第3話 砂場の戦い
【砂場の決戦】
彼女はどこか大人びた雰囲気をもつ幼児だった。
同じクラスに、茂野・龍太という規格外な園児がいるため目立たないが、彼女も相当の変わり者である。
実は彼女は、龍太が予防接種でお世話になった室井総合病院の院長の娘だった。
それこそ物心つく前から習い事をしており、今でもバレエにピアノに英会話と、習い事づくめの日々を送っている。
そのような彼女にしてみれば、無邪気に遊び回っている園児たちのほとんどは、猿にしか見えなかった。
当然だが、クラスメイトたちに溶け込めるはずもない。
この日、龍太たちのクラスは、幼稚園から歩いて通えるところにある公園まで遊びに来ていた。
歩道を友達と手を繋ぎ、前後左右を先生たちにガードされながら、ワイワイと賑やかに歩いて行く。
龍太はこういう時は、いつも大門・寛太とペアを組まされる。
この野生児のような幼児は、他の園児とペアを組ませても、大人しく手をつないで歩いてくれないのだ。
そのため、教諭が一人、もしくは二人がかりで付きっきりになるが、龍太がいると、彼一人で手綱を引いてくれる。
「あっ、おっきな犬だ!!」
公園の近くの家の前を通りかかった時、その寛太がいきなりそう叫んで走り出そうとした。
「こらこら、ドウドウ」
すぐに龍太が手を引き戻す。
そして、目を向けると、一軒の古い民家の庭に、警察犬として有名なジャーマンシェパードが飼われていた。
ただ、庭は雑草が生え放題、犬小屋はあるがボロボロと、あまり快適とは言えない飼育環境だ。
魔獣……というほどではないが、かなり飢えているな。
さらに、家の前で騒いでいる寛太に反応し、いきなりシェパードが吠え始める。
「キャー!!」
と怯える園児たち。
「大丈夫よ、皆、ワンワンにバイバイしようね」
教諭が、パニックになりかける園児たちを上手にコントロールして、公園へと急がせる。
公園に着くと、そこにはブランコや滑り台のような遊具と、大きな砂場があった。
「はい、お砂遊びをしたい子は、これを使ってね」
教諭がそう言って、幼稚園から持って来た砂遊びセットを置いた。
プラスチックのバケツの蓋を開けると、そこにはスコップやクマデが入っている。
「ねえねえ、美月ちゃんもこっちで一緒に遊ぼうよ」
砂場に一番乗りした可愛らしい女の子が、ベンチによじ登ろうとしている美月に向けてそう言った。
「わ、私は、遠慮しておくわ」
どうやっても自分の体重を引き上げることができず、ベンチに登ることを諦めた美月が、芝生に腰を下ろしつつそう答える。
「ええ~っ、何で? 一緒に遊んだら楽しいよ」
他の子たちは、愛想がなく付き合いが悪い美月を遊びに誘うどころか、話しかけることすらしない。
この元気な女の子の名前は神崎・あかりといい、ある意味、美月とは正反対の元気で明るい子だった。
龍太は、寛太がブランコで遊び始めたので、やっと周囲を見回す余裕ができた。
「フゥ、まさに大遠征だな。魔王軍を討伐した時のことを思い出す」
しかし、その時。
「キャーッ!!」
一人の園児が悲鳴を上げた。
転んで怪我をした時とは全く違う、恐怖に怯えた声。
公園で遊んでいた園児たちはもちろん、教諭たちも一斉に悲鳴を上げた園児の方に目を向ける。
そして全員が例外なく震え上がった。
公園の近所の民家にいた獰猛なジャーマンシェパードが、公園の入口にいたのだ。
リードはついておらず、飼い主の姿も見えない。
つまり、完全フリー状態だ。
「皆、こっちに来て!!」
さすがは教諭たちだ。
急いで子供たちを集めて、自分たちが壁になる。
「皆、先生の後ろに!! 早く、大人しくしてね!! 大丈夫だからね!!」
「うわぁあああん、怖いよぉおお!!」
「食べられるぅううう!!」
この時、一番遠くにいたのは、一人だけ芝生に座っていた室井・美月だった。
さすがのクール幼児の彼女も慌てて皆のところに避難しようとするが、その途中にある砂場で足を取られて転んでしまう。
「美月ちゃん!!」
教諭と園児たちが一斉にそう叫ぶ。
そして、それを合図にするかのように、猛犬が公園内に駆け込んで来た。
ジャーマンシェパードはドイツ原産の大型犬で、警察や軍隊、さらに救助犬や盲導犬として多方面で活躍する、とても賢く人間に忠実な犬種である。
ただし、それはきちんと飼育と調教を受けた場合に限る。
そして、この時のシェパードは、ほぼ躾をされておらず、面倒もろくに見てもらっていない。
つまり、ほぼ野犬、いや、下手に人間に慣れている分、野犬より危険な状態だった。
公園の入口から、一直線に美月に向かってくる。
美月は、転んだ時にどこか痛めたのか、それとも怖くて身動きが取れないのか、砂場で尻もちをついたまま動けない。
「た、助けて……」
辛うじて口から出た言葉は、それだけだった。
そんな彼女に猛犬が大きな口を開けて襲い掛かろうとする。
「任せて」
その時、そう言って猛犬の前に一人の園児が立ちはだかった。
美月に背中を向けたまま、右手に砂場に転がっていたスコップを、左手にバケツの蓋を握っている。
首が一つしかないケルベロスみたいなものか……。
そう考えつつ、チラッと振り返ると、普段はツンと澄ました顔をしている美月が涙を流して怯えていた。
「大丈夫」
そんな彼女に優しく微笑みかける。
そして、右手のスコップに攻撃力上昇、左手のバケツの蓋には防御力上昇の呪文をかける。
構造強化、グラヴィ・アームの魔法だ。
さらに自分自身の身体に、身体強化の呪文をかけた。
魔力が静かに全身の筋肉に流れ込む。
身体をほとんど自由に動かせない赤ん坊の頃から鍛えた魔力が、この時、この世界で初めて発動する。
「ガウッ!! ガウッ!!」
「茂野君、いくら君でも無理よ、逃げて!!」
教諭が叫ぶ声が聞こえる。
そしてついに、ジャーマンシェパードが龍太目がけて飛び掛かって来た。
フンッ!!
