第23話 大人しくなった龍太
【夜の囁き】
夕食と入浴を終えると、良い子は寝る時間だ。
小学生になったため、龍太は自分の部屋をあてがわれ、そこにはベッドと学習デスクが置かれていた。
そのベッドで龍太が横になり、目を閉じている。気温と湿度がかなり高いため、かなり寝苦しいはずなのだが、彼は汗一つかいていない。
体内の魔力を操作することによって、ある程度体温をコントロールできるようになっているのだ。
年齢を追うごとに魔力が増している。
もともと、それをコントロールする能力は身に着けたまま転生しているため、日々精神鍛錬をして魔力増幅に専念できるのはありがたかった。
元の世界では、魔力が強くなっても、それをコントロールできなければ精神や肉体に変調を及ぼしたり、最悪の場合、命を落としたり、体が魔獣化したりした。
もし今の龍太の年齢で、強力な魔力など身に着けようものなら、精神の成長に身体が追い付かず、発狂していただろう。
このまま魔力が成長し続ければ、数年のうちに勇者時代に使えた高度な魔術も使えるようになる。
それは、敵を爆炎で攻撃したり、瀕死の人間をあっという間に治癒したり、湖を一瞬で凍らせたり。
この世界では、あまり使えないようなものばかりだ。
特に気を付けなければならないのは、治癒系の魔術だ。
使う場所とタイミングを間違うと、大騒ぎになること間違いなしだ。
『おい、勇者よ』
ゼルが思念波でそう呼びかけてくると、龍太が目を開いた。
天井を見上げつつ周囲の気配を探る。彼の両親はリビングで仲良くテレビを観ている。
そして視線を自分の足元の方に向けると――。
そこには黒柴犬のゼルが丸くなって寝ている。
思念通話をしてきたのは、その元魔王ゼルザ・ネクロヴァルだった。
『気付いているのであろう、あの女の担任がお前を監視していることを』
その頭の中に直接聞こえてくる声に、龍太が目を細める。
『もちろんだ。敵意を感じないところを見ると、誰かに命令されたのかもしれないな』
『勇者だと気付かれたか?』
『それはないだろう。しかし……』
そう思念で言ってから、
『少し派手に動きすぎたかもしれないな』
これでもかなりセーブしているつもりなのだが、担任の川井・良子の前では、少しやり過ぎた。
だからと言って、不良に襲われたり、ボールが顔面に直撃しそうになっているのを放置などできるはずがないのだが。
『どうするつもりだ? 我は元の姿であれば人の心を操ることができたが、この身体では無理だぞ』
魔王時代には、その能力のせいで、人間側は何度も混乱し、疑心暗鬼にかられて大変な目にあった。
『川井先生は、生徒想いの善良な人間だ。俺を陥れるようなことはしないだろう。逆に、俺のせいで何かに巻き込まれたのであれば、申し訳ないと思う』
『フンッ、相変わらずの偽善っぷりだな』
『当たり前だ。俺は勇者だぞ』
そう思念で呟いてから、龍太が腕を組む。
『おそらく何者かに命ぜられたのだ。問題は、その黒幕が誰かだな』
『考えられるのは、遠足の時に貴様が追い払った不良どもか?』
『それはない……どちらかというと、祖父江・卓斗の方が怪しいな』
『最近は大人しくなっているようだが』
『大人しくなる前は、かなり俺に敵意を向けていたからな。父親が権力者なら、なおさらだ。しかし、小学生の子供相手に少々大人げないな』
『貴様がヤクザの事務所を襲撃などしたからだ』
『お前も一緒だっただろうが』
そう思念で言うと、一人と一匹が小さな声で笑う。
『何にせよ、誰かに警戒されていることは間違いない。それは、学校の教師を手駒として使えるような人物だ』
『学校内にも、他にお前を警戒している者がいるということだな』
『異世界では、勇者が活躍し目立つことによって民衆を鼓舞した。しかし、この世界では目立つと異物扱いされる』
そして少し考え込む。
『少し大人しくするしかないな』
『勇者らしくないな』
『俺だけなら別に気にしないが、今は家族や学校の友人たちがいる。俺の情報を得るために、親しい人たちが巻き添えになることだけは避けたい』
『面倒なことだ』
『俺は勇者だが、今はただの子供だ』
ゼルがムクッと起き上がると、微かに光る眼で龍太の顔を見た。
『分かった。だが、いざという時は我は勝手に動くぞ』
『随分と優しくなったな、魔王よ』
『勇者に優しくなったなどと言われるとは、それは我にとって最大の侮辱だぞ』
『では言い直そう。面白い奴になったな』
『それは、何とも複雑だ……』
