第18話 勇者の弱点
【勇者の弱点】
遠足での出来事以来、祖父江・卓斗の態度が少し変わった。
相変わらず態度は大きいし、口調も偉そうだが、以前のように「自分の父親は市長だ」などと言わなくなったのだ。
そして1か月後、7月になると体育の授業にプールが入ってくる。
水泳の授業は2クラス合同になるため、二つの教室を男女で分けて着替えをする。
正直言って、この年頃の子供達に異性に対する邪な感情などないのだが、一緒に着替えさせると、保護者がうるさいのだ。
教室の隅で着替えをしつつ、龍太は密かに焦っていた。
この世界に転生して、これほどのピンチは初めてかもしれない。
そう、実は茂野・龍太は泳げないのだ。
異世界では魔法で飛べたし、水中で呼吸をすることもできた。
そもそも、鎧姿で剣や盾を持った状態では、どれほど頑張っても水に浮くことすらできない。
体の成長に伴って、転生前に使えた魔法もいくつか再現できるようになっている。
だからと言って、プールの上を飛んだり、水面を歩いたりしたら、大騒ぎになるだろう。
「まあ、せっかく転生したんだし、泳ぎをマスターするのも悪くないな」
そう言いつつ、プールへと向かう。
龍太達が通う小学校には、25mプールがあった。
小学1年生では、深いところでは足が届かないため、そこには足場が沈められ、かさ上げされている。
そのプールサイドに室井・美月が立っていた。
10年後には異性どころか同性からも見とれられる水着姿の彼女だが、今は男子と大差ないスタイルだ。
「それじゃあ、水に入って」
川井先生にそう言われ、美月がつま先からプールに入った。
「美月ちゃん、頑張って!!」
その後ろに並んでいる神崎・あかりがそう言う。
「別に競泳ではないのだから、頑張ることはないわ」
そう言って、水泳用ゴーグルを目に嵌める。
「じゃあ、スタート」
そう言われ、美月が水中に沈むと、そのままプールの壁を蹴って前に進む。
そして、両手と足を動かすのだが……壁を蹴った勢いがなくなると、そこから進まなくなった。
さらに言うと、身体が沈んだまま浮き上がってこない。
その状態が少し続くと、美月が立ち上がった。
プハッと水面から顔を出すと、深呼吸をし、
「まあ、見ての通りよ。人間って水に浮かないの」
と、クールにそう言う。
「美月ちゃん、泳げなかったのね」
幼児の頃から数多くの習い事をしてきた彼女だったが、その中にスイミングスクールは含まれていなかったのだ。
その時、隣のレーンで、ワァッ!! と歓声が上がった。
そこを泳いでいたのは祖父江・卓斗だったが、彼は綺麗なフォームでクロールをしている。
そう、彼も市長の息子として、幼少の頃から英才教育を受けているのだ。
そして、その中には水泳も含まれていた。
卓斗が25m泳ぎ切って、プールから上がると、その前に龍太が立った。
「凄いな、見事な泳ぎだったぞ」
「なっ?! た、たいしたことない。3歳の頃からスイミングに通っていたからな。まあ、余裕だ」
相変わらずの膨れっ面だが、それでも照れて少し頬を赤らめつつ、卓斗がそっぽを向く。
「祖父江・卓斗、頼みがある」
「なんだよ?」
「俺に泳ぎを教えてくれ」
「はぁ?」
なんでも余裕でこなすイメージの龍太に教えを請われて、卓斗が驚く。
「何で俺がお前なんかに」
「先月の借りを返すと思ってくれたらいい」
それを言われると、卓斗も断りづらい。
「あら、私もお願いできるかしら」
そこに、先ほどプールの底から生還を果たした美月も近付いてくる。
「先生達に教えてもらったら良いだろう?」
「先生は、他の生徒達も教えないといけないからな。俺としては迷惑をかけたくない」
「俺には良いのかよ?」
「だから、借りを返せと言っただろ」
以前の卓斗だったら、何を言われても「うるさい!!」と怒鳴って、この場を離れていただろう。
しかし――。
「分かったよ」
と答えると、「俺について来い」と言ってプールに入った。
この日、授業が終わるまでに、龍太も美月も、ほんの少しだけ泳げるようになる。
「なるほど、なかなか奥が深くて興味深いな」
授業の終わりに整理体操をしつつ、龍太がそう言った。
「なにより、祖父江、お前、意外に良い奴だな」
「な、何を言ってるんだよ?!」
「いや、分かりやすかったと思ってな」
「そうね。偉そうな口ぶりが少しムカついたけど」
美月もそう言う。
「フンッ、借りは返したからな!!」
そう言うと、卓斗がその場から離れていった。
その後ろ姿を見送る龍太と美月。
「ところで龍太君」
「ん? なんだ?」
「借りって何のこと?」
「それは、男の秘密ってやつだよ」