気合一閃、龍太が盾(バケツの蓋)で猛犬の牙を受け止め、それと同時に、右手の剣を真横に振る。
ガツンッ!!
物凄い音がし、スコップが猛犬の鼻先を殴り飛ばす。
龍太よりはるかに重い体重の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ギャン!!」
と短く悲鳴を上げ、その体が砂場の中を転がった。
「……」
それは本当に一瞬の出来事だった。
しかし、その場にいる誰も予想できない結果に、全員が絶句する。
龍太は、戦闘中に決して油断などはしない。
素早く盾(蓋)と剣を構えると、砂まみれになった猛犬に身体の正面を向ける。
「さあ、どうした? まさかこれで終わりじゃないだろうな?」
龍太がそう言うと、ゆっくりと猛犬が起き上がる。
そして、その場でポテンと横になると、腹を見せる服従の姿勢をとった。
しんと静まり返る公園内。
「犬が……」
「龍太君が、やっつけた?」
「ええっ、いま、何が起こったの?」
園児も教諭たちも目を丸くして立ち尽くしている。
そんな中、龍太はスコップと蓋を足元に置くと、美月の方に向き直った。
そして片膝をつき、優しく微笑む。
「怪我はない?」
ポカンと彼の顔を見つめ返す美月。
「う、うん、大丈夫……あ、ありがとう」
普段と違い、子供らしい声で彼女がそう礼を言った。
「もう安心して」
そう言うと、龍太が美月の手を取って立たせる。
その時、公園の入口の方からジャーマンシェパードの飼い主が、血相を変えて駆け寄って来た。
「み、皆さん、大丈夫ですか?!」
そう言うと、砂場でひっくり返っている愛犬の首輪にリードを繋げる。
教諭たちがそんな飼い主に詰め寄り、猛然と苦情を言う。
この時、美月は運命を感じた。
ちょっとそれは早すぎるかもしれないが、感じてしまったものは仕方がない。
「勇者だわ」
偶然ではあったが、彼女がこの世界で初めて勇者ライナスの正体に気付いた人間だった。
「ねえ、これ」
平謝りする飼い主がジャーマンシェパードを連れて帰ると、教諭たちは幼稚園へ帰る準備を始めた。
そして、砂場に落ちていたプラスチック製の蓋とスコップを手に取った。
ベテランの女性教諭が、それを手に取って驚いている。
「どうしたんですか?」
「こんな軽い安物で。龍太君、どうやってあの大きな犬を止めたのかしら?」
普通に考えれば、彼の身体の方が吹き飛ばされていたはずだ。
「何か、武術でも習っていたんですかね?」
「分からないけど、こんな物でどうやってあの大きな犬を吹き飛ばしたのか分からないわ」
その時、龍太は――。
まあ、巨大なドラゴンや、一つ目の巨人に比べれば、あの程度の猛犬など可愛いものだ。
と、考えていた。
ちなみに、この世界にはそのどちらもいない。
とりあえず、平和に見えるこの世界にも危険なモンスター(動物)が存在することは分かった。
ふと、周囲を見回すと、いつも偉そうな大門・寛太が龍太の方を見て、瞳を輝かせている。
おそらく、すげぇ~!! かっこいぃ~!! などと考えているのだろう。
さらに、
「ねえねえ、茂野君」
クラスの人気者、神崎・あかりが近付いて来た。
「なに?」
「凄いね、格好良かったよ」
「あの程度、大したことじゃない」
「そんなことないよ。今度どこかの山に熊をやっつけに行こうよ」
「それは……多分、父さんや母さんが許可してくれないだろうな」
そう言うと、龍太が苦笑いを浮かべたのだった。




