第2話 幼稚園児の勇者
【赤子の試練】
ある晴れた日の午前、龍太は母親の腕に抱かれ、お出かけをした。
これまでも、何度も買い物の時にベビーカーに乗せられて家を出たことがあったので、外出自体には慣れている。
「さあ、龍太ちゃん、今日は予防接種に行くよ」
母親が笑顔でそう言うが、予防接種? なんですか、それは母上? と、龍太には意味が通じなかった。
初めて外に出た時、龍太はこの世界の文明レベルの高さに驚いた。
自分で立つことができていたら、本当に腰を抜かしていたかもしれないが、なにせまだ、つかまり立ちすらできない。
馬が曳いていないのに走り回る鉄の車、魔王城の黒の塔よりも高いビル、極めつけは、ドラゴンより速く、高く飛ぶ飛行機という名の乗り物。
初めて外に出た時、本当の意味で吐くほど驚かされたものだ。
あの時は母上に申し訳ないことをした、と深く反省している。
それはそうだろう。赤ちゃんを抱っこして外に出たら、目を見開いて驚愕し、ガクガクと震えながら嘔吐したのだから、血相を変えて驚き、そのまま病院に連れて行かれた。
この日、龍太が連れて行かれたのは、その時の病院だった。
バスに乗り、のんびりと風景を眺めていると、大きな総合病院へと到着する。
ん? ここは以前、連れてこられた医療施設だな。
この世界では、治癒魔法を使う神官はいないらしく、その代わりに医療が発達していた。さらに言うと、平民でも容易に高度な治療を受けられるらしく、あまり病人に見えない、一見すると元気そうな老人たちが大勢やって来ている。
龍太の母親は受付で来院目的を告げると、小児科へと向かった。
その待合室には、彼と同じ乳幼児が、母親や父親に連れられて来ている。
何だか嫌な気配を感じるな……。
龍太の頬を冷や汗が伝う。
というのも、待合室の先にある診察室から、赤ん坊の泣き声が聞こえてくるからだ。
「今日は、予防接種の日だから、混んでるねぇ~」
母親が空いている椅子に腰を下ろしつつ、そう言う。
すると、ちょうどその時、母親に抱かれた赤ん坊が診察室から出てきた。
まさに火がついたように顔を真っ赤にした、ギャン泣きだ。
ウギャアアアアア!! ホギャアアアアア!!
こ、これはただ事ではないぞ。泣き叫んでいるではないか?
確かにその赤ん坊は、見るからに恐怖と苦痛を味わった直後といった様子で、母親に必死にしがみついている。
さらに続いて診察室に入って行った別の赤ん坊も、数分後には絶叫状態で出てくる。
母親に抱かれて、ご機嫌だった赤ん坊が、一瞬でそのような状態になるということは、あの扉の向こうで、拷問でも受けているのか?
まさか、相手は赤ちゃんだぞ?
しかし、ここは異世界。俺の常識は、ここでは通用しない。
それとも、何か儀式が行われているのか?
その時。
「茂野・龍太くぅ~ん、どうぞ~」
全身白ずくめの清潔そうな服装の女性が、とても赤ん坊を拷問しているとは思えない笑顔で、そう言った。
「はぁ~い」
まだアウアウとしかしゃべれない龍太に代わって、母親が返事をして立ち上がった。
「あら~、どうしたのかな? 難しい顔して」
看護師が龍太の顔を見て、笑顔でそう言った。
それは、難しい顔などではなく、警戒をしていたのだが。
ついに来たか。
いいだろう、拷問だろうが儀式だろうが、何でも受けて立とう。
まさか、自分の子供がそのような決死の覚悟を決めているなどとは露知らず、母親が医師の前で椅子に腰を下ろす。
「今日は5種混合の注射ですね」
「はい、お願いします」
なんだ、その「ごしゅこんごう」とは?
