第32話 ダンジョンボス市長
【市役所へ】
市役所は10階建ての鉄筋コンクリート製の頑丈そうなビルだった。
地方都市の市役所の割に随分と立派だが、これに関して言えば、別に現市長の祖父江・金五郎が建てたわけではない。
15年ほど前、明治時代に建てられたレンガ造りの古い市庁舎を建て替えることになった時、どうせなら今はやりの耐震建築の立派な物にしようと言って、現在の物になったのだ。
当時は、外国の大手製薬会社メディファルナが市街地の真ん中に立派な研究施設を作り、随分と景気が良かったため、どこからも反対意見は出なかった。
もっとも、今はその研究施設は閉鎖され、負の遺産となっているが。
龍太とゼルは、その市役所の道路を挟んだ反対側にある5階建てのオフィスビルの屋上に立っていた。
「あの灯りがついているのが市長の部屋だろうな」
龍太がそう言って最上階の部屋を指さした。
他の部屋の灯りはほとんどが消えていたが、1階だけ明るい。
『10人ほど人間がいるな』
ゼルが龍太とは逆に階下を見下ろしつつ、思念でそう言う。
「警備室と警備員だろう」
龍太も視線を下ろした時、裏口から二人の屈強な男が外へ出てきた。
警備員の制服がはち切れそうなほど、内側から盛り上がっている。
もちろん、それは贅肉などではなく筋肉でだ。
『あの者達は只者ではないぞ』
「ああ、足の運びや視線が普通じゃない。おそらく元兵士か警察官だろう」
それは他の警備員たちも同じだった。
建物の外からは全員は見えないが、市庁舎内を巡回している者や、警備室で待機をしている者たちも皆、屈強な体型の男ばかりだ。
『どうする勇者、以前のように正面から乗り込むか?』
それは3歳の時に、クゥちゃんを救出するために大門組に殴り込みをかけた時のことを言っているのだろう。
「いや、市長が本当にここにいるとは限らない」
卓斗が嘘を言っているとは思わないが、確証はないのだ。
さらに言うと、ここの警備は祖父江家の屋敷より厳重だった。
祖父江・卓斗に会いに行った時は、姿を消す魔法を使い、難なく警備システムを無効化できたが、ここには赤外線センサーや音感センサーまで設置されている。
「まるで子供の頃に見た戦隊ものの悪の秘密基地みたいだ」
『お前は、今もまだ子供だろうが』
「まあ、そうなんだけどな」
そう言ってから再び視線を上げ、最上階の灯りがついている窓を見る。
「あの一番上の灯りがついている部屋に行ってみよう」
龍太がそう言うと、右手に聖包丁エルグレイザを召喚した。
それを握ると、身体に魔力をため、浮遊の魔法を発動する。
龍太とゼルの身体がフワリと浮き上がると、そのまま上昇していく。
最上階の市長室と思われる部屋の窓は、防犯ガラスで、ハンマーで殴っても割れないようになっている。
さらに言うとマジックミラーになっているため、外からは室内の様子は見えない。
「人の気配はする」
『では、まずはお行儀よく挨拶をしなければな』
龍太が右手を数回振ると、聖包丁エルグレイザが分厚い窓ガラスを切り裂き、ゼルが軽く蹴ると、龍太たちが余裕で潜れる穴が開いた。
音を立てないようにそこから室内に入ると、ある意味、想像通りの光景が広がっている。
立派な執務机と本革の椅子、壁には高価そうな絵画が飾られ、天井からはシャンデリアがぶら下がっている。
床の上に降り立つと、龍太とゼルは室内を見回した。
すると、部屋の中央にあるソファーの背もたれ越しに、二人の男女の後頭部が見える。
祖父江・金五郎が、若い女性秘書とイチャついていたのだ。
金五郎はネクタイを外し、ワイシャツの胸元が開き、膝の上に女性秘書を座らせていた。
「フフッ、市長って本当に強引なんだから」
「これも秘書の仕事だろうが」
などと囁き合っている。
「こいつら……」
龍太が冷めた目で見つめつつ、そう呟く。
