたからではなく、あかりの父親が一躍ヒーローになったからでもない。
クラスメイトの祖父江・卓斗が原因だった。
彼は登校していない。
彼の自宅は、あかりの家とは違った意味でマスコミに包囲されていた。
さらに言うと、警察官が24時間態勢で警備をしている。
3人は一度だけ卓斗の席を見ると、それぞれの席へと向かった。
チャイムが鳴ると、担任の教師が教室に入ってきた。
彼もクラスの雰囲気がいつもと違うことにすぐに気づく。
しかし、こういう時こそ教師は毅然とした態度を取らなければならない。
「最初に、皆に伝えることがある。祖父江・卓斗君が転校をした」
それを聞いた生徒のうち、半分は驚き、残りの半分は「ざまあみろ」と言いたげな表情になった。
1年生の時に比べれば、かなり収まっていたが、彼の高飛車な言動に反感を持っている者は今でも結構いたのだ。
「皆も知っているかもしれないけど、祖父江君の家は今、大変なことになっているから、皆にお別れを言うのも難しいんだ」
「祖父江君のお父さんが悪い市長だったんでしょ」
一人の生徒がそう言った。
「それを今、警察が調べているところだ」
この話はここまでだとばかりに、担任がきっぱりとそう言う。
「さあ、それじゃあ授業を始めるぞ」
彼がそう言うと、教室の空気が普段のものに変わった。
龍太は教科書とノートを広げつつ、誰も座っていない祖父江・卓斗の席に目を向けた。
こうなることは分かっていた。
だから、市役所に向かう前に、彼に別れを告げるために屋敷に行ったのだ。
「俺が言えた義理ではないが、すまない、卓斗。そして、頑張れよ」
誰にも聞こえない小さな声で、彼がそう呟いた。




