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からくり娘と三人の魔神  作者: ふたぎ おっと
タイル1.リモナと指輪の魔神
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1-7.ミラージャの夜

 母親と姉に連れられて去っていく香木を削った色合いの後ろ姿を見ながら、アズラクは手に薄い風の渦を作った。それをリモナの後ろに付き添わせる。これでリモナが指輪のことを忘れても、何かあったらすぐに飛んでいける。

「ミャア<お前も捨てられたにゃあ>」

「違えよ」

 今はこの方が良かったんだ。

 あの面倒くさそうなリモナの家族を納得させるには、こうして妥協させるしかなかった。

「ニャーア<リモニャの家は潔癖すぎて僕もあんまり好きじゃないにゃ>」

「行ったことあるのか?」

「ニャァア<いつも追い出されるにゃ>」ペペはあくびしながら言った。

 アズラクは意外に思わなかった。

 リモナの家族から感じた空気は、警戒と不審。むしろペペ以上にアズラクのことを危険視しているだろう。

 別にそんなことは珍しいことではない。

 ただ、リモナが変わっているだけだ。

 ふいに、インクとオレンジの匂いが流れてきた。アズラクは吸い寄せられるように工房の中に入った。

 工房の中は、紙や機械部品が沢山転がっていた。

「ミャア<足の踏み場もにゃいにゃ>」

 そう言いながら、ペペは軽々と棚を経由して、開け放したままの窓枠に乗った。

 アズラクは、作業台の上に置いたままの小さな水車に近づいた。

 歯車を指で回してみると、連結した他の歯車が一緒に動き、小さな滑車につられた桶が上下した。町で見た仕組みと似ていた。

 散らばった紙を拾い上げると、そこには今日見た水が出る管や串焼き機の絵が、細い線で描かれていた。リモナと同じ匂いの走り書きが、至る所にあった。

 何千年も違うと、こうも違うのか。

 昔も歯車のからくりはあったが、図面は全て石や岩に刻まれていた。それも、宮廷や神官に選ばれた技師によるものだ。

 けれどもこの町にあるからくりは、アズラクがいた時代からは想像も出来ないくらい、はるかに進歩していた。それを易々と修理するリモナを思い出して、アズラクはフッと笑った。

「そりゃあ魔法なんて信じないだろうな」

 何せリモナの方が魔法を生み出せるのだから。

 とは言え、昔なら国家機密に値するレベルのこの図面を、こんな雑に扱っていいのか?

 アズラクは床に散らばった紙を、風で適当にまとめ始めた。その辺に置かれた板金や部品箱も、棚に整理する。

 風に作業場の掃除を任せてオレンジを食べようと窓際のかごに近づくと、小さな四角い部品の付いたインクまみれの機械の横に、雑な線で描かれた図面が置かれていた。

 この機械の完成図か?

「ニャアゴロゴロ<リモニャの新しい失敗作にゃ>」

「失敗作?」

 アズラクは図面とインクまみれの機械を見比べた。実物で使っている部品がおそらく図面と違うせいで、何がどう失敗したのか分からない。

「何に使う機械なんだ?」

「ミャーア<さぁにぇ>」ぺぺは前足に頭を乗せて眠そうにしている。「ウーゴロゴロ<にゃんかパパの書類を簡単に写すとかにゃんとか……むにゃむにゃ>」

 書類を簡単に写す?

 その概念にアズラクは引っかかった。

 書類はこの時代の記録で、あいつの父親は確か役人じゃなかったか?

 アズラクはリモナの失敗作を、まじまじと眺めた。

 そこでふと、リモナの工具箱を落としたままにしていたのを思い出した。町で楽しそうに工具を操っていたのが脳裏をよぎると、アズラクは思わず笑いをこぼした。

 もう一度リモナの魔法の機械を見てみるのも良い。

 アズラクはオレンジ片手に、夜のミラージャの町に繰り出した。

 空を飛んでリモナの匂いを辿るが、この町にはオレンジとインクの匂いが至るところから流れてくる。オレンジとインクは、あいつ特有の匂いじゃないのか?

「ペペ連れて来ればよかった」

 ペペの方がリモナの匂いを辿れただろうに。

 アズラクは空から探すのをあきらめて、さっき鵜焼きを食べたあたりに降り立った。

 すると近くにいた人たちがアズラクを見て驚いた。緊張とざわめきが濃くなる。

 未だに慣れないのか?