『フン、やはり悪のボスはこうでなくてはな』
元魔王がそのようなことを思念で言って、龍太に睨まれた。
『何だ勇者よ、お前はこういうのは嫌いか?』
「ああ、思わずエルグレイザで真っ二つにしたくなるぐらいにな」
『勇者よ、あなたが望むなら、私を振り下ろして下さい。私に切れない物はございません。醜い権力者であろうが、駄犬になった魔王であろうが』
聖包丁エルグレイザも切る気満々のようだ。
その時、祖父江・金五郎が背後に人の気配を感じて振り返った。
そして、包丁を持った男子小学生と黒柴犬を見つけて驚く。
「な、な、なんだお前達は?!」
そう叫びつつ立ち上がると、彼の膝の上から女性秘書が転げ落ちた。
「勇者パーティーだ」
龍太が不敵な笑みを浮かべつつ、そう言う。
【勇者殴り込み】
「キャー!!」
祖父江・金五郎とイチャついていた女性秘書が悲鳴を上げると立ち上がり、ドアに向かって走り出した。
しかし、その前に小さな黒い影が立ちはだかる。
『まだ、助けを呼ばれるわけにはいかんのでな』
思念波でそう言うが、もちろん龍太以外には聞こえない。
ウ~ッ、と牙を剥いて唸る黒柴犬に睨まれて、女性秘書が後ずさって市長の側に戻る。
それを見て、龍太は市長に向き直った。
「お、お前は、茂野・龍太……本当に子供だったのだな」
これまで写真や動画では、何度も彼の姿を見ていたが、直接会うのはこれが初めてだ。
市長が低い口調でそう言い、腕を組んで胸を張った時……。
ストンとズボンが足元にズレ落ちた。
「……」
「とりあえず、服装を何とかしろ」
金という文字がびっしりとプリントされたトランクスを指さしつつ、龍太がそう言う。
「くっ……ちょっと待ってろ」
祖父江・金五郎がそう言うと、目で女性秘書を呼ぶ。
「ネクタイを直してくれ」
「はい、分かりました」
市長のズボンからベルトを抜いたのも、ネクタイをほどいたのも彼女だ。
とりあえず市長がズボンを上げるとベルトを締め、女性秘書はソファーの背もたれにかかっていたネクタイを手に取ると、彼に締めようとした。
震える手で彼の首に巻いたネクタイを調整するが、締めすぎたらしく、
「く、苦しいぞ!」
「すいません」
「あと、何だか曲がっていないか?」
「私、人にネクタイを結んだ経験がなくて、あっ、そうだ。後ろからやった方が良いかも」
そう言うと、女性秘書が祖父江・金五郎の背後に回って、抱きつくようにして再チャレンジをする。
「おいおい、そんなに胸を押しつけるなよ」
「えっ? もう、市長ったら、エッチ」
「わしの暴れん坊が言うこと聞かん坊になるぞ、ワッハッハッハッ」
二人の大人が、小学生と黒柴犬の前で時と場所をわきまえずにイチャイチャとし始める。
『おいナマクラ、出番だぞ。その男の暴れん坊を一刀のもとに切り捨てろ』
ゼルが思念波でそう言う。
『冗談ではない。貴様ならいつでも真っ二つにしてやるがな』
聖包丁エルグレイザがそう言い返す。
そして、龍太もいい加減、堪忍袋の緒が切れたらしく、その聖包丁をブンッと横に一閃した。
すると、直接刃が届いていないのに、高価そうだが品がない市長のネクタイが切断され、ポトッと落ちる。
「いい加減にしろ」
「キャーッ!!」
危うくネクタイごと手を切られそうになった女性秘書が、悲鳴を上げつつ手を押さえて祖父江・金五郎から離れる。
もちろん、龍太はそのようなミスは犯さないが。
「まったく、最近の子供はキレやすくていかんな」
冷や汗を垂らしつつ、市長がそう言う。
「今のは、大人でもお年寄りでもキレて当然だ」
聖包丁の切っ先を相手の顔に向けつつ、龍太がそう答える。
「フンッ」
鼻を鳴らすと、市長が龍太に向き直った。
「では、仕切り直しだ。祖父江・金五郎」
「なんだ? まるで勇者気取りだな、子供の分際で」
普通の小学生が10階にある市長室に窓ガラスを切り取って潜入などできるはずがないのだが、彼にはまだ余裕があった。