龍太がそう言うと、その時だけ年齢相応の悪戯っぽい笑顔になった。
【夏の森とキャンプ】
夏休みに入ってすぐ、小学校が主催するサマーキャンプが開かれた。
場所は遠足で行った市営の森林公園で、あの時弁当を食べた広場の奥にはキャンプ場があった。
今回はそこで一泊二日のキャンプ大会があるのだ。
このイベントへの参加条件は、小学生以上で、保護者が同伴、さらにペット同伴可である。
龍太は父親とゼルを連れて参加していた。
ちなみに、母親は虫が苦手なため不参加だ。
その代わり、お弁当としておにぎりと鶏の唐揚げを大量に作って持たせてくれている。
あと、龍太がこのキャンプに参加したのは、あかりや美月に誘われたからだったが、実はそれだけではなかった。
以前、遠足でこの公園に来た時、奥の方から感じた禍々しい魔力、その原因を確かめるためでもある。
「あっ、ゼルちゃんだ!!」
その時、あかりと彼女の母親が到着した。
あかりがゼルに駆け寄り、ムツゴロウさんのように撫でまくる。
『うおっ、相変わらず遠慮がないな、この娘は!!』
そう文句を言いつつも、逃げないあたり、案外撫でられることが気に入っているのかもしれない。
「私もクゥちゃんを連れて来たんだよ!!」
そう言うと、あかりの母親が手に持っていたペット用キャリーバッグを開けた。
そこからトイプードルのクゥちゃんが出てくる。
龍太とゼルにとっては因縁のある犬で、今でも時々、散歩中に会うことがあった。
「ほらクゥちゃん、ゼルちゃんだよ!!」
あかりがそう言うと、相変わらずゼルを警戒して近付いてこない。
まあ、無理もないだろう。見た目は黒柴犬だが、中身は異世界から転生してきた魔王なのだから。
さらに美月も母親と、そして大門・寛太は、彼の叔父さんと名乗る大人と一緒にやって来た。
ちなみに、寛太の叔父さんが本物かどうかは誰も触れない。
「坊ちゃん、荷物は、ここで良いですか?」
どうやら、組の若い者のようだ。
「思ったより母親が多いな」
龍太の父親が周囲を見回して言った。
これは正確ではない。付き添いの保護者のうち三分の二は父親だったからだ。つまり、彼が言いたかったのは、「思ったよりも母親が多いな」ということだ。
近年は女性もキャンプ場に来ることは珍しくなかったが、それでもやはり、暑くて虫が出る屋外を嫌う人は多い。
「それでは、テントを張って下さい。場所は受付で参加費を払った際にお伝えします!!」
そう言ったのは、龍太達のクラスの担任である川井・良子だった。
教師達は当然のように強制参加させられ、スタッフとして働いている。
そもそも、このキャンプの目的は親子の絆を深めることだったが、隠れた目標として、教師と保護者の顔合わせという意味合いもあった。
お互いに顔見知りとなり、意思の疎通ができていれば、つまらないことでクレームを言ってこなくなるだろうと考えたのだ。
もっとも、学校にやたらとクレームを入れてくるような親は、このようなイベントに参加などしないし、それどころか、このイベントそのものにクレームを入れていたりするが。
「よし、それじゃあ龍太、テントを張ろうか」
父親がそう言うと、受付で借りてきたテントを設置場所に置いた。
テントに関しては、家から持ってきても、あらかじめレンタルの依頼をしておくこともできたのだが、茂野家にはテントがなかったため、借りるしかなかった。
「え~っと、どうなってるんだ、これ?」
実を言うと、龍太の父親は生まれてこの方、自分でテントを設営したことがない。
「父さん、ちょっと見せてください」
そして龍太は、転生前の世界で、テントを嫌というほど張ったことがある。
「これは凄い」
この世界の、コンパクトなくせに至れり尽くせりのテントを見て、龍太が感動している。
これがあったら、野宿をするとき楽だっただろうな、と考えつつ、説明書片手にてきぱきとフレームを組み立て、そこにテントを乗せてフックで止める。
「凄いな、龍太。どこでテントの立て方なんか教わったんだ?」
「もちろん初めてです」
生まれ変わってからはですけど、と心の中で付け加える。
あかりと美月のところは、母親が来ているため、やはりテントの張り方が分からず立ち尽くしている。
龍太は、自分達のテントが風で飛ばされないようにペグで固定すると、すぐに二人のところに手伝いに行く。
「わぁ、ありがとう、龍太君」
「ホント、うちのお父さんより、手際が良いわ」
幼馴染である二人の家にも何度か遊びに行ったことがあるし、幼稚園でのイベントでも顔を合わせていたため、龍太はあかりと美月の両親とも顔なじみである。
そして――。
「坊ちゃん、出来ましたよ」