こうして、茂野・龍太は翌日から、活躍するのを止めたのだった。
【理不尽の渦】
茂野・龍太は小学3年生になっていた。
1年生の時に担任だった川井・良子による監視も、半年ほど過ぎた頃には緩みだし、さらに言うと、今年からは違う男性教師が担任になっている。
新学期になり、新しいクラスメイトたちとも打ち解け、新たな人間関係が形成され始めた頃、突然、教室にヒステリックに叫ぶ女子の声が響き渡った。
声の主は佐伯・カナという女子生徒で、瞳は腫れ、怒りで眉が吊り上がっている。
「人殺し!! あんたの父親の病院は人殺し病院よ!!」
彼女にそう叫ばれているのは、室井・美月だ。
美月は自分の席で文庫本を読んでいたが、その手元から本が叩き落とされる。
佐伯・カナの声とその行動にクラスメイトたちが全員驚いて動きを止め、そして二人に注目する。
美月は怒ったりせず、床の上に落ちた文庫本を拾い上げると机の中にしまう。
そして立ち上がると、佐伯・カナの正面に立ち、頭を下げた。
「おばあ様のご逝去、お悔やみ申し上げます。父たちは最善を尽くしたはずです。しかし、それでも力が及ばなかったことは、本当に残念です」
大人びた態度と口調でそう言う。しかし、よく考えたら美月は幼稚園児の頃からこんな感じだった。
長いストレートの黒髪がサラサラと流れ、耳にかかったそれを指でかき上げる。
彼女の父親は、この街で一番大きな総合病院の院長である。
「嘘よ、本当は医療ミスしたんでしょ!! きっと見殺しにしたんだ、そうに決まっている!!」
佐伯・カナの祖母は先日、美月の父親の病院で亡くなっていた。
死因は肺炎だが、それ以前に家で転倒し、骨盤を骨折して入院をしていたらしい。
もともと高齢で、さらに合併症も患い、実際はほぼ寿命だった。
しかし、ただ転んだだけなのに、そのまま退院することなく、みるみるうちに症状が悪化し、大好きだった祖母を失った佐伯・カナには理解も納得もできない。
そして、ニュースなどで時々取り上げられる医療ミスに違いないという結論に至ったのだった。
さらに言うと、自分と同じクラスにその病院の院長の娘がいるのだから、黙っていられるわけがない。
「本当なの、ナカちゃん?」
「私もあの病院に何回か行ったことがあるけど、怖っ!!」
「殺人病院だったの?!」
彼女の友達が集まってきて、口々にそう言い出す。
しかし、美月はそれに対して何も言い返さなかった。
当然だが、彼女は病院の業務に一切関わっていない。それでも大きな総合病院である以上、救えない命があることは理解している。
末期がんで、交通事故で、現在の最先端医療でも救えない命はある。
何よりも、どれほど金持ちでも強健な人間でも、寿命には抗えない。
美月の父親は院長であると同時に優秀な外科医でもあるため、今でもメスを手に取り、手術をすることがあった。
かなりの名医らしく、遠くの街や、それこそ外国から彼に執刀してほしいと言って患者が来ることもある。
娘としては誇らしい限りだが、そんな彼にも救えない命はあった。
普段は優しく穏やかな性格の父親が、とても疲れた表情で家に帰ってきて書斎にこもることが時々ある。
そういう時、母親は美月を優しく抱きしめながら、今日はお父さんを一人にしてあげましょうね、と言うのだった。
一体、父親に何があったのか。それが理解できるようになったのは最近のことだ。
そして、佐伯・カナの祖母の死亡判定を行ったのも、美月の父親だった。
「前の日まであんなに元気だったのに、急に死んじゃって、パパもママも病院が何か失敗したんじゃないかって言ってたわ」
高齢者の場合、そういうことは決して珍しくはない。しかし、この場でいくらそれを説明しても佐伯・カナは納得しないだろうし、それどころか言い訳をしていると受け止められ、逆効果になるだろう。
美月はギリッと歯を食いしばり、拳を握りしめた。
「何とか言いなさいよ、人殺し病院!!」
「…………」
大好きな祖母を失った直後の彼女に、何を言っても無駄だ。
しかし、その時。
「やろろ」
教室の端に座っていた一人の男子生徒が立ち上がった。
その瞬間、クラスの空気が一変する。
今となっては、校内で彼のことを知らない者はいないという超有名児童――。
「龍太君」
そう、それは小学3年生になった茂野・龍太だった。
ちなみに神崎・あかりも同じクラスだが、今はトイレに行っている。
年齢は同じだというのに、龍太の言動には妙な説得力や影響力があった。
