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からくり娘と三人の魔神  作者: ふたぎ おっと
タイル1.リモナと指輪の魔神
6/38

1-5.何千年

 ランタンやろうそくにほんのり照らされたミラージャの夜道を、リモナとアズラクは歩いていた。

 坂を下りながら、アズラクはずっときょろきょろしていた。

「どうしたの? まだ食べ足りない?」

 リモナはアズラクを見上げた。たった今、鵜焼きと魚介のリゾットを平らげてきたところだ。リモナとしてはちょっとお腹が重い。

「いや……」アズラクは不思議そうに町並みを見渡した。「お前たち、こんな夜でもまだ出歩くんだな」

 路地には人が行き交い、飲み屋の前には起きてきたばかりの漁師たちが酒を飲んでいる。すれ違う人たちは、未だに不思議そうにアズラクを見ていた。

「こんな夜って、まだまだ寝る時間じゃないよ」

 リモナは丘の上の役場を指差した。

 白亜の塔の中央には、からくり時計が埋め込まれている。

「今まだ八時」

「はちじ……?」アズラクは目を丸くした。

 リモナは首をひねった。「アズのとこは時間の数え方違うの?」

「数え方……というか」アズラクは考え込むように唸った。

 リモナはシナモン色の三つ編みを揺らして首を左右に傾けた。

 一緒に鵜焼きを食べていたときから思っていたけど、アズラクはずいぶん生活様式の違うところから来たみたい。食堂を奴隷の溜まり場だと思っていたし、鵜焼きを丸かじりすることにも驚いていた。きれいな食べ方ですっかり平らげていたけど。

 小一時間前のやりとりを思い出して、リモナはくすくす笑った。

「このあたりでは一日を二十四で数えるんだよ」リモナは腕を大きく回した。

「二十四?」

「そう。太陽が昇って、次に太陽が出るまで……とかそんなん!」

 アズラクはへぇと言って、空を見上げた。「星の数え方みたいだな」そう言うアズラクの隣で、リモナの工具箱がふわふわ浮いている。

 アズラクの国は不思議だな。

 リモナはさっき飲んだレモン酒にふわふわ揺れながら、アズラクを見た。

 青い目に紺色の髪。光沢のある異国風の羽織に、じゃらじゃらの飾り物。浅黒い肌から香る辛い匂いとあの青い目は、今も少しだけゾクゾクするけれど、今日もうずっと一緒にいたから慣れちゃった。風の魔法も操れてすごいのに、水車も時計も知らず、星なんて季節で変わっていく不確かなもので時間を数えている。