 今日はもうずっとこの町にいるっていうのに。

「ね……ねぇ、あんた」鵜焼きの店の娘が、小声で声をかけてきた。

「なあ、リモナの工具箱知らないか?」アズラクは構わず尋ねた。

「それならうちで保管してあるけど……」娘はほんのり顔を赤らめながら、店を指さした。「それよりあんた、リモナ攫ったんじゃないの?」

 なんだそれは。「リモナなら家に帰った」

「そ……そうなの? 町中大騒ぎになってたけど……」

 だからこんなにも空気が張り詰めているのか? まぁあの父親の騒ぎようを考えたら無理もないし、アズラクも……リモナを危険に晒したのは事実だ。

 アズラクは、この近くにある水車小屋の方を、恨めしく眺めた。

 この様子なら、今日はあんまりここに長居しない方がよさそうだ。

 アズラクは、鵜焼き娘からリモナの工具箱を受け取り、町の上空に上がった。

 リモナの工具箱と一緒に、ランタンとろうそくに照らされたあまり明るくない町を、上から眺める。丘の上を見上げると、白亜の塔に埋め込まれたからくり時計が、月明かりに妖しく光っていた。

 アズラクは時計の仕組みを見てみたくて、リモナの工具箱を連れて白亜の塔に向かった。

 二十四個の記号が刻まれた円盤に二本の針。時計を嵌め込んでいる柱には、人間を型取った飾りがくっついている。

 何千年も時代が流れれば、こんなでかくて複雑な飾りの付いた建物も作れるんだな。

 そう思いながら、アズラクは青銅の大きな鐘を吊るした塔の上からするりと中に入り、時計盤の裏側へもぐりこんだ。

 重そうな金属のおもりと歯車。鎖が軋んだ音を上げながら、おもりが落ちて針が動く。

 思いの外、単純な機構だった。

 けれどこれは、人間の神秘だ。

 何のためにわざわざ時を刻みたいのか分からないが、こうやって一定の速度でおもりが動く機構を生み出し、生活に活用している。アズラクの知らない何千年もの間に進んだ人間の文明には、本当に驚かされる。

 こんな豊かな時代だからだろうか。

 アズラクのよく知る血生臭さが、まったく漂ってこない。

 それもまた、過ぎ去った古い歴史――神話の話なのだろうか。

「これ、あいつ見たらすげえ喜ぶだろうな」

 リモナの工具箱をぷかぷか浮かせながら、アズラクは笑みを浮かべた。リモナは、このからくり時計に向けた茶色のまんまる目を、憧れに光らせていた。

 明日また連れて来よう。

 空飛ぶのも気に入ってくれているし。

 それに――。

「あいつにも見せてやりてぇな」

 この、あまりにも変わったこの時代を。

 すると塔に続く階段の下で、扉が開く音がした。人が階段を登ってくる。

 アズラクは工具箱と一緒に暗がりへ隠れた。

「なあ、あの魔神が出たって噂、本当だと思うか?」

「ああ? 娘が攫われたとかハリルが騒いでたやつ?」上がってきたのは二人組のようだ。「分からねえけど、実際に見たやつがいるらしいし」

「俺、そんなの信じてなかったんだけどさぁ、何人かが教会に駆け込んだって言うしさ。大丈夫かな」

「どうだろうな。あの最近来た新しい神父は大騒ぎしそう。あいつ、変なの嫌ってるし、リモナの機械も煙たがってたからなぁ。神の意志に反するとか何とか」

「大事にならないといいんだけどな……」

 二人はからくり時計の裏側まで到達すると、歯車や鎖に油を差していった。

 アズラクは、リモナの工具箱と一緒に釣鐘の隙間から、そっと塔の外に出た。

 あっちもこっちも魔神の噂だらけだ。

 何千年前ならいざ知らず、こんなにも壮大で複雑なからくりを作っておきながら、そんなにも重大事なのか?

 アズラクはミラージャの上空を飛びながら、町の人間がぽつりぽつりと特定の方に向かっているのに気が付いた。上からついていくと、十字飾りの付いたとんがり屋根の建物に突き当たる。

 煙突から、人の声が伝わってきた。

「神父さま、あんな異形のものが現れて、私たちの暮らしはどうなるのでしょう?」

「俺の母は、空飛ぶ魔神の話を聞いて、更に持病が悪化しまして……」

「お願いします、悪さする前に退治してください」

 こいつらは揃いも揃って何を言ってるんだ?

 アズラクは呆れてため息をついた。

 別に人間や町に危害を加える気など、さらさらない。リモナが命令すれば別だが、あいつがそんなことを頼むとも思えないし、町の人間がリモナに危害を加える様子も今のところない。

 むしろ、俺たちは取り合われていた存在だったのに。

 アズラクは複雑な感覚だった。

「まぁまぁ、落ち着きなさい」柔らかく冷静な男の声が、煙突から響いた。「彼はリモナと一緒に水車の目詰まりを取ったとも聞いています。きっと悪い精霊ではないでしょう。あなたたちが警戒を解けば、彼もきっと皆さまの役に立ちます」

 男がそう言うと、不安に満ちた人の空気が、少しだけ和らいだ。

 しかし、別の強烈な緊張が、伝わってきた。

「神父様、甘いです」

「ミヒャエル神父」さっきの冷静な男が呼びかけた。

「良いですか?」ミヒャエル神父は固い声で言った。「今噂になっている異形のものは、イルサームの神話の魔神というではありませんか」

 まただ。

 イルサーム。

 今日たびたび耳にした言葉。

 アズラクがいたエル=シャハームの今の呼び名のことか?