まあ、中身は大人、それも異世界とはいえ世界を救った勇者なのだから無理もないだろう。
龍太は美月と佐伯・カナの間に割り込むように立った。
「おばあさんが亡くなって辛い気持ちは分かる。しかし、だからと言って美月に八つ当たりをするのは良くない」
「な、何よ、茂野君には関係ないでしょ」
「関係はある。佐伯さんも美月もクラスメイトだ」
さらに言うと、大切な人を失う辛さも十分に理解できる。
魔王との戦いにおいて、どれだけ多くの親しい人たちを失ったことか。
まあ、今はその仇である魔王は、彼の家のペットになっているのだが。
「人は必ず死ぬ。どれほどの名医でも、それこそ神様ですら、その宿命を変えることはできない」
「で、でも医療ミスで……」
「美月のお父さんは、そんなことはしない。もし万が一にもそういうことが起こったら、誰よりも先に、君や君のご両親に自分の失敗を認めて謝罪をする。そういう人だ」
幼馴染である龍太は、美月の両親とも何度も会っている。
そして優しく責任感があり、何より人の命を救うことに誇りを持っている素晴らしい人物だと感じていた。
「それは、茂野君が、室井さんの幼馴染だから庇っているんでしょ!!」
「否定はしない。しかし、もし美月が謝らなければならないなら、その時は俺も一緒に謝る」
「龍太君……」
また、そういうことを真顔で言ったりするものだから、美月の顔が真っ赤になる。
そして、それは他の女子たちも同じだった。
通常、こういう行動をとると、
「なんだお前たち、付き合ってるのかよ?!」
などとからかわれたりするものだが、龍太だと誰も何も言わない。
実は3年生になったばかりの頃、あかりが困っている時に龍太が助けたことがあるのだが、その時、
「茂野と神崎、付き合ってるのかよ、ヒューヒュー!!」
初めて龍太たちと同じクラスになった男子が、大げさにからかったことがあった。
すると、顔色を変えるどころか眉一つ動かさずに龍太がその男子に向き直り、
「困っている幼馴染を助けているんだけど、何か問題があるの?」
「い、いや、だから女子と仲良くして……」
「ああ、そうか。羨ましかったのか。だったら最初からそう言えば良いのに」
「そんなわけないだろ!!」
「じゃあ、何が気に食わなくて俺とあかりはからかわれているんだ?」
「そ、それは、だから……」
と言った感じで、泣く直前まで相手を追い詰めたことがあった。
そのことを知っているため、このクラスで龍太をからかう者は誰もいなかった。
「佐伯、君のお婆さんは最後まで頑張った。そして病院の人たちも、それは同じだ」
「で、でも、おばあちゃんは……」
「さぞ辛かったことだろう。しかし、それは一生懸命、君のお婆さんの治療をしていた美月のお父さんたちも同じだ」
そう言うと、龍太が美月の方をチラッと見た。
それに気付いた彼女が、
「ええ、お父さんは、患者さんが亡くなるととても落ち込むわ。一人で書斎にこもって、しばらく出てこないの」
教室が静まり返っている。
もし龍太が割り込まなければ、下手をしたら今頃、クラスメイトたちが口々に美月に罵声を浴びせかけていたかもしれない。
佐伯・カナが俯くと、大声で泣き始めた。
それは悲しみからか、それとも怒りなのか、はたまた美月に八つ当たりをしてしまった自らの行為を恥じているのか。
彼女が泣きながら教室から駆け出していくと、その友達が後を追いかけていった。
異様な空気になった教室は、誰も一言も口を利かず、気まずいままだ。
その時、
「あれ、皆どうしたの?」
あかりがトイレから帰ってきた。
そのいつも通りの明るい声に、金縛りが解けたようにクラスメイトたちが一斉に動き始める。
「あの……ありがとう、龍太君」
美月が彼にだけ聞こえる小さな声でそう言った。
「いや、それより大丈夫か?」
「ええ、私は平気」
そこへ、あかりが近づいてくる。
「ねえねえ、どうしたの?」
「ちょっとした勘違いがあってね」
「ふぅ~ん。カナちゃんが泣きながら走って行ったけど」
そう言ってから、あかりが龍太を半眼で見つめつつ、
「また、龍太君が何か言ったんでしょ?」
「えっ、俺が?」
「だって、龍太君って私や美月ちゃんが意地悪されたら、滅茶苦茶怒るじゃない」
「……」
あかりと美月に何とも言えない表情で見つめられて、龍太が苦笑いを浮かべる。
「まあ、俺たちはパーティーだからね」
ちなみに大門・寛太は、クラス替えの時、一人だけ隣のクラスになっていた。




