第21話 暗躍する市長
【黒い影が静かに動き出す】
市役所の市長室で、祖父江・金五郎はコーヒーカップ片手に窓から外を眺めていた。
気分的には天守閣から城下町を見下ろす殿様のような雰囲気だが、内心はそれほど余裕はない。
彼は今、神崎・誠司に関する情報を部下達に集めさせている。
議員辞職とまではいかないが、あいつの足を少しでも引っ張れるような弱点を探させているのだ。
しかし、神崎・誠司の周囲には後ろ暗い関係の相手はおらず、仕事は真面目、家族のこともとても大切にしている。
愛人どころか、彼は学生時代から付き合っていた女性と結婚しているため、過去に女性関係のトラブルも存在しない。
俺とは正反対だな……。
思わずそう考えて、自嘲気味に笑ってしまう。
どのみち、奴は小者だ。清廉潔白な大物政治家など、この世に存在しない……と、彼は信じて疑わないのだ。
飲み終えたコーヒーカップを、無駄に広い自分の執務机の上に置く。
そこには表題を付けられていない紙のファイルが置かれている。
内容はすでに読み終えている。現段階で調べ終えている、神崎・誠司に関する報告書だ。
「それにしても、まさか神崎の娘が卓斗と同級生だったとはな……」
そして、すっかり忘れていたが、息子のクラスには茂野・龍太もいる。
「そう言えば、最近、卓斗が妙に大人しくなったな」
入学当初、生意気な同級生に馬鹿にされたと泣きつかれ、これまで裏の仕事を頼んできた大門組の組長に、少しお灸をすえさせようとしたのだが、驚いたことに、茂野・龍太には手を出さない方が良いと言って断られてしまった。
これも調べさせたのだが、3年前に大門組が何者かの襲撃を受け、それに茂野・龍太が絡んでいたとか、いないとか。
まさか小学生に負けたなどということはあり得ないので、あのガキの親か親類に、滅茶苦茶やばい大物がついているのかもしれないと疑っている。
それは暴力か、権力か、財力かは分からないが、あそこまでヤクザを怯えさせるのだから、よほどの存在なのだろう。
「案外、これは使えるかもしれないな」
神崎・誠司が正道を歩めるのは、影の部分を担当している何者かがいるからなのかもしれない。
そして、それこそが茂野・龍太の親族である可能性が高い。
強力な後ろ盾があるから、龍太は卓斗に対して強気に出ることができたと考える方が普通だろう。
あと、これはついでだが、卓斗のクラスには、市で一番大きな医療施設である室井総合病院の院長の娘もいるらしい。
実は、祖父江・金五郎は、自分の地元での地盤を強固にするために、室井院長のところに卓斗と同じ年齢の女児がいると知り、いずれ結婚させてやろうと考えていたのだ。
まさかとは思うが、室井院長も、茂野・龍太の親族同様、神崎・誠司の協力者という可能性もある。
「まずは神崎の周囲から切り崩すか……」
となると、まずは茂野・龍太の方だろう。
あのガキの、いや、正確には茂野家の背後にいる大物の正体を探り、こちらに取り込めるなら交渉をする。
そして、もし駄目なら叩き潰すし、それが難しいなら、その後ろ暗い関係を明らかにして、神崎・誠司のクリーンなイメージを壊すスキャンダルとして利用する。
「悪くない」
まずは情報収集だ。
「まずはそのガキからだな……確か、あの小学校の教頭は寺西だったはずだ」
名前を寺西・恵三といい、過去に保護者の親と揉めた時、祖父江・金五郎が裏から手を回して助けてやったことがあった。
面倒臭い親が、小学校で自分の子供がいじめに遭い、それを学校が放置した。これは学校だけではなく、市の責任でもあると言って騒いでいたのだ。
まあまあ、ちょっと落ち着いて下さい、と大門・寛太に話し合いに行かせたところ、すぐに誤解が解け、「とても素直に自分たちの勘違いでした。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と土下座までして謝罪し、引っ越して行ったのだった。