いいだろう、正々堂々と受けて立ってやる。
俺は勇者だ。
たとえこの身が赤子であろうと、その、ごしゅなんとかの試練に打ち勝ってみせる。
そんな彼に、医師が優しく微笑みつつ、透明な細い筒のようなものを持って近付いてくる。
「ちょっとチクッとするからねぇ~、がんばれぇ~」
直後に右肩に針を刺されたような痛みが走った。
まあ、本当に針を刺されていたのだが。
異世界では、腕を切り落とされたり、足を食い千切られたりしたことがあったが、それに比べれば、当たり前だが全然大したことはない。
もっとも、痛みに耐性がない体のため、痛いことに違いはなかったが、それでも泣き叫ぶほどではなかった。
そんな彼を見て、医師や看護師が、
「わあ、泣かなかった。偉いねぇ~」
「凄い男の子だ」
と、笑顔で褒めてくれる。
フンッ、この程度、どうということはない。
ドヤ顔になる龍太。
どうやら拷問ではなく、試練のようだな。
どちらにせよ、俺の敵ではなかったが。
だが、この時、龍太は知らなかった。
この予防接種は、まだ3回もあるということを。
子供が病院嫌いになるのは、赤ん坊の時のこれらの経験が、深層心理に刷り込まれるからかもしれない。
診察室のドアを抜けて待合室に出ると、龍太は、そこで順番待ちをしている赤ん坊たちを見回した。
皆、安心しろ。この程度の試練、全然大したことはない。
気を強く持て。そして、勇気を持って立ち向かえ!!
そう言ったつもりだったが、現実には、
「アゥ、アア、バ~ウ」
としか聞こえなかった。
「どうしたの、龍太? いきなり大きな声を出して」
母親が、クスクスと笑いながらそう言った。
【眠れぬ戦場】
茂野・龍太は3歳になり、幼稚園に通っていた。
見た目は幼児、中身は大人の勇者である彼は、当然だが、周囲から浮きまくっている。
「一体、何者なの、あの子?」
「この間、私、あの子に『おはよぉ~、今日も頑張りまちょ~ねぇ~』って挨拶したら、フッて鼻で笑われて、『おはようございます、先生。今日も元気そうで何よりです』って挨拶を返されたの……。もう死にたかった」
「分かる、分かるわ。私も子供たちの本棚に、間違って自分が読んでるウォルト・ホイットマンの『草の葉』の詩集を入れていたことがあるんだけど、他の子たちが見向きもしない中、龍太君はそれを真面目な顔で読んで、『先生、これはとても興味深い本ですね』なんて言ってきたのよ」
「絶対、あの子の中身は大人よ。それもイケメンの」
「いや、外見はそのままでしょ」
というように、皆から一目置かれている。
当たり前だが、妙に聞き分けが良く、それどころか気が利くため、率先して動いて羊の群れのような園児たちを牧羊犬のごとく上手くコントロールしていく。
さらに、大人顔負けの運動神経と学力も身に付けており、先日などは、園児たちに対して、先生たちより上手に絵本の読み聞かせをしていたほどで、それを偶然目撃した新人教諭が、思わずメモを取っていた。
もっとも、本人にとっては、ここは修練の場で、全ては自分の身体の成長が精神に追いついた時のための、修行でしかない。
そう、龍太は焦っていた。
一日も早くこの肉体を育て、魔王討伐に備えなければならない、と本気で考えていたのだ。
入園して1週間が過ぎた頃、それまで緊張して大人しかった園児たちの本性が、次第に現れだした。
それは、とある温かい春の日の午後のこと。
「やーだ!! 寝ない!! 全然眠くない!!」
お昼寝の時間だというのに、一人の男の園児が大声でそう叫びつつ、暴れている。
「寛太君、さあ、お布団に入って。先生がお話をしてあげるから」
若い女性の教諭がそう言うが、
「うるさいババァ!! バカ!! ブス!!」
と、怒鳴って逃げ回る。
他の先生たちも一緒になって捕まえて宥めるが、全く言うことを聞かない。
「本当に、あの子だけは……」
「大門・寛太君でしょ。気を付けないと、思いっきり足を蹴られるわよ」
ベテランの教諭が捕まえて羽交い締めにしているが、全然大人しくならない。
「ほら、大人しくして」