「皆さん」ミヒャエル神父は、声を低くした。「これがどういうことか分かりますか?」

「分かりません、神父様!」

「教えてください!」

 町の人間が縋りついた。

 煙突から、恐怖と、微かな笑いの空気が、伝搬してきた。

「いいでしょう。イルサームの神話によると、魔神は世界を破滅させたと言います」

 させてねえよ。

 さっきもリモナの父親にそう言われたが、破滅する前にアズラクは海に捨てられた。

「そしてこの数十年、イルサームは我らがオルテンザにたびたび攻撃を仕掛けています」ミヒャエル神父の声が、右へ左へ動く。

 町の人間が、ごくりと唾をのんだ。

「ミヒャエル神父」さっきの冷静な男が声を挟んだ。「不必要に怖がらせるものではありません」

「ことが起きてからでは遅いのです」ミヒャエル神父はぴしゃりと言った。「間に合ううちに対処しなければ」

「神父様、一体何が起ころうというのですか?」町の人間が尋ねた。

 ミヒャエル神父は、しばらく黙った。

 嫌な静けさと落ち着きが、アズラクまで伝わってくる。

「これは、イルサームによる呪いです」

 ミヒャエル神父は、一段声を低くして言った。

「の……呪い!?」

「ミヒャエル神父」

「えぇ。オルテンザを弱体化させ支配するためにイルサームが送り込んだ、呪いの悪魔なのです」

 建物の中が動揺に包まれ、恐怖が伝搬していく。

 アズラクはつばを飲み込んだ。

「た……確かに、あの目を見ると変な気持ちにさせられるのです。まさかそれが悪魔の……」

「確かに、あの男は水車からネズミの死骸を取り上げました。とても恐ろしい光景で」

「あの男が鵜にかぶりついている姿は、とても不気味でした」

 なんだ、このばかげた話は。

 アズラクは眉をひそめた。

 イルサームとかオルテンザとかよく分からないが、ミヒャエル神父とやらが意味もなく恐怖を煽っている。あんなからくり時計や水車を作るくせに、そんな中身のないでたらめに、この時代の人間はこんなにも恐れるのか?

「神父様……」別の町の人間が、震える声で尋ねる。「リモナは……大丈夫なのでしょうか?」

 アズラクの眉がピクリと動いた。

 また攫った話か?

「私は見たのです、リモナの手にサファイアの指輪が嵌っているのを。ハリルが抜こうとしたのですが、抜けませんでした」

「しかも、それでリモナは攫われたとか」他の人間が加わった。

「よしなさい」冷静な方の神父が、言葉を挟んだ。「リモナは家に戻ったと、先ほどハリルから連絡がありました」

「いえ、神父様。これこそ恐れるべき事態なのかもしれません」ミヒャエル神父はしきりに言った。「もともとあの子は変わっていました。神の教えに背き、悪魔の道具を作り続けている。遂に憑りつかれてしまったのか」そこでミヒャエル神父は息を吸った。「まさか、リモナが呼んだのかもしれません」

 まさか、リモナが。

 そんなざわめきが広がる。

「皆さん、おやめなさい」冷静な方の神父が呼びかけた。「ミヒャエル神父も。リモナの善良な心を忘れたのですか? 彼女のものづくりがどれだけこの町を豊かにしたか、皆さん忘れたのですか?」

「甘いです」ミヒャエル神父が反論する。「そうやってあの娘は皆さんの心を取り込んでいるのです。そうでなければ善良な女子が、あんなからくりを操りますか?」

 アズラクは、ミヒャエル神父を嬲り殺したくなったが、暴れそうになる風を何とか抑え込んだ。ここで騒げば、リモナの評判が悪化するだけだ。

 しかしあいつは何なんだ?

 リモナがこんな悪しざまに言われているのが、非常に腹が立つ。リモナはただ、からくりをいじるのが好きなだけだろう。町の人に関しては、アズラク以上にそれを分かっているはずだ。

 それなのに、あんな質の低い男の言うことを、みんな信じるのか?

「皆さん、静粛に!」冷静な方の神父が声を上げた。「分かりました。明日、私がリモナとその魔神とやらと話して、彼らの御心を確認します」

「しかし神父様――」

「ミヒャエル神父」ミヒャエル神父が反論しようとするのを遮った。「あなたはミラージャの町に来て日が浅い。町には町の在り方がある。それを覚えなさい」

 ミヒャエル神父が唸った。

「さあ皆さん。もう夜も遅い。お帰りなさい。隣人に親切にすれば、悪魔も呪いも来やしません」

 冷静な神父が強い口調でそう言うと、町の人間は「神父様がそう言うなら……」と渋々従った。

 だがアズラクは安心できなかった。

 不穏な緊張感と怒りをはらんだ空気が、煙突ごしに伝わっていた。

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