その時、担任の教師から生徒間でいじめがあったと報告を受けていたのに、「そんなくだらないことで騒ぐな」と言って握り潰したのが、教頭の寺西・恵三だったのだ。
「こういう時のために、餌を与えて飼いならしておいたんだ。そろそろ“お手”ぐらいしてもらわないとな」
そう言うと、執務机の上に置かれている固定電話の受話器を取った。
「私だ。小学校の教頭に繋いでくれ。市長が個人的に相談したいことがあると伝えてな」
【市長からの逆らえない依頼】
『……では頼んだよ、寺西教頭』
そう言うと、こちらの返事も待たずに電話が切れた。
放課後の静まり返った教頭室。
その部屋の主である寺西・恵三は、受話器を置いた手をしばらく震わせていた。
「ま、まさか、市長から直々に電話がかかってくるとは……」
彼にとって、祖父江市長は恩人である。
一歩間違えば、小学校で発生したいじめ問題は大炎上し、マスコミに取り上げられてもおかしくなかった。
それを、どうやったのかは知らないが、いや、何となく想像できるが、知らない方が身のためな方法で市長が揉み消してくれたのだ。
祖父江・金五郎は地元の名士で、銀行や建設会社、さらに一部メディアにも顔が利き、経済界からマスコミ、さらに政界に至るまで、この街を実質的に牛耳っている。
その影響力は絶大で、市長選挙の時は、やる前から結果が分かっていると噂されていた。
組織票と圧力で、ライバルになりそうな立候補予定者達を次々と抑え込み、余裕で勝てそうな候補者達と、形だけの市長選を争った。
有力な立候補予定者の中には、理由は分からないが、いきなり全財産を失い、夜逃げ同然で街から出て行った者もいるらしい。
そのような恐ろしい相手に借りを作ってしまったのだから、当然、逆らえるはずなどない。
しかし、問題はその内容だった。
今年入学した茂野・龍太という1年生を監視し、逐次情報を教えろ。
何なんだ、一体……今年の新入生には市長の息子もいる。もしかして、その子が何かしたのか?
いや、それならこんな回りくどい方法など取らずに、直接叩き潰しにくるはずだ。
寺西教頭が書棚から生徒の名簿を取り出し、市長が使っている執務机の4分の1ほどの大きさしかない自分の机の上に置いた。
そして右手の親指を舐めて唾で湿らせると、生徒の苗字が五十音順に並んでいるページを次々とめくっていき、そしてピタリと手を止める。
そこには、1年生にしては落ち着いた雰囲気の男子生徒の顔写真と、茂野・龍太のプロフィールが書かれていた。
彼のことは知っている。
1年生の担任達がよく噂話をしているのを聞いたことがあるからだ。
まだ入学して半年も経っていないが、成績は優秀、とても子供とは思えない洞察力を持ち、同級生達の揉め事を教師達よりも先に、あっという間に治めているらしい。
プロフィール表の備考欄には、幼稚園における彼の評価が記載されており、そこには「彼さえいれば教諭はいらないほど優秀」と書かれていた。
最初にこれを読んだ時、「何じゃこりゃ?」と首を傾げたことを思い出す。
しかし、担任の川井・良子に言わせれば、
「この評価は正当です」
ということらしい。
しかし、そこまで行くと逆に怪しい。
彼が、特殊な職業や能力を持った両親や血筋の子供なら、まあ、そういうこともあるかもしれないと考えたかもしれないが、茂野・龍太の両親は、どこにでもいる平凡なサラリーマンと専業主婦だ。
となれば、彼はどこでそんな大人顔負けの能力を手に入れたのか?
それは両親以外の何者かによる教育の賜物だろう。
なるほど、市長が怪しんでいるのはそこか!!
彼の背後には何者かがいるかもしれない。
しかし、それを調べてどうする気なのだろう?