「あれもお前が作ったのか?」

 アズラクは、青い目を興味深そうにきらめかせてリモナを見た。

 あ、やっぱりゾクゾクするかも。

 リモナは少しだけ赤くなった。

「違うよ、あれは百年前の技師が作ったんだって」リモナはからくり時計をうっとり眺めた。「あんな風な発明、夢だよね」

 アズラクはリモナの横顔をぼんやり眺めながら、百年前、と呟いた。

「リ……リモナ!」

 坂の上から、長衣を着た中年男性が書類を抱えて走ってきた。

 リモナの父親だ。

「あ、パパ! 今帰りなの? 一緒に帰ろ!」

「いや、お前、その男……!」パパはアズラクを見て、顔を強張らせた。

 リモナは能天気にアズラクをパパの方へ押し出した。「この人はアズラク。指輪の魔神なんだって」

 アズラクは、他の人に紹介したときと同じように、軽く頭を下げた。

 パパは脅えるようにアズラクを見ると、リモナの腕をつかんで引っ張った。「お前、大丈夫か? 何もされてないか?」

「どういうこと? アズならさっき、空から景色見せてくれたよ」リモナは今日のことを嬉しそうにパパに話す。

 パパはいっそう青ざめた。小脇に抱えていた書類をばさばさ落とす。

「あぁあぁ、大変だ。書類の順番が……じゃなくて娘が……」パパはあわあわしながら紙を拾う。

 リモナも一緒になって拾う。

 すると散らばった紙がふわっと浮き上がり、一箇所できれいに重なって行く。

 リモナは笑ってアズラクを見上げた。「ありがとう、アズ」

「どういたしまして」アズラクは何でもないように言いながら、紙束をパパの前に差し出した。

 パパは地面に尻餅ついて後ずさった。

 リモナは紙束を受け取って、パパに差し出した。「パパ、アズが全部拾ってくれたんだよ?」

 パパは書類を受け取ると、リモナが差し出した右手をまじまじと見た。中指には指輪が嵌っている。

「役場で噂になってるぞ、お前がその……」パパは立ち上がりもせずにアズラクを見た。「まさかと思っていたが、本当に指輪の魔神なのか?」

「このとおり」アズラクはリモナの工具箱を、頭よりも高く浮き上がらせた。

 リモナがすごいでしょと自慢する横で、パパは引き攣った声を上げた。

 パパはアズラクを下から上までまじまじと眺め、首を横に振った。

 まさか、本当だとは……。

 役場でそんな噂が流れてきたときは、娘がふざけたからくりを使って遊んでいるんだと思っていた。それか酔っぱらいの笑い話程度のものだと。

 しかし、まさか本当に実在するとは……。

 パパはリモナの右手の指輪を見ると、娘の手を強く掴んだ。

「ちょっパパ! なに?」

「リモナ、この指輪は捨てなさい!」

「えええ、どういうこと?」

 パパはリモナの手から無理矢理指輪を外そうとした。

 しかし外れない。

 パパはますます青ざめた。「なんてことだ……そんな」

「パパ! 痛いっ」

「リモナ! それを外しなさ——」

 するとパパとリモナの間に、相反する風が吹いた。二人は風に引き離される。

 リモナが驚いた顔をする一方、パパは娘と魔神を信じられない目で見た。

 アズラクも、この状況に目を瞠っていた。

 パパは魔神を指差した。

「リモナ……お前、これがどれだけ危険か分からないのか?」

「どういうこと?」

「それは……それは神話の化け物なんだぞ!」パパは唾を飛ばしながら捲し立てた。「世界を破滅させた——」

「してねぇ」アズラクが否定を挟んだ。

「とにかく!」パパは懐から十字架を出して魔神に向けた。「何千年も前の化け物だ! そいつのせいで死ぬことになる!」

 リモナは眉をひそめた。

 言っている意味がわからない。

 大袈裟だし……。

 しかしアズラクを見上げると、呆然と青色の瞳を見開いていた。

「何千年も前……?」

 リモナの工具箱が、がしゃんと音を立てて地面に落ちた。

 アズラクは、リモナとパパ、ランタンと蝋燭の灯る町並み、丘の上のからくり時計を順番に見た。

「何千年も……前?」

 アズラクはよろよろと後ずさった。

 パパが乾いた笑いをあげた。「こ……こんなのでも効果あるんだな」十字架をアズラクに近づけた。「リ、リモナ、今のうちに指輪を外しなさい」

「何言ってるの、パパ。アズ、大丈夫?」リモナはアズラクを覗き込んだ。

「リモナ! 離れなさい!」

 リモナはアズラクを揺すった。

 アズラクは呆然とリモナを見下ろした。あのゾクゾクさせる青い瞳が、弱々しく揺れている。

 リモナが何か言う前に、アズラクはパパへ視線を向けた。「神話って……どんな話なんだ?」

 パパはひぃっと後ずさった。「な、何千年も前の、イルサームの話で……」

「イルサーム……」アズラクは繰り返した。

「ゆ、指輪とランプの魔神が……」パパはごくりと唾を飲んで続けた。「世界を破滅させて、海と洞窟に捨てられたっていう……」

「洞窟に……」アズラクは手で口を覆った。「洞窟に捨てられた……?」

 リモナは二人の会話の意味が分からなかった。なにか突拍子もない話をしているし、何より、あれだけ不思議な力を使うアズラクが今にも崩れそうになっているのが、見ていられなかった。

