1-4.リモニャの世界②
「ああ、これは水車がおかしいんじゃなくて、中のギアがズレてるね」
リモニャはそう言うと、炭だらけの歯車を素手で無理矢理押した。すると歯車が連動して回り始め、肉の串が一緒に回り出した。
アズラクは、歯車の位置を戻しただけで回り始める仕組みに目を丸くした。
「うーん、これは油挿すだけでいいよ」
リモニャはそう言って、持ってきたカゴから革袋を取り出し、金属の噛み合わせの間に油を差した。金属の取っ手を上下に動かすと、管から水が出てくる。
アズラクは管に耳をつけて、水がどこから来ているのか探ろうとした。
「あ、リモナ。ちょうどいいところに! こっちの水車も見て」
「ええ、仕方ないなぁ」
リモニャが例の如く工具箱を持ち上げようとするので、アズラクはそれを風で浮かした。リモニャは呼ばれた方に向かっていく。
町の中心部に来てから、リモニャは——いや、リモナは、ずっとこんな調子だった。家来のように呼びつけられ、奴隷のような汚れ仕事を請け負う。
何より、リモナが楽しそうだった。
リモナが部品をいじり工具を操れば、歯車や滑車が勝手に動き、洗濯物が勝手に取り込まれ小麦が挽かれる。
まるで——魔法だった。
まったく魔力なんてないのに。
「はい、リモナ。これあげる」
「やったぁ!」
町の女がエビの串をリモナの前にかざすと、リモナは嬉しそうに齧り付いた。リモナは顎にソースを付けて、嬉しそうに味わった。
リモナの幸せそうな空気は、アズラクを落ち着かなくさせた。
「ねぇあの人、どこの人?」
「さぁ、リモナは指輪の魔神とか言ってたけど」
町の連中の噂話が、風に乗って聞こえてきた。
リモナが紹介するたび、アズラクは不審で奇妙な目を沢山向けられた。
「なんかすごくかっこいいよね」「いや、あれは堕落の悪魔だよ」「さっきリモナの工具箱浮かしてたの見た?」「本当に魔神なのか?」
怯えと興奮。警戒と緊張。そんな空気の振動が、伝わってくる。
そうだよな、これが普通だよな。
ただでさえよそ者なのに、その上風を操る魔神だ。リモナが何でもないように振る舞うせいで自分の感覚を疑い始めていたが、どうやらおかしいのはリモナだったようだ。
ちらりと町の連中に視線を配れば、男も女も顔を赤らめる。この反応も別に珍しくない。
なのにリモナは——。
「あ、ねえ、ここ海草詰まってるよ。取っとくね」
「おい、待て」
リモナがそのままの格好で川に入ろうとしたので、風の壁で阻止した。壁に当たってリモナがのけぞった。
リモナは鼻をさすりながら振り返った。「アズ?」
「お前、そんな激しい川にそのまま入るつもりだったろ」
「そうだよ?」リモナは首を傾げた。
マジかよ。
アズラクは目の前の水流の激しい川と、そこで回ろうとしている水車の歯車を見た。どうやら水の流れに合わせて回る仕組みらしい。夕陽に影って暗くなってきている中、水に潜ってそんな大きな歯車に手を突っ込むなど、この世界でも常人技じゃないはずだ。
まさかこいつは、そんなことをしょっちゅうやっているのか?
リモナの健康だが丈夫そうに見えない細腕を、アズラクは信じられない気持ちで眺めた。
「どこに詰まってるんだ?」
アズラクは風の壁でリモナを陸側に押し戻した。
見物人たちが、一斉に息を飲む中、リモナは片足を出したままの姿勢で指を差した。
「あそこ。水に浸かってるとこの三個目か四個目」
アズラクはため息を吐いた。
マジでこいつ、どうなってんだ?
アズラクは右の人差し指を振り上げると、横に払った。手の動きに合わせて川の水が浮き、歯車から草や木屑やネズミの死骸が飛び出てきた。
見物人たちが一斉に声を上げた。
「見たか、今。川が浮いたぞ」「魔神って噂本当なのか?」「リモナ、大丈夫なのか……?」
小声で言っているつもりだろうが、アズラクには全部聞こえていた。
普通なんだよ、これが。
アズラクは川の水を戻しながら思った。
「でも魔神って便利だな」
「もしかしてリモナ、要らないんじゃね?」
風に乗った軽口に、アズラクは固まった。何かが——風が捩れる感覚がした。
しかしすぐ近くから伝わってきた激しい怒りの振動に、アズラクは息を飲んだ。
「誰、今あたし要らないとか言ったやつ!」
リモナは腕を振り上げて、群衆に向かって行った。
「みんな、あたしいないとダメなのに!」リモナは言った男をぽかぽか叩いた。
「ごめんって、助かってるって!」
「アズは魔法なだけなんだよ! あたしの発明のがすごいんだよ!」
「でもリモナの機械、たまに調子悪いじゃん」誰かがボソッと言う。
リモナはそう言ったやつに人差し指を向けた。「じゃあ次はもっといいやつ作ってやる!」
怒るリモナと困ったように笑う町の連中。アズラクは呆然とその光景を見た。
——魔法なだけ。
かつては神官や将軍に取り合われたこの力が。
しかし、リモナは道具一振りでからくりを動かす。
「それに比べれば確かに大したことないな」
ぽつりと言うと、リモナは反射的にくるりと振り返った。
「違う違う違う! アズの魔法はすごいよ、悔しいけど」
切実に訴える茶色のまんまる目。
あぁ、まただ。
リモナから伝わる空気の振動は、ひどく落ち着かなくさせるのに——心地良い。
「リモナ」昼間の女が声をかけた。「鵜、焼けたよ」
リモナはパッと顔を明るくした。
アズラクを見上げる。
「鵜焼き、美味しいんだよ」
当たり前のようにアズラクの腕を引いて行くリモナ。町中から奇妙な視線を向けられていると言うのに、リモナの周りだけ風の流れが違っていた。