「ギャー!! 離せ、離せよ!!」
手足を振り回して暴れるため、他の子供たちを近づけることができない。
その様子を見て、他の園児たちも怯えている。
「本当に、毎日毎日、いい加減にして欲しいわ」
「寛太君だけ、別の部屋に連れて行きましょう。このままだと、ほかの子たちが眠れないわ」
途方に暮れてそう言う先生たち。
龍太は、じっとその様子を眺めていた。
先生たちは困っているが、強く叱ることができない。対応を少しでも間違うと、親が怒鳴り込んでくるからだ。
「あなた、いい加減にしなさいよ」
そんな寛太を、一人の女の園児が叱りつけた。
驚いて目を向けると、長い黒髪の園児が、腕を組んで寛太の前に立ちはだかっている。
彼女の名前は室井・美月と言い、今暴れている大門・寛太や龍太とは、また違った意味で目立つ子供だった。
「なんだ、お前? やるのか?!」
「やらないわ」
「なんだ、弱虫、バカ!! ブス!!」
「同じことしか言えないの?」
呆れる美月。
「うるさい!!」
そう怒鳴ると、寛太が美月を突き飛ばそうとした。
その時、彼女の身体が後ろから引かれて、寛太の手が空振りをする。
キャッ! と小さく悲鳴を上げた美月の身体を、龍太が抱き止める。
「女の子に暴力を振るうのは、さすがに駄目だろ」
彼女を後ろに引いたのは、龍太だったのだ。
「何だ、お前?!」
「俺は、茂野・龍太。君と同じ、ここの園児だ」
「うるせぇ、バカ!! アホ!!」
そう言って寛太が龍太に掴みかかろうとすると、彼は美月の身体をそっと、側にいた教諭の方へ押して渡した。
そして、次に寛太の腕を捕まえると、そのまま敷かれていた昼寝用の布団の上に、ポスッと転がした。
流れるようなその動作に、皆が驚く。
さて、最近使えるようになった魔法を試してみるか。
体の成長に合わせて、異世界で勇者だった時の魔法や技の一部が使えるようになってきている。
龍太は、そのうちの一つを使うつもりのようだ。
布団の上で、さらに暴れようとする寛太の額に右手を当てると、
《眠れ(スリープ)》
と唱える。
風も音もない。ただ、一瞬、周囲の空気がふわりと変わった。
すると、一瞬にして大門・寛太が安らかな寝息を立て始めた。
彼が魔法を使ったことなど、誰にも分からない。
大人たちには、寛太がいきなり目を閉じたかと思うと、そのまま熟睡したようにしか見えなかった。
「えっ?」
教諭たちが全員ポカンと口を開け、園児たちも呆気にとられている。
「寝たの? 寛太君が?」
「嘘でしょ?」
「龍太君、一体何をしたの?」
先生たちが、スピースピーと熟睡している寛太に近付いて、本当に寝ていることを確認した。
「俺は、何もしていませんよ。彼も疲れていたのではありませんか?」
そんな教諭たちに、龍太がそうとぼけてみせた。
「で、でも、あれ~?」
もしかして寛太が頭でもぶつけて失神したのかと思ったが、痣や瘤はない。
「さあ、先生、安眠の時間ですよ」
「そ、そうね。ありがとう、茂野君」
この日から、大門・寛太が何か問題を起こすと、龍太がフォローするようになったのだった。
夕方、保護者が子供たちを迎えにやって来た。
車、自転車、徒歩。移動手段はバラバラだが、園児たちが迎えに来てくれた人に駆け寄って抱き着くと、そのまま先生に挨拶をして帰っていく。
「あっ、母さん」
他の園児たちと一緒にブロックで遊んでいた龍太が、母親を見つけて駆け寄って行った。
「龍太ぁ~、今日もお利口さんにしてたかなぁ~?」
「はい、もちろんです」
龍太がそう答えると、その後ろで教諭たちがウンウンと頷いている。
「あの、茂野さん。龍太君は、冗談抜きで凄い子です」
「そ、そうですか?」
「どうか、卒園せずに、いつまでもこの幼稚園に通ってください」
「い、いえ、それはさすがに」
「そうですか。では、もう一人、龍太君のようなお子さんを産んでください」
「ええ~っ、一体うちの子は何をしたんですか?!」
「友達と一緒に昼寝をしただけです」
「まさに神です!!」
「ええ~っ……」