「アズ、アズ? 大丈夫?」リモナはアズラクの目を覗き込んだ。

「リモナ! 離れなさい、手遅れになる前に!」

「手遅れって何?」リモナはアズラクの前に立ちはだかった。「パパがただいじめてるだけじゃん!」

「本当に危険なんだ! そいつがお前を殺す前に——」

 パパの手が、再びリモナに伸びた。

 するとリモナの身体がふわりと浮き上がった。

「うわわ!」

「リモナ!」

 パパがリモナを捕まえようと手を伸ばすが、アズラクが後ろからリモナを抱えて、空高く飛び上がった。

「リモナ! リモナー! うわぁ!」

 すさまじい風が吹き、パパの書類が吹き上げられ散らばった。

 リモナは風の勢いに押されて目をぎゅっと閉じた。後ろからは、アズラクが小刻みに息をしていた。


 何千年も前……。

 何千年も……。

 アズラクの頭の中は、ずっとぐるぐる回っていた。

 指輪から出て来てからずっと違和感だらけだった。

 見たこともない町並みに、初めて見る仕組みの歯車。書付の山。単に知らない国にたどり着いた程度のことだと思っていた。

 まさか何千年も海を漂って——。

「……ズ、アズ!」

 アズラクはハッとした。

 腕の中のちんちくりんを見る。

 リモナが——苦しそうに息をしていた。

「アズ……苦し……」

 アズラクは息を飲んだ。

 見渡すと、雲しかなかった。

 俺はなんてことを……。

 アズラクは急降下した。

「わわわ! 待って待って待って! 死ぬ!」

「すまない、リモナ」

 アズラクはリモナをぎゅっと抱きしめた。

 やがて、リモナの工房に降り立った。オレンジとあの黒い——インクの匂い以外、受け入れられそうもなかった。

「はぁ、びっくりしたぁ……」リモナは工房の前にへたり込んだ。

 アズラクは何も言えなかった。

 危うくリモナを殺しかけた。

 そのことが、先ほどの衝撃に相まって、言葉が出てこなかった。

 風がざわざわ揺れる。

 しかしリモナは、茶色のまんまる目を細めてこちらを見上げた。「アズ、大丈夫?」

 アズラクは目を見開いた。

 リモナはよれよれと立ち上がると、背伸びしてアズラクの目を覗き込んだ。

「ねぇ。ごめんね、うちのパパが」

 アズラクは顔を伏せた。

 何でなんだ。

 殺されかけたってのに、なんでこんな風に扱えるんだ。

「お前……まだ俺が怖くないのかよ」

「え、なんで?」リモナは首を傾げた。「そりゃあさっきはちょっと怖かったけど……高いと息苦しくなるんだね」

「は……?」それだけなのか? 「お前、父親の話聞いてなかったのかよ」

「パパの話? 指輪とランプがどうたらってやつ? あんなのただの言い伝えか何か——」

「本当なんだ」

 アズラクはしゃがみ込んだ。

「俺は……その指輪と一緒に海に捨てられた」

 そのときのことは、昨日のことのように覚えている。ヤツは……散々使った挙句に海に捨てた。狭い指輪の中から、ただずっと暗い海の中を眺めていた。

 まさか何千年も経っていたなんて……。

 すると、ふわりとオレンジとインクと鵜の匂いに包まれた。

「あたし、神話とかよく分からないんだけど、指輪を見つけられて良かったってことでいいのかな?」

「は?」

 アズラクは顔を上げた。

 リモナは一緒にしゃがみ込み、右手の中指に嵌めたサファイアの指輪を眺めて首を傾げている。

 茶色のまんまる目が、無邪気に笑った。

「だって海の中じゃ空も飛べないし、美味しいご飯も食べられないじゃない? あ、でも海の中だとタコとか魚食べ放題なのかな」

 リモナは真剣な目をして考え込んだ。

 アズラクは、しばらくその間抜け面を眺める。

 こいつ、絶対意味も状況も理解してないだろ。

 こっちは相当な衝撃を受けたのに。それこそ数千年分の。

 しかし、腹の底から笑いが込み上げて来た。

「なんだよ、それ」

 アズラクは声を上げて笑った。

 リモナは目を丸くしてアズラクを見上げた。目をぱちくりして意味も分かってないのに、リモナはにっこり微笑んだ。

 柔らかくて温かくて、つんとした甘酸っぱい空気。

 ああ。やっぱり心地良い。

「そうだ」

 リモナは立ち上がると、工房の扉を開け放して中に入り、部屋の奥まで行って戻って来た。

「ほら、オレンジ食べよ」

 そう言って、リモナはオレンジを剥いた。

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