【死人に口なし】
「貴様がやったことは全てお見通しだ……などと言うつもりはない」
龍太が静かにそう言う。
「……しかし、その一部だけでも、俺を怒らせるには十分だ」
それを聞いて祖父江・金五郎が目を細め、口元に小さく笑みを浮かべる。
「神崎の娘を事故に見せかけて消そうとしたことか? それとも、お前の家族を襲おうとしたことか?」
「両方、自分の指示だと認めるわけだな?」
「無論だ」
市長が龍太の神経を逆なでするように口の端を吊り上げ、悪びれもせずにそう言う。
「邪魔者は消す、余計なことを言う奴も消す、わしの邪魔をする奴は全て消す、死人に口なし……実に良い言葉だ」
彼がそう言った時、ゼルの背後にあったドアが勢いよく開いた。
飛びのくゼル。そして、そこから屈強な警備員たちが一斉に雪崩れ込んでくる。
「市長室の窓にも振動センサーが仕込まれていてね。割れたりヒビが入ったりすると、警備室の警報が鳴るようになっていたんだよ」
形勢が逆転したと確信した祖父江・金五郎が、悪の親玉らしくニヤニヤと笑いつつそう言う。
「さっきの痴態も、時間稼ぎだったわけだな」
「その通りだ、茂野・龍太」
そう言うと、彼が右手の指を鳴らした。
それを合図にして、警備員たちが龍太を取り囲む。
「あまり大人を舐めないことだ。殺さなければ何をしても良い。その餓鬼には色々と聞きたいことがあるからな」
市長は、龍太の背後には何か強力な後ろ盾となる組織がついていると勘違いをしている。
その情報を引き出すのと同時に、いざという時には龍太を人質にするつもりなのだ。
警備員たちは皆、警棒を手に持っていたが、驚いたことに、そのうちの数名は拳銃を取り出していた。
この時点で、どう考えても真っ当な警備員などではないことが分かる。
警備員は都道府県公安委員会に申請することによって警棒などの携行を許可されるのだが、どのような理由があっても拳銃の所持許可など下りるわけがないのだ。
「やれ」
「はっ!!」
知らない人間が見たら、大の大人たちが、小学生と柴犬に襲い掛かっているようにしか見えない。
ウオオオオオッ!! という雄叫びを上げ、警棒を構えた警備員たちが一斉に龍太に襲い掛かり、拳銃を持った者は念のためにバックアップをする。
バキッ、ボスッという鈍い音に背を向けると、祖父江・金五郎は市長室の壁にかかっている『我が道こそ王道』と太い筆で書かれた額縁を外して、足元に置く。
そこには埋め込み式の金庫が隠されていた。
その鍵穴にポケットから取り出した鍵を差し、さらにプッシュ式のテンキーで暗証番号を打ち込むと、ガチャッとロックが外れる音がする。
そして金庫の扉を開けると、そこから古びた縦長の木箱を取り出した。
「フフフ、これさえあれば、わしは無敵だ」
その時、彼の背後から声が聞こえてくる。
「それが貴様の切り札か?」
「なっ?!」
驚いて振り返ると、先ほどまで暑苦しいほど部屋を埋め尽くしていた警備員たちが、全員床の上にだらしない格好で倒れていた。
今、立っているのは茂野・龍太と黒柴犬のゼルだけだ。
ちなみに、彼らが持っていた拳銃や警棒は聖包丁によって切断されていたが、本人たちは全員失神しているだけで、誰も外傷は見当たらない。
あと、女性秘書は部屋の隅で腰を抜かして座り込み、ガタガタと震えている。
「お、お前が倒したというのか? 全員を?!」
「他に誰かいるか?」
そう言いつつ、龍太がゆっくりと市長に歩み寄る。
さすがの彼も怯えて、額から冷や汗が吹き出した。
「大門が怯えていたのは、お前の背後にいる何者かではなく、お前そのものだったというわけか?」
「大門? ああ、寛太の父親か……おそらくその通りだ」
「さあ、決着をつける時間だ」
そう言うと、龍太が聖包丁を構え直した。