「何だか、部品が余っているし、それにこれ、傾いてるんだけど」
大門・寛太と、彼の叔父ということになっている大門組の組員も苦戦していた。
そこにも龍太が手伝いに行くが――。
「こ、これは茂野さん、申し訳ないっす!!」
「龍太さんに手伝ってもらえるなんて、俺、超嬉しいです!!」
当然のように大袈裟に礼を言われた。
「俺の息子って……一体何者なんだ?」
そんな我が子の姿を見て驚く龍太の父親。
テントの設営が終わると、夕食が配られる。
キャンプと言えばカレーやバーベキューがお約束だが、いくら何でも小学1年生に料理をさせるわけにはいかない。
夕食は学校側が注文した弁当と、麦茶のペットボトルだった。
それをそれぞれのテントで皆が食べる。
そして、それが終わると日が暮れ、かなり涼しくなってきた。
「それでは、肝試し大会を始めます。保護者の皆さんは、こちらに集まって下さい」
ある意味、これこそがこのキャンプ大会のメインイベントと言えた。
キャンプ場の奥に少し進むと、この公園のシンボルと言うべき大きな木が立っている。
生徒達はペアごとに分けられると、名前を書いた札を渡され、その大木まで歩いて行き、そこに置かれている箱の中に名札を入れてスタート地点まで戻ってくるというルールだ。
そして、保護者達は子供達の安全を見守りつつ、脅かす役を担当する。
龍太は、ペアを決めるために次々とくじを引いている生徒達の列に並びつつ、森の奥の方を見つめていた。
このキャンプ場も禍々しい魔力が漂っているが、それは森の奥に行けば行くほど強く、濃くなっていく。
ここまで魔力が濃いと、繊細な者なら寒気を感じたり、軽い頭痛ぐらい起こしたりするかもしれない。
さらに長時間その状態が続くと、体調を崩す者も出てくるだろう。
龍太は目を閉じると、意識を集中し、右手を森の奥へと伸ばした。
「清浄の伊吹」
小さな声でそう言って、魔法を発動する。
これは異世界における神官や僧侶が使う魔法で、アンデッドモンスターを倒したり、負の瘴気などを消したりするときに使われていた。
彼の右手から放たれた浄化の魔法が、森に漂う禍々しい魔力を祓い、霧散させていく。
周囲の空気が、柔らかく、そして穏やかになっていった。
魔力の発生源を絶ったわけではないため、時間が経てばまた元の状態になるかもしれないが、数日は大丈夫だろう。
くじ引きの結果、龍太のペアはあかりになった。
「ううぅ、こわいよぉ。明るい時は綺麗だったのに、夜になったらお化けが出そう」
いつも明るいあかりがすっかり怯えてしまい、龍太の腕にしがみついている。
「大丈夫、霊気も瘴気も感じないから」
なにせ、それらを祓ったのは龍太自身だ。
「暗いだけでも怖いんだよぉ~」
しかし、魔力など感じることのできないあかりは、安心などできない。
そんな二人を見て川井先生が、「あらあら、初々しいわね」と微笑んでいた。
前回の遠足の時には、この公園で彼女は龍太に助けられている。
「さあ、次は茂野君と神崎さんの番よ」
そんな二人の後ろには、室井・美月と大門・寛太のペアが待機している。
ちなみに、二人とも龍太とペアを組みたかったらしく、悔しがっていた。
「じゃあ、行こうか」
そう言って、あかりの手を引いて龍太が歩き出す。
あと、肝試しとは言え、いくら何でも小学1年生のペアを暗闇の中、子供だけで歩かせるわけにはいかないため、道沿いに所々にLEDのランタンが置かれていた。
さらに、道の両側の茂みの中には等間隔に保護者達が身を隠していて、怖がった子供達がどこかに走って逃げないように見張っている。
また、怖すぎて身動きが取れなくなった子供が出た時は、速やかに保護するようになっていた。
「……あれ?」
スタートから大木に向かって歩き出すと、それまで怯えて半泣きになっていたあかりが首をひねった。
「どうしたんだ?」
「何だろう? 神社にお参りに来た時みたい」
どうやら、龍太の魔法で負の魔力が祓われてしまったせいで、一時的に神域のようになってしまったようだ。
地脈の吹き溜まりが近くにあるみたいだな。それが拡散しつつ土地の魔力を吸って変貌したか。
龍太はそう考えている。
二人はそのまま百メートルほど歩くと大木に到着し、そこに設置されていた箱に札を入れた。
途中でガサガサと音がしたり、シーツを被った保護者が出てきたりしたが、信じられないほど怖くない。
「少しは怖がってよ」
お化け役の保護者にそう言われたが、怖くないのだから仕方がない。
「何だか申し訳ないことをしてしまったな」
せっかく子供達を楽しませようと準備してきた先生達には、大変申し訳ないことをしてしまった。