寺西教頭は、祖父江市長が神崎議員の評価を下げるために暗躍していることなど知らない。
これが神崎・あかりを監視して調べろという指示なら、ははぁ~ん、なるほど、納得しただろうが。
どちらにせよ、指令は下された。
断れば、彼も今の地位はもちろん、職すら奪われかねない。
「仕方がない」
そう言うと、彼は隣の職員室に繋がっているドアを開けた。
そして見回すと、川井・良子を見付ける。
「川井先生! 川井先生、ちょっと!!」
彼が大きな声でそう呼ぶと、彼女が慌てて小走りで駆け寄ってきた。
「はい、教頭先生」
「ちょっとお願いしたい仕事があるんだ……まあ、ちょっと入って」
そう言って、彼女を教頭室内へ招き入れる。
「川井先生、あなたのクラスの茂野君のことだけど」
彼女にソファーを勧めると、自分もその対面に腰を下ろし、さっそくそう切り出す。
「茂野・龍太君ですか?」
川井・良子がズレかけた眼鏡を直しつつ、そう聞いてくる。
「そう、彼のことなのだけど、色々と調べてほしいんだ」
「調べる?」
ここで、下手なことを言うと警戒をされてしまう。
彼女のような新任の真面目な教師は、まだ教育者としての夢や希望に燃えている。
つまり、生きていくためには邪魔になりこそすれ、まったく役に立たない(と教頭が考えている)正義感に溢れているということだ。
うまく丸め込まなければ、こちらの思った通りに動いてくれるかもしれない。
「実は、市長が市の未来を担う子供達について、色々とお考えでいらっしゃるらしいのだよ」
「それって一体?」
「まだ、私も詳しくは聞いていないのだけど、奨学金や留学などを優遇したり、表彰したりすることを考えているのではないかな。もちろん今すぐというわけではないよ。将来的にだ」
「それって、茂野君がそれに選ばれるかもしれないということですか?」
「う、うん、そうじゃないかな……」
そう言う寺西教頭の目が泳ぎまくっている。
ハッキリ言って、川井・良子は寺西教頭のことを全く信用していなかった。
数年前、この小学校でいじめ問題が発生した時、担任の教師からの申し立てを彼が面倒臭がって揉み消し、そのせいで大問題になりかけた。
経緯はよく分からないが、最後はいじめられていた生徒の親が、「誤解でした。すいません」と謝罪をして収まったが、彼女はあれが誤解などではないことをよく知っていた。
そのいじめ問題が発生したクラスの担任は、同じ大学の先輩で、クラスで起こったいじめに気付けなかったことを激しく悔やみ、その後退職している。
教頭がどのような手を使ったか分からないが、見えない力で強引になかったことにしたのは間違いないと考えていた。
「茂野・龍太君は真面目で優しい良い子です」
遠足の時、3人の不良高校生に絡まれていた彼女を、小学1年生の彼が助けてくれたのだ。
龍太が只者ではないことは分かっている。しかし、彼が決して悪い子ではないことも確信している。
「ああ、もちろん分かっているよ。だから、優秀な彼のことをよく見て、逐次報告してほしいのだよ」
そう言ってから、さらに、
「これは市長からの指示なんだ」
と、付け加える。
「分かりました」
怪しいとは思うが、逆らうことはできない。
川井・良子がそう返事をすると、寺西教頭がホッとした表情になり、
「そうか、分かってくれたか。じゃあ頼んだからね」
と言った。
川井・良子が「失礼します」と言って退室すると、寺西教頭がフゥ~と長く息を吐いてソファーの背もたれに体重を預けた。
「あの顔……納得していなかったな」
それはそうだろう。市長自ら一人の1年生を監視して報告しろなどと命令してきたのだ。きな臭いにも程がある。
それでも断る理由が見付からなかったから、渋々従っているのだ。
「一体、なんなのだ、茂野・龍太という子供は?」
そう呟きつつ、立ち上がると、執務机の上に広げられたままになっているファイルに目を落とす。
そこに貼られている写真の子供が大人びて見える理由が分かった。
「何て目をしているんだ? まるで戦場帰りの兵隊みたいじゃないか」
もちろん彼は、戦後生まれのため、戦場から帰った直後の人間を見たことはないのだが。
一度は直接話をしてみたい気もするが、とりあえずしばらくは担任に任せておこうと考えたのだった。




