1-6.リモナの家族
「あれ、リモナいるじゃない」
通りの向こうから、お姉ちゃんがやって来た。ママと一緒だ。
アズラクがぱっと立ち上がり周りの風が固くなるが、リモナは気にしなかった。
「お姉ちゃんたち、オレンジ食べる?」そう言って、一粒差し出した。
「そんな場合じゃないでしょ」お姉ちゃんは呆れた顔でリモナを見ると、そっとアズラクを伺った。「この人が噂の魔神?」お姉ちゃんは顔を赤らめた。
「お父さんがすごい勢いで帰ってきたけど、あんた大丈夫なの?」ママも少し顔を赤らめながらも、リモナの身体をべたべた触った。
「別になんもないよ?」リモナはオレンジを口に入れて言う。「あ、ねぇ知ってた? 空あんまり高く飛ぶと息苦しくなるんだよ」
ママもお姉ちゃんも眉をひそめて口をあんぐり開けた。
「まったく、いつも通りじゃない」お姉ちゃんはため息をついた。
「あんた、この人どうするの?」ママが尋ねる。「うちに連れてくるつもり?」
「どうしよう。パパがいるんじゃあ、アズも落ち着かないよね」
「いや、それは私たちも……」お姉ちゃんがぼそっと言った。
リモナはアズラクを見上げた。
アズラクは息を詰めて、リモナたち三人を眺めている。
「俺、指輪に戻るよ」
リモナたちは、リモナの右の中指に嵌ったサファイアの指輪に視線を落とした。お姉ちゃんがそわそわしてママにしがみつく。
「でも、ずっとこの中にいたんじゃないの?」その仕組みがまったく分からないけど。「ようやく出て来れたんでしょ?」
「リモナがまた呼んでくれたらいい」
アズラクは何でもないように言うけど、ずっと放っておかれたからくりみたいな寂しさをリモナは感じた。
「指輪の中って快適なの?」
「まぁまぁ」
リモナはサファイアに目を戻した。魔法のことはまったく分からないけど、快適そうに思えない。
「指輪にいないときは、いつもどこで寝てたの?」
アズラクは青い目を細めた。「後宮か神官の寝床。それ以外は娼館」
「しょ……っ」「こうきゅ……?」ママとお姉ちゃんが同時に声を上げた。
当たり前に娼館なんて単語が出てきて、流石にリモナも息を飲んだ。
でもアズラクなら珍しくないのかな? 惜しみなく晒している浅黒い肌と、ゾクゾクさせる狼のような紺色の瞳を見上げて思った。
するとママとお姉ちゃんがリモナを引っ張った。
「ちょっとリモナ、やっぱり指輪に戻ってもらいなさい」と言うのはママ。
「ていうか私の評判のことも考えて」お姉ちゃんは真っ赤な顔でリモナとアズラクを交互に見た。
リモナは、アズラクとママたちとサファイアの指輪を順に見た。そして目の前の工房を見上げた。
「ママ、今日あたし、アズと工房に泊まるね」
リモナ以外の三人が息を飲んだ。
「リモナ、そういうことじゃないでしょ」ママがリモナを引っ張った。
「えぇ、一番合理的じゃない?」リモナはうんざりしてママとお姉ちゃんを見た。
「あんた……だってその人、しょ……しょ……」お姉ちゃんは茹でダコよりも真っ赤になった。
「あ、それとも娼館のが休まるのかな?」リモナはアズラクを見上げた。
ママとお姉ちゃんが絶句した。
「俺は別にどこでも……」
アズラクは困惑している。
リモナを取り巻く風が、そわそわと忙しなく動いていた。
リモナはぱんっと手を叩いた。「はい、決まり!」
「ちょっとリモナ! 本気で言ってるの?」ママがリモナを揺らした。
「大丈夫だって。アズ悪い人じゃないし、今日いっぱい楽しませてもらったし」
「たのしま……っ」お姉ちゃんは慌ててリモナを抱きしめた。「ちょっと妹に何したの?」
「何もしてねぇ」アズラクは呆れたように目を細めた。「ただ少し飛んだだけ」
「飛ん……!?」お姉ちゃんは額を抑えてよろけた。
「すごいんだよ、空から見たミラージャの町!」リモナはお姉ちゃんを支えて、ママに言った。「すごく素敵でね。ああ、あの景色残せるような機械作って、ママたちにも見せてあげるね」
能天気なリモナを、ママは呆れたように見た。
こんな壮絶な色男といるのに、熱に浮かされてるのは発明とかそういうのばっかりだ。お姉ちゃんが邪推するようなことではなさそうだけれど、本当に大丈夫かしら? それも空を飛ぶ魔神だっていうのに……。
「こうしましょう」ママはリモナとアズラクそれぞれに指を向けた。「リモナはうちに帰る、あなたは工房に泊まる」
「ええ、何それ! アズ一人寂しいじゃん」
「ちょっとくらい一人でも平気でしょ、子供じゃないんだから」
「でも——」
「ミャオ」
猫の鳴き声が響いた。
工房の屋根の上に、ぺぺがちょこんと乗っていた。
アズラクは肩をすくめた。「リモナ、お前は帰れ」
「え、でも」
そう言い渋るリモナの手を、アズラクは取った。
右手の中指には、サファイアの指輪が嵌っている。
アズラクはリモナの茶色のまんまる目をまっすぐ見据えた。
「なんかあったらこれで呼んでくれ。すぐに飛んでいくから」
狼のような青い目に見つめられて、リモナはドキッとした。今日たびたび感じていたゾクゾクとはまた違う。
するとアズラクは不敵な笑みを浮かべた。
「オレンジはもらうからな」
「え!」
リモナが反応する前に、風がリモナとママとお姉ちゃんを押し出した。
有無を言わせない感じでありながらふわふわで、なんかとてもいい匂いがした